尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

政権支持率が高い理由-安倍政権2016③

2016年01月08日 21時46分22秒 |  〃  (安倍政権論)
 安保法案の国会審議が煮詰まってきた2015年夏に、安倍政権の支持率は不支持の方が多くなったNHKの世論調査を見ると、5月には51%と5割を超えていたが、6月には48%、7月には41%、8月には37%と底を記録した。同期間の不支持率は、32、34、43、46と漸増しているから、7月、8月には不支持が上回ったのである。しかし、9月になると「43:39」、10月には「43:40」と再び支持が上回るようになった。11月は「47:39」、12月は「46:36」と漸増している。これをどう見るか。

 安保法は「違憲」であり「戦争法案」だと考えると、成立したことによって「反対がさらに強固になる」はずである。一方、「やり方が強引」だとか「審議が拙速」だという反対ならば、時が経ち新しい問題が起こってくるうちに反対の気持ちが薄れていくだろう。安倍政権は野党の要求にもかかわらず秋の臨時国会を開かなかった。もし臨時国会を開いていれば、改造閣僚のスキャンダルや安保法の憲法論議が毎日のように報道されたはずである。成立した安保法は「合憲」と「解釈」する考えもあるかもしれないが、臨時国会を開かないことは違憲としか考えようがない

 それなのに、安倍政権の支持率が再び上昇した。臨時国会を開かなかった安倍政権のやり方が「成功」したのである。安倍政権は確かに強引に国会を運営したが、そのうちまた支持率もアップするだろうと高をくくっていた。実際にそうなったのである。まあ、この結果はある程度予想されたことではあるが。それでも、安保法は特定秘密保護法以上に「トンデモ法」なんだから、もう少し不支持が長引くかと思わないでもなかった。こうなると、「国民の責任」を考えないわけにはいかないように思う。

 安倍政権の支持率に関しては、朝日新聞の10月の調査で興味深い分析が載っている。ネット上では「(データを読む 世論調査から)内閣支持率上昇 戻った「弱い支持」」で見ることができる。朝日新聞の調査では、単なる支持、不支持だけではなく、一端答えを聞いた後で、「今後変ることもあると思うか」を聞くというのである。そして、「変わらない」という人を「強い支持」「強い不支持」とし、「変わることもありうる」という人を「弱い支持」「弱い不支持」と考えるのである。

 それを見ると、かつては2割いなかった「強い不支持」が、2015年7月から25%を超え、10月にも落ちていない。「安倍政権を強く否定する」という人は確実に増えて、全国民の4分の1になるのである。一方、「強い支持」は2割に満たない。2015年2月には、恐らく中東のテロ問題を受けて「強い支持」が増えているが、夏以後にはグッと落ちている。だから、やはり安倍政権絶対支持は減り、強固な不支持層が増えてはいるのである。だけど、そういう確固たる政治信念を持つ人だけが選挙権を持つわけではない。実際の選挙結果を決めるのは、「弱い支持層」がどの程度安倍政権を離れるかなのである。

 そして、2015年10月頃から、「弱い支持」層が安倍政権支持に戻った。夏の間は、確かに強引だなあ、こんなに急ぐ必要があるのかなあ、これでは今は支持するとは言えないよなあといった感じがしたのだろう。だから「弱い支持層」が「弱い不支持層」になった。そして、10月になって少しづつ戻って行った。各種の世論調査でほぼ同じような感じで安倍政権支持が増加したのは、そんな経過からだろう。それらの層が安倍政権に今でも期待するのは「経済政策への期待」である。

