尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

9条はペンディング、「駐留なき安保」から-「9条改憲」論⑤

2017年05月18日 21時14分33秒 | 政治
 「憲法9条改憲論」の話も長くなったので、最後に「自分はこう考える」というものを書いておきたい。もっとも、自分の理想と考える提案というわけではない。実現不可能なことをあれこれ書くよりも、当面このあたりでどうですかというものである。そういう生半可なことは良くない、仮に負けたとしても徹底して議論して結論を出すべきだなどと、僕も若いころには思わないではなかった。でも、歳とってくると、生きている間に実現不可能なことを一生懸命考える意欲が薄れてくる。

 江田憲司民進党代表代行が次のように発言しているけれど、僕も大体賛成である。
 憲法も「不磨の大典」ではない以上、時代の要請に応じて変えていけば良いと私は思います。しかし、その国政における優先順位は低いと言わざるをえません。今の日本の最大の政策課題とは何でしょうか?それは「世界一の少子高齢社会」への対応です。「2025年問題」と言われるように、団塊の世代(1947~49年生まれ/約800万人)が75歳(後期高齢者)を迎えるのが2025年なのです。これへの対応は喫緊の課題であり、時間は待ってはくれないのです。憲法改正には莫大な政治的エネルギーが必要です。そのことを考えると、そのエネルギーは、まず、この「社会保障制度改革」に優先的に投入していくべきでしょう

 まったくその通りだと思う。2020年に東京五輪が開催されることなど、日本国内の憲法論議と何の関係もない。安倍首相自らの任期が、2018年に自民党総裁に3選されたとしても、2021年に切れることになる。そのことを見込んで、要するに自分が総理大臣である間に、何でもいいから憲法改正したい。できれば憲法9条に手を付けたい。そういう思いしか伝わってこないのである。

 憲法9条に関して、条文と現実の間に「ねじれ」がある。というか「ねじれ」が意図的に作られてきた。そのことは間違いない。だが、「憲法9条」が「押しつけ」だというなら、自衛隊の前身の前身である「警察予備隊」の方がもっと明白「押しつけ」ではないか。憲法草案は国会で審議され承認されたのに対し、警察予備隊は1950年にマッカーサーの指令を受けて、政令で創設された。

 だから、保守派が占領終了後に「自主憲法制定」を唱えた時に、同時に自衛隊(前身の保安隊」をいったん解散して議論に臨むべきだった。その時点で、自衛隊の存在を自明の前提として、憲法の方を合わせろと言い続けたから、議論がずっとこじれているのである。もっとも、そうなるにはそうなるだけの事情もあったわけである。それは「警察予備隊」創設のきっかけとなった朝鮮戦争の認識が与野党で正反対だったからである。

 その意味では、憲法9条の「ねじれ」とは、単に国内問題で生じたのではなく、冷戦下の東西対立の国内版だたという方が正しいだろう。そして、その「冷戦」は世界的には1991年末のソ連崩壊で完全に終わったとされた。だけど、東アジアでは冷戦が終わっていない。南北朝鮮の対立、中国と台湾の関係など、第二次大戦直後に起きた対立関係が続いている。この「東アジア冷戦」は永遠に続くのだろうか。もし永遠に続くと決まっているのなら、それに応じた体制を作るのも必要だろう。

 だけど、まさか永遠に北朝鮮の現行体制が続くというものではないだろう。中国の政治、経済のあり方も、今後どのように変わっていくか、今の段階で簡単に予測できるものではない。僕は冷戦下で生じた「ねじれ」を今すぐ完全に解消しようとするなら、かえってさらに大きな「ねじれ」を呼ぶのではないのかということである。だから、9条のあり方を検討するのは、先送りすればいいじゃないかと思う。

 「9条ペンディング論」である。いつまでかというと、例えば当面のところ、2045年まで、つまり「戦後100年」までこのままとする。その頃には、日本の人口は1億人を切っている。戦争体験者はもういないし、「団塊の世代」も数少なくなる。その段階で日本の今後をどう考えるか。その頃の世代、21世紀に成長をした新しい世代(どれだけ期待を懸けられるかよく判らないけど)、とりあえずその世代に任せようではないかと思うのである。戦後20年ぐらいの間に生まれた世代は、それまでの間、日本が平和を実際に守り続けられるかに全力を注ぐ。そして、憲法9条の条文は、その間そのままとする。

 一方、「日米安保」も東アジアの冷戦が完全に終わらない間は、変えることがなかなか難しいと思われる。日米安保廃棄論が左翼(あるいは右翼)から提起されても、現在国会で多数を占めることは考えられない。(日米安保条約は、日本側が廃棄を通告すれば1年後になくなるわけだが。)朝鮮戦争に対して、当時の左翼勢力は「南側からの侵攻」だと主張していた。(70年代頃までは、そう書いてある歴史書もけっこうあった。)ソ連崩壊後に様々な資料が明らかとなり、現在朝鮮戦争は北側から侵攻したことは明白となっている。(中国の毛沢東とソ連のスターリンは、金日成の決断を了承していた。)
 
 そういう経緯を見ると、日米安保が戦後史の中で定着したこと、東アジア冷戦体制下で日本が米国側に組み込まれていったことを、すぐに変えられると考えるのは難しい。だけど、今や在日米軍は全世界に展開されるものとなっている。そのためにこそ、沖縄県に対する過重な負担が続けられている。もちろん、本土においても基地負担が大きなものがある。それに第一、「首都の空港(横田基地)に外国軍が常駐している」ということそのものがおかしい。(日本人は意識さえしなくなっている。)

 そうなると、かつて一部で唱えられた「駐留なき安保」を、とりあえず真剣に検討するべきではないかと思う。この間の「北朝鮮危機」に当たっては、米空母が日本近海に向かう、それは何日だという報道が続いた。つまりは、米軍の態勢が整わないうちは何も始まらないのである。かつての朝鮮戦争、あるいは91年の湾岸戦争、03年のイラク戦争名も、すべて同じである。日本は島国だから、外国陸軍に国境から直接侵攻されることはない。中国や北朝鮮と仮に何かあっても、米軍がすぐに展開されるわけではないはずだ。基地負担を少なくすることは緊急に必要なことだから、出来得る限り「駐留」を少なくすることで、大きな国論の分裂を避けながら進めていくしかないのではないだろうか。
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