尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

服部龍二「田中角栄」を読む

2017年01月04日 21時50分12秒 |  〃 (歴史・地理)
 年末に読んで面白かったので紹介。服部龍二「田中角栄 昭和の光と闇」(講談社現代新書)である。昨今、角栄ブームとかだが、大部分の本は読む気も起きないものばかり。この本はマトモな歴史研究本で、読む価値があるけど、角栄も歴史研究の対象になったのかという思いもある。

 最初に著者を紹介しておくと、1968年生まれの中央大学教授(総合政策学部)。専攻は日本政治外交史、東アジア国際政治史である。これはカバーにある紹介の引用だけど、最近現代史で気になる本をいくつも書いている気鋭の学者である。僕は中公新書の「広田弘毅」がフェアな記述で学ぶところが多かった。だから、戦前の有名な偽文書「田中上奏文」をめぐる「日中歴史認識」(東大出版会)も買ったけど、まだ読んでない。その後に出た「日中国交正常化」(中公新書)、「外交ドキュメント 歴史認識」(岩波新書)も読んでいる。戦前期の研究者かと思ってたら、その後大平正芳、中曽根康弘に関する本も出していて、新史料に基づいて戦後保守政治史を研究するという方向性が見える。

 田中角栄(1918~1993)は、1972年7月から1974年12月まで、第64代、65代の内閣総理大臣を務めた。首相就任時に54歳と、戦後の首相としては異例の若さだった。(その後、細川護熙、安倍晋三、野田佳彦が50代半ばで就任したが。)72年7月に福田赳夫を破って自民党総裁選に勝利し、9月には中国に飛んで日中国交正常化を成し遂げた。支持率は7割を超え、「コンピューター付きブルドーザー」「今太閤」(小学校しか出ていない学歴ながら総理になったことを秀吉になぞらえた)と呼ばれた。

 というようなことは、僕にとってはまさに同時代史である。(その意味では、前半に関しては知ってる話が続くけど、若い人には新知識が多いだろう。)著者は1968年生まれだから、記憶にないはずである。でも、戦後政治史を学んでいれば、とにかく田中角栄の名前はよく出てくるから、だんだん同時代的感覚が出てきたのかと思う。ほとんど違和感のないフェアな記述が続いている。僕はもちろん同時代には批判的に見ていたが、角栄を知っておくことは大事だと思っている。(授業でも戦後史をやるときは、ビデオ映像で田中角栄を紹介していたものだ。)

 先にあげた有名なニックネーム「コンピューター付きブルドーザー」は、朝日記者の小田原敦の発案だとある。(120頁)それによると「なにわ節をうなるコンピューター」という案も作ったけど、なにわ節は勘弁と退けられたという。今に至るも自民党幹事長の通算最長在任記録は田中角栄である。(4年1か月、最年少就任記録も持っている。)佐藤栄作内閣時に、党をまとめて選挙で勝利し、佐藤派内に自分の配下を次第に増やしていく様は、まさに「コンピューター付きブルドーザー」だった。

 若くして閣僚に就任し、岸内閣の郵政相、池田内閣の大蔵相を務めあげる。若いうえに学歴もないと内心侮っていたに違いない高級官僚に対し、責任は自分が取るから思い切ってやれと発破をかけ、一方従来の常識を超える贈り物攻勢で、すっかり人心をつかみ取ってしまう。(その後、田中派から選挙に出た官僚が多い。)そういう上り坂の時期、言ってみれば秀吉における「信長の草履を温めていた時期」で終われば、戦後政治史の名脇役だったろうに。でも本人も周囲も、ここまできたら一気に総理を目指すんだという気になってしまったのが、本人にも日本にも悲劇だったと思う。

 印象的なことは、首相になった後に成功が少ないということである。そうだった。案外忘れてしまったけど、支持率はその後急落していくのである。73年の石油ショックがあったとはいえ、74年ころの物価上昇はとんでもなかった。1年で3割も上がれば、後で賃上げがあってもついていけないし、人心不安を呼ぶ。選挙も不調だし、党内も割れた。その辺はもう詳しく書かないが、74年の「金脈問題」で命脈が尽きた。(なお、新史料として73年のヨーロッパ、ソ連訪問時の首脳会談が扱われ、大変興味深い。)

 今では周知の女性問題(妻の他に、子どもがいる女性が二人)も、当然触れられている。そこも大きかった。後援会である越山会の会計を預かる佐藤昭(のち昭子と改名)を表に出したくないという動機が様々な政治活動に影響を与えたのである。どうも一番愛したのは佐藤昭ではないかと思うけど、この本の中でも異様な存在感を持っている。佐藤からすれば、田中の金脈は自分が全部判っていてクリーンだと思っていたらしい。でも、この本によれば、田中関連企業が土地を東電に転売した柏崎刈羽原発の利益は、直接に目白台の田中邸に運び込まれて、ブラックマネーとなっている。

 新潟中越沖地震で大被害が起きた東電柏崎刈羽原発は、田中金脈だったのである。そして、1976年にロッキード事件で逮捕、起訴され、「闇将軍」として政治家人生を終わる。どうして裁判を抱えながら、田中派を膨張させたのか。いろいろな憶測が書かれている。1982年に鈴木善幸首相が突然再選出馬をあきらめたのも、この本では田中側の強引な要求があったのではないかとされている。具体的には判らないが、ロッキード裁判に関することではないか。

 ロッキード事件に関しては、田中角栄が「裸の王様」になっていたと指摘している。例えば、秘書の榎本は2日目に「自白」しているが、そのことを田中、あるいは弁護団に伝えていなかった。言えなかったんだろう。だから、裁判で検察側が明かしたときに防御ができない。(ただし、裁判開始前に証拠を全部開示しない検察側は、当時はそれが当然だったわけだが、アンフェアには違いない。)著者によれば、「裁判対策上は、授受を認めて、わいろ性を争った方がよかったのではないか」ということである。

 ロッキード事件では、最高裁が不起訴を宣明して、ロッキード社の社長らに「嘱託尋問」を行った。直接の贈賄側調書はそれしかないが、裁判で弁護側が反対尋問できない。本来、それが有罪の証拠になるのは問題で、実際にその後に最高裁で嘱託尋問は違法とされた。(最高裁が自分で自分を否定したのはおかしいが。)そうなると、「わいろ性」に関しては確かに法的問題は残るのである。ただし、「5億円の授受」そのものを田中側が完全否認したが、この本を読む限り、授受の否定は無理である。

 そうすると、「わいろではなくても」、外国企業から大金を受領したという事実が残る。保守政治家にとって、これは致命傷である。右翼からすれば「売国奴」と追及される事態である。そして、5億円は今でも大金だけど、当時はもっともっと大金だった。授受があれば、わいろ性も否定しきれないだろう。少なくとも国民世論的には。裁判上は「首相の権限」で否定できるかもしれないけど、子ども(特に非嫡出)のことを考えれば、外国企業からの資金授受は絶対に認めたくないことだったのだろうと僕は思う。

 田中派からは、後に竹下登、さらに橋本龍太郎、小渕恵三の自民党首相を産んだ。党を違えて、細川護熙、羽田孜、鳩山由紀夫も田中派だった。小沢一郎もそうである。だけど、21世紀には田中の政敵だった福田系の森、小泉、福田、安倍らが首相になり続け、旧田中系は全く影が薄い。それは何故か。それは僕にも今答えはないけれど、現在の政治理解のためにも、「ちょっと前の政治史」をきちんと知っておく必要は大きい。若い人にぜひ読んでほしい本。
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