 今の政党支持率を見る限り、自民党と公明党を足すと4割を超え、民主党や共産党などをはるかに引き離している。これでは何回選挙をしても、3分の2はともかくとしても、自公の過半数は揺るぎそうもない。そう考えると、安倍政権は変わらないんだから、心配がないとは言えないが(だから「やりすぎ」の時期には不支持になるけど)、基本的には「経済の活性化」は今の政権に期待するしかない。確かに株価は上がったし、円安で外国人観光客は「爆買い」しているではないか。ここまできて、ちょっと前の日本のように、総理大臣が毎年変わる国に戻していいのか。うーん、そう言われると、当面のところやっぱり安倍政権を支持するしかないんじゃないかなあと思う人がいるわけである。そして、そういう人たちが「安倍批判」とか「憲法論議」とか、今はしない方がいいらしいよと触れ回るのである。

 原発再稼働と武器輸出解禁で「経済活性化」を進める安倍政権でいいのかなどと、ここで反論をしても「届かない人」には届きにくいのだろう。どうすればいいのか僕にも今すぐ答えはない。だけど、先に見たように「確固たる安倍支持派」は減っているのである。今はかなり多くなった「確固たる安倍不支持派」が、仲間うち向けの言葉だけを発していては情勢は変わらない。安倍政権の「弱い支持層」に向けて、きちんと日本の将来像を打ち出して安倍政権との対抗軸をはっきりさせない限り、そういう層は強い方に引かれていくだろう。だから、「弱い支持層」を安倍政権から引き離すための戦略的発想が大事なんだと思う。
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安藤昇、ナタリー・コール、加島祥造等ー2015年12月の訃報

2016年01月07日 22時52分10秒 | 追悼
 2015年12月の訃報のまとめ。野坂昭如の追悼記事はその時書いた。葬儀の記事も大きく出たが、五木寛之は「先駆けの旗だった」と弔辞を述べた。昔は「荒野」とか「デラシネ」とか言っていた五木寛之は、いつのまにか「他力本願」を説く教訓派として再登場した。それを思うと、野坂昭如という人は「不器用」だったんだろうなあとなんだか懐かしくなる。選挙に関わらず、小説を書いていればという人もいるだろうけど。

 ビックリしたのは、大みそかのナタリー・コールの訃報(12.31没、65歳)。僕は父親のナット・キング・コールが大好きで、クリスマスソングを集めたCDを年末によく聞く。そうすると他の曲も聞きたくなり、「アンフォゲッタブル」も聞く。そして娘の歌う「アンフォゲッタブル」も聞き直す。父の歌った曲を改めて歌い、「親子共演」もしてる。もちろん、父の音源に合わせて歌うわけだが。これでグラミー賞。今後も何度も聞くだろうけど、僕にとっては、ナット・キング・コールの娘ということになるんだろうなあ。
(ナタリー・コール)
 外国の人を先に書くと、指揮者のクルト・マズア(12.19没、88歳)は、旧東ドイツの人で、ライプチヒのゲバントハウス管弦楽団を70年から96年まで務めた。東独の民主化にも貢献した。日本では読響の名誉指揮者として何度も来ているから、僕は聞いてはいないけど、名前は昔から知っていた。
(クルト・マズア)
 アメリカ映画の撮影監督、ハスケル・ウェクスラー(12.27没、93歳)の訃報は載ってない新聞もある。アカデミー賞を2回受賞した人(「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」「ウディ・ガスリー/わが心のふるさと」)なんだけど、それ以外の映画の方が思い出深い。「夜の大捜査線」「華麗なる賭け」「アメリカン・グラフィティ」「カッコ―の巣の上で」などなど、60年代、70年代の名作がそろっている。僕が最初に覚えた撮影監督である。「天国の日々」の追加撮影も担当している。監督としても「アメリカを斬る」などの社会批判映画を作った。外国人では、「想像力の共同体」で知られるアメリカの政治学者、ベネディクト・アンダーソン(1.13没、79歳)は、専門とするインドネシアで亡くなった。 

