尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

平林寺散歩

2016年12月05日 23時37分58秒 | 東京関東散歩
 埼玉県新座市にある平林寺(へいりんじ)に紅葉を訪ねる散歩。暑い夏や雨ばかりの9月には行けなかったので、最近は散歩に行きたい気分、。4日の日曜は混んでると思ったけど、暖かい日で散歩日和。旅行のバイキングで食べ過ぎたから、映画を見るよりカロリーを消費しないと。

 平林寺は、臨済宗妙心寺派の古刹で、今も中心あたりは修行のため入山禁止になっている。武蔵野の面影を残す広大な雑木林は、国の天然記念物に指定されている。「知恵伊豆」こと松平信綱一族の墓所がある歴史的に由緒ある寺院である。まずは紅葉の写真を。
   
 東京近郊では有数の散歩コースだけど、ずっと忘れていた。思い出したのは、獅子文六の「コーヒーと恋愛」(ちくま文庫)というユーモア小説を読んだからである。茶道のようにコーヒーをたしなむ「可否道」確立を目指す人々を描くが、最後の方で平林寺と思える寺(名前は違えている)で、「コーヒー野点」をしようとするシーンがあった。あ、ここは平林寺だな、若いころに行ったなと思い当たった。
  
 30年以上行ってないから、どこにあったっけと調べた。昔は西武線のどっかからバスで行ったと思うけど、JR武蔵野線新座駅から歩いて30分ほどとある。平林寺が近づいてくると、樹々の迫力に期待が膨らむ。だけど、中へ入れるのは「総門」だけなので、そこまでが長い。気持ちのいい道をずっと歩いて、新座市役所のところで曲がって、さらに歩く。500円払って入ると、やっぱり人が多い。入ってすぐに「山門」がある。額に「凌雲閣」と書いてある。上の写真は山門と放生池。その奥に仏殿と本堂があるが、人が多いうえ光線の具合でうまく撮れなかった。
   
 その奥に松平信綱一族の墓がズラッと並んでいる。平林寺はもともと1375年に岩槻(さいたま市)に創建された。それが1663年に現在の地に移された。川越藩主だった松平信綱の遺志によるものだという。ということで、信綱一族の墓所となったが、一族の墓がそろっているのは実に壮観。上の4枚目の写真は、島原の乱の供養塔で、乱後200年遠忌に作られたもの。信綱は鎮圧の総大将だった。
   
 あとは広大な散歩道を写真を撮りながらグルっと回る。どこで撮った写真か、自分でもよく判らないけど、奥の方に「もみじ山」という一角があり、モミジで言えばやはりそこらが一番だった。多少盛りを過ぎたかなと思うけど、十分楽しめた。上の3枚目の写真を見ると、野点をやれそうな感じ。やっていいのかはしらないけど。たくさんあるから、先に使わなかった紅葉の写真をもう少し。
   
 まあ、いくら載せてもきりがないので、もう終わり。他にも「電力王」松永安左ヱ門の墓もある。また野火止(のびどめ)用水がここを通っている。関東平野は火山灰の関東ローム層に覆われ、水の確保が難しい地域が多かった。そこでいくつもの用水が作られている。松平信綱はまず玉川用水を作り、さらにそこから分水して、東京都小平から埼玉県志木まで開削したのが野火止用水。寺や市役所の近くに野火止用水公園があった。そこらあたりまで小川のような用水が見られる。
   
 寺の真ん前に。松永安左エ門の地所だった「睡足軒の森」がある。また寺に沿った「大門通り」にある「たけ山うどん」はよく案内に出ているが、美味しそうな店だった。(満員で入れず。ここに新座市マップがある)。そして少し行くと市役所で、この期間の土日はオープンカフェをやっていた。用水公園から少し歩くと、農産物直売センターもあり、なかなか便利なコース。今度は新緑に来ようと思った。
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