尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

病む心知る人ぞのみ-鈴木重雄さんが東京新聞社説に

2017年07月16日 20時43分46秒 |  〃 (ハンセン病)
 鈴木重雄さんが東京新聞の社説(7.16付)で紹介されていました。
 政治も人も信じられない-。若い世代の嘆きの声が聞こえてきます。でもそんな今だからこそ紹介したい。東北の小さな町に、こんな、すごい人がいた。

 鈴木重雄(1911-1979)といっても、多くの人は誰だかすぐには判らないでしょう。鈴木さんは、宮城県北部の唐桑(現・気仙沼市)に生まれ、東京商大(一橋大)に進学しましたが、在学中に強制隔離の対象とされたハンセン病(らい病)を患い、瀬戸内海にある療養所・長島愛生園に収容されました。

 戦後になって「不治」と言われた病にも特効薬が生まれ、鈴木さんは回復者となりました。自治会長などを務めながらも、故郷のことを忘れず様々に尽力していました。そして「ハンセン病回復者の完全社会復帰第一号」となり、多くの人の支持があって、地元の町長選選挙に立候補しました。結果は183票差の落選ながら、ハンセン病の歴史に残る勇気ある行動でした。

 この選挙を応援に行ったのがFIWC(フレンズ国際労働キャンプ)関西委員会のメンバーで、社説内で紹介されている矢部顕さんもその一人でした。FIWCと唐桑とのつながりはその後も続き、東日本大震災で唐桑が大きな被害を受けた時にも多くのメンバーがボランティアに参加しました。その時には、鈴木さんは選挙後に唐桑作った福祉施設が避難所として使われていました。

 僕がFIWCの韓国ハンセン病定着村キャンプに参加したのは、1980年のこと。もうずいぶん昔のことになります。しかし、その縁が続いて、僕も大震災のボランティアに参加したわけです。そのキャンプの中心メンバーだった加藤拓馬君は、その後も唐桑の地に住みついて「地域おこし」活動を続けています。(「まるオフィス」のHP参照。)

 ここで載せた写真は、唐桑半島の先端にある国民宿舎にある銅像です。(2011.4.19撮影)僕が撮ったものです。東京新聞の社説を教材等に使う際は、ご自由に使ってください。
 東京新聞社説の全文は、東京新聞の社説サイトからお読みください。
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