 驚きと言えば、浪曲師の国本武春(12.24没、55歳)。一回しか聞いたことはないけど、素晴らしく面白かった。名実ともに「浪曲界のエース」で、大体他の人は知らない。浪曲はいまやほとんど聞かれない演芸になっているが、他分野の人にも知られていたのは、この人ぐらいではないか。年齢が年齢だけに、歌舞伎で言えば中村勘三郎を失ったショックと言えば、判る人もいるだろう。
(国本武春)
 作詞家の岡本おさみ(11.30没、73歳)は11月最後の日の訃報。何と言っても「旅の宿」と「襟裳岬」で、つまり吉田拓郎の歌が多い。僕が一番好きだったのは、拓郎の「おきざりにした悲しみは」という曲。題名からして、70年代を象徴するような気がする。
(岡本おさみ)
 翻訳家で、ハードボイルドの研究家、作家の小鷹信光(12.8没、79歳)は、ハヤカワ文庫にあるハメットの新訳の意義が大きい。「マルタの鷹」はこれで初めて判った。他にも翻訳はいっぱいあって、「大西部の詩人」ジェイムズ・クラムリーの酔いどれ探偵ミロシリーズもこの人。スタークの悪党パーカーシリーズなど、この人の翻訳をずいぶん読んでいると思う。「探偵物語」の原案者でもあるという。
(小鷹信光)
 翻訳家と言えば、今では詩人、タオイスト(老荘主義者)という方が知名度が高い加島祥造(12.25没、92歳)。僕はもともと英米文学翻訳者として相当読んでいる。フォークナーもこの人なら、アガサ・クリスティもずいぶんある。硬軟取り混ぜ、他にもいろいろ読んでると思う。でも、その後伊那谷に住み、「求めない」などの詩集が有名になり、タオイストになった。僕は縁者を教えたこともある。
(加島祥造)
 人は一生の間にいろいろの顔を持つものだけど、戦後の有名人の中でも安藤昇(12.16没、89歳)ほど極端な人はいないだろう。戦後の渋谷で「安藤組」を作った本物の「学生ヤクザ」である。学生というのは法政大学中退という経歴がある。いわゆる「特攻隊崩れ」の「愚連隊」で、映画「安藤組外伝 人斬り舎弟」(中島貞夫監督)という映画を見ると、当時のようすが伝わってくる。1958年に「横井英樹襲撃事件」を指示して、1964年まで収監された。(横井英樹は、白木屋乗っ取り事件などで有名な「実業家」または「虚業家」とでもいうべき人物。晩年にはホテル・ニュージャパン社長となるが、スプリンクラーも設置せず、火事で多くの犠牲者をだし、業務上過失致死で実刑判決を受けた。)一方、出所した安藤は、1965年に自伝を出して、映画化に際し自分で主演した。松竹、東映で多くの映画に出演し、たくさんのヤクザ映画に出ている。元ヤクザという域を超えた存在感のある役者だし、本やレコードもたくさん出している。どう評価すべきか迷うような存在。ずっと「自分自身を演じた」ということで一貫性があったのかもしれない。昨年シネマヴェーラ渋谷で安藤昇特集があり、いくつか見たが、要するに安藤昇だから面白いとかつまらないとかはないと思う。脚本家や監督の問題。同じ映画館の田中登監督特集で、2月に「安藤昇のわが逃亡とSEXの記録」というとんでもない名前の実録映画が上映される。もちろん本人主演。
(安藤昇)
 以下、写真のない人。直木賞作家の杉本章子(12.4没、62歳)。受賞作「東京新大橋雨中図」しか読んでない。幕末明治の「最後の浮世絵師」小林清親を描く。今年は直木賞作家が6人も亡くなった。陳舜臣、佐木隆三、高橋治、車谷長吉、野坂昭如、杉本章子。
 生化学者の早石修(12.18没、95歳)は、酸素が体内でアミノ酸などと反応する時に働く「酸素添加酵素」を発見した。と言ってもよく判らないが、昔はずっとノーベル賞候補と言われていたから、名前は知っている。文化勲章受章。日産がルノーと提携を決定した時の社長、塙義一(12.18没、81歳)。上方漫才の海原小浜(12.24没、92歳)は「海原お浜、小浜」でコンビを組んで活躍した。広島県知事を4期勤めた藤田雄山(12.18没、66歳)は、参議院議員から44歳で知事になった。元参院議長藤田正明の子どもだが、要するにフジタ財閥の人。実弟はトウショウボーイなどで知られるトウショウ牧場を持っている。「トウショウ」っていうのが、藤田正明のことなのである。
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瑞穂の国の資本主義-安倍政権2016②

2016年01月06日 21時53分27秒 |  〃  (安倍政権論)
 柿崎明二氏(共同通信論説委員)の「検証 安倍イズム」(岩波新書、2015.10)を読んだら、安倍政権の基本は「国家先導主義」だと書いてあった。そして、まず第1章の1で、「賃金引上げ」があり、そこに「瑞穂の国の資本主義」という言葉が書いてある。検索してみると、安倍首相の昔からの主張であるらしい。『新しい国へ 美しい国へ 完全版』(2013)という著書では、次のように書かれているという。

 日本という国は古来、朝早く起きて、汗を流して田畑を耕し、水を分かち合いながら、秋になれば天皇家を中心に五穀豊穣を祈ってきた、「瑞穂の国」であります。
 自立自助を基本とし、不幸にして誰かが病に倒れれば、村の人たちみんなでこれを助ける。これが日本古来の社会保障であり、日本人のDNAに組み込まれているものです。
 私は瑞穂の国には、瑞穂の国にふさわしい資本主義があるのだろうと思っています。自由な競争と開かれた経済を重視しつつ、しかし、ウォール街から世間を席巻した、強欲を原動力とするような資本主義ではなく、道義を重んじ、真の豊かさを知る、瑞穂の国には、瑞穂の国にふさわしい市場主義の形があります。(以上、引用)

 この「瑞穂の国の資本主義」には、さまざまな評価があるようだが、僕は今まで安倍政権の経済政策をこのように捉えてはこなかった。だけど、もはや小泉時代の「竹中式新自由主義」ではなかったのである。ただし、経済政策の具体的な進め方は、実際には紆余曲折があるようだ。だけど、安倍政権では「瑞穂の国の資本主義者」として、政府が経済界に賃上げを要請したり、携帯電話の料金引き下げなどを検討したりする。思いつきでやってるのではないのである。それらは個別的には、「ちょっと良いこと」のように思いがちだし、僕も「市場絶対主義」がいいと思うわけではない。

 この「安倍イズム」は、「国家主義」そのものではないかと思う。今は多国籍化している大企業でさえ「国家統制」に置こうとするのだから、当然のこととして、報道界や文化界も国家に従わせるだろう。公立の小中高だけでなく、「大学自治」を認められてきた大学教育でさえ、国家の統制下に置こうとする。「異論を持つ人」には生きにくい社会となる。そういう予想があるし、現にそうなりつつある。

 また、この「瑞穂の国」という日本の捉え方は、いかにも「西日本的」=「弥生文化的」だと思う。現在の自民党の総裁、副総裁、副総理兼財務大臣、幹事長、前幹事長(「地方創生」担当相)、外務大臣、防衛大臣等々、内閣官房長官を除き、重要な役職はほとんど西日本選出議員で占められている。「縄文文化」の伝統が全く踏まえられていない日本観になるのも当然かもしれない。こういった「水田中心史観」は、この何十年かの歴史学ではずいぶん修正されてきた。非農業民の役割の大きさも判ってきた。先の考えの前提そのものが古臭い感じがする。

 それはともかく、日本最大の組織(宗教団体を除く)ではないかと思う、労働組合の中央組織「連合」(日本労働組合総連合会)は、もちろん民主党の支持団体である。だけど、せっかく実現した民主党政権でも獲得できなかった「実利」を安倍政権で得られたのである。もちろん、連合トップは民主党、全労連トップは共産党支持だろうけど、下部の組合員はそういった政党支持方針に従う人ばかりではないだろう。というか、もし全組合員の半分でも組織内候補に投票したら、民主党の比例区票がもっともっと出ている。今後、「組織労働者」がなし崩し的に「自民党支持層」になっていくのではないか。そして、大組織がほとんど「瑞穂の国の資本主義」に包摂されていくというのが、安倍政権時代ということになる可能性を感じるのである。
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映画「独裁者と小さな孫」

2016年01月03日 23時32分03秒 |  〃  (新作外国映画)
 イランを離れて活動を続けるモフセン・マフバルバフ監督の新作「独裁者と小さな孫」が公開されている。見たのは年末の事なんだけど、やっぱり触れておきたい。欠点もあるけれど、詩的なイメージの喚起力の素晴らしさとテーマの重要性からして、大事な作品だと思う。

 とある国に独裁者の大統領がいる。イルミネーションで輝く首都だけど、大統領が電話で一言、消せと言えば首都は真っ暗になる。孫がいて、孫にも電話させる。小さな孫の命令で首都は真っ暗になる。でも、何というひどい祖父なんだろう。まあ、独裁者の後継者教育なのかもしれないけど、小さい時からこんな教育を受けていたら、人間性がゆがんでしまう。だけど、この冒頭のエピソードの大都会の夜景が、点いたり消えたりする映像は素晴らしい。

 ところで、最後に孫が点けろと電話しても、首都は真っ暗のままで、銃声も聞こえてくる。反政府の革命運動もあるらしい。翌日には、大統領の家族(夫人や次男など)は「外国視察」に旅立つ。大統領も同行するように家族は勧めるが、「事態は掌握している」として残る。小さな孫もお祖父ちゃんと残ると言い張り、残ってしまう。だけど、事態は急展開していて、もはや大統領は官邸に戻ることができない。首都に掲げられた大統領の写真は火が点けられている。自動車も銃撃され、運転手は逃げ出し、大統領はバイクを奪って、孫と逃げ出す。床屋を脅かし、変装するが、ラジオでは大統領に賞金が掛けられていると伝える。昔馴染みの娼婦を訪ねるが、結局逃げ出すしかない。

 その間、事態を飲み込めない孫は、「大統領と呼ぶな」と言われても、つい「大統領」と呼びかけてしまう。大統領はゲームをしてるんだとごまかすけど、子どもはなぜ逃げるのか判らない。幼なじみのマリアと遊びたいとごねて、大統領を困らせる。大統領は逃げて、逃げて、やがて釈放された反政府派に紛れ込んで逃げていく。そこで聞く「大統領の悪事」に知らないふりをしながら。だけど、最後の最後に…。という最後の展開は書かないことにする。

 その逃亡劇、そして孫とのやり取りが結構スリリングで、いつバレるのか、あるいはバレないのかと見ていくことになる。でも、いつものマフバルバフ映画と同じように、この大統領の悪事の全貌には迫らない。いろいろと被害を受けた国民の声を聞き、大統領への憎しみを聞くことになるが、それを聞きどう思ったか、変貌したかは描かれない。「逃げる大統領」対「民衆」という構図を、大自然の中で映像詩として描き出す。それは「赦し」というテーマを最後に強調する目的があるのだろう。

 民衆の側からすれば、残虐非道な独裁者は家族もろともに殺されなくては収まらないという気持ちもある。しかし、それでは「暴力の応酬」になってしまうのではないか。ここでマフバルバフは、イラン、イラク、シリアなどで起こっている事態に対して、「非暴力による抵抗」じゃないといけないんだと訴えている。見ているものに、現代世界の暴力に対する憂慮を強く訴えかける映画である。そのテーマ性と映像の魅力に見応えがあるから、多くの人に見て欲しい。

 モフセン・マフバルバフ(1957~)は、アッバス・キアロスタミと並び、イランを代表する映画監督だったけど、イランに自由が失われ、事実上の亡命状態にある。ホームページのインタビューでは、イランから暗殺されかかったという。この映画はどこで撮ったんだろうと思ったんだけど、言語が判らなかった。最後のクレジットで判ったけど、ジョージア(グルジア)で撮られていた。役者もジョージアで、大統領はミシャ・ゴミアシュウィリという人で、「ダイ・ハード2」なんかにも出ているというけど、もちろん知らない。マフバルバフは、「サイクリスト」「パンと植木鉢」「カンダハール」など印象的な映画がある。でも、映像詩のような作品が多い。ドラマ性で見せるのは、「サイクリスト」以来ではないか。いつもの映画のように、一家が協力してできている。
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丸山正樹「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」

2016年01月02日 23時36分40秒 | 〃 (ミステリー)
 丸山正樹「デフ・ヴォイス」というミステリーの紹介。2011年に出た本で、2015年夏に文春文庫に収録された際に「法廷の手話通訳士」という副題が付いた。丸山正樹という人は、1961年生まれで、フリーのシナリオライターをしていて、2011年にこの小説でデビューした。今のところ、この一冊しか作品はないようだけど、この小説はちょっとおススメである。知ってた?僕もちょっと前まで知らなかった。文庫になったのも気づかなかった。東京新聞夕刊に丸山さんの文章が掲載され、初めて知ったのである。

 確かに「デフ・ヴォイス」では、何だか判らない。でも、副題の「法廷の手話通訳士」も必ずしもこの小説の中身を伝えているとは言えない。ある中年の男が、職を失い(その事情は半ば以後で明らかになるけど、結構しんどそうな事情である)、警備員などをしているが正社員の仕事がない。そこで「特技」を生かし、「手話通訳士」の試験を受ける。何で手話が「特技」なのか。ボランティアしてたとか、福祉関係の仕事をしてたとかいうわけではない。家族(父、母、兄)が自分以外、全員「ろう者」だったのである。(「聴覚障害者」ではなく、「ろう者」。「健常者」ではなく、「聴者」という言葉が使われている。それは一つの立場の表明でもあることが、小説内で説明されている。)

 そういう人を「コーダ」というのだという。”Children Of Deaf Adults”の略である。そのような人々は、「ろう者」と「聴者」をつなぐ人ではあるが、現実にはどちらの世界からも疎外されることもある。そのような立場の人生があるということは、いままで思っても見なかった。この小説は、「コーダ」の苦しみを正面から取り上げたという意味で、読んでみる価値がある。

 さて、主人公はそういう経歴の持ち主だから、当然のように手話通訳士の試験には合格し、仕事の依頼も来るようになった。その中の一つに、「法廷の手話通訳士」、つまり、被告人がろう者である場合の刑事裁判で通訳する仕事がある。そして、その描写は真に迫っていて、非常に考えさせられる。そんな中で、主人公は「17年前の事件」を思い起こしてしまうのである。公判廷ではないけれど、「ある事件」の取り調べや面会時に手話通訳をした経験があったのである。そして、それは非常に苦い思い出だった。その事件は、あるろう者の児童福祉施設で施設長が殺害されたという事件だった。そして、17年後にまた、同じ施設の施設長、以前殺された人物の子どもが再び殺害されるという事件が起きた。主人公はその事件に、否応なく巻き込まれていくのだった…。

 ということで、主人公の立場や私生活など重要な部分を敢えて書いてないけれど、小説を読む楽しみを奪うわけにはいかない。ミステリーとしては、あまり読んでない人でも、後半でおおよその真相はつかめそうである。だけど、この小説は、「事件の真相」を知るためのミステリーではない。それも大事だけど、ろう者の生活世界を知り、多くの知らなかったこと(「日本手話」と「日本語対応手話」の違いなど)を知り、そして主人公の生き方を考えるという本だと思う。文章は読みやすく、手軽に読めるけど、中味は重い。知らない人が多いと思うけど、ぜひ読んで欲しい本。
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