尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ノーベル平和賞、サーロー節子さんの演説

2017年12月12日 22時58分35秒 | 社会(世の中の出来事)
 2017年のノーベル平和賞が「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN=International Campaign to Abolish Nuclear Weapons)に授与され、授賞式典ではカナダ在住の被爆者、サーロー節子さんも演説した。この演説が非常に力強い感動的なものだったので、ぜひ書いておきたいと思った。

 授賞決定に関してはここでは書かなかったけど、僕はできれば「日本被団協」との共同授賞が良かったと思う。今年は事前にはイラン核合意関係の授賞が有力とされていた。いずれにせよ、北朝鮮の核開発やトランプ政権発足があり、核兵器をめぐる授賞になるだろうと僕も予想していた。日本の「ヒバクシャ運動」に授賞することは、「戦争認識」問題を呼び起こす可能性があり単独授賞は難しいかもしれないが、もう残された時間が少ないのでぜひ授賞して欲しかった。

 核兵器禁止条約に関しては前に書いた。日本は真剣に条約加盟を検討するべきだ。核禁条約は、核兵器保有国との安全保障条約を禁じているわけではない。原子力発電などの核兵器以外の原子力利用を禁じているわけでもない。日米安保破棄、原発廃絶が条約の条件なら、それは安倍内閣にできるわけがない。でも、実際の条約は、日本が掲げる「非核三原則」と同じようなものではないか。「北朝鮮の核開発」が進む今こそ、条約加盟が日本の安全を高めるのではないかと思う。

 それはともかく、日本では条約締結前の報道が少なく、僕は「ICAN」という名前を知らなかった。だが日本語で聞くだけで、この略称のもとになる英語の団体名が想像できた。(前置詞が何かは判らなかったけど。)「I can」とも掛けられた覚えやすくて訴える力のある名前である。そして、カナダで活動を続けて、国際的に知名度があり英語の演説になれたサーロー節子さんが、事務局長のベアトリス・フィンとともに授賞演説を行った。演説全文は新聞やインターネット上で簡単に読めるが、僕はテレビニュースでも流れた英語の演説原文をぜひ知りたいと思った。

 非常に印象深い被爆直後の記憶を語った部分。
 米国が最初の核兵器を私の暮らす広島の街に落としたとき、私は13歳でした。私はその朝のことを覚えています。8時15分、私は目をくらます青白い閃光(せんこう)を見ました。私は、宙に浮く感じがしたのを覚えています。静寂と暗闇の中で意識が戻ったとき、私は、自分が壊れた建物の下で身動きがとれなくなっていることに気がつきました。私は死に直面していることがわかりました。私の同級生たちが「お母さん、助けて。神様、助けてください」と、かすれる声で叫んでいるのが聞こえ始めました。

 そのとき突然、私の左肩を触る手があることに気がつきました。その人は「あきらめるな! (がれきを)押し続けろ! 蹴り続けろ! あなたを助けてあげるから。あの隙間から光が入ってくるのが見えるだろう? そこに向かって、なるべく早く、はって行きなさい」と言うのです。私がそこからはい出てみると、崩壊した建物は燃えていました。その建物の中にいた私の同級生のほとんどは、生きたまま焼き殺されていきました。私の周囲全体にはひどい、想像を超えた廃虚がありました。

 英語では以下のようになる。
I was just 13 years old when the United States dropped the first atomic bomb, on my city Hiroshima. I still vividly remember that morning. At 8:15, I saw a blinding bluish-white flash from the window. I remember having the sensation of floating in the air.

As I regained consciousness in the silence and darkness, I found myself pinned by the collapsed building. I began to hear my classmates' faint cries: "Mother, help me. God, help me."

Then, suddenly, I felt hands touching my left shoulder, and heard a man saying: "Don't give up! Keep pushing! I am trying to free you. See the light coming through that opening? Crawl towards it as quickly as you can." As I crawled out, the ruins were on fire. Most of my classmates in that building were burned to death alive. I saw all around me utter, unimaginable devastation.

 長くなるので、全部は引用できない。最後のあたりを
 私は13歳の少女だったときに、くすぶるがれきの中に捕らえられながら、前に進み続け、光に向かって動き続けました。そして生き残りました。今、私たちの光は核兵器禁止条約です。この会場にいるすべての皆さんと、これを聞いている世界中のすべての皆さんに対して、広島の廃虚の中で私が聞いた言葉をくり返したいと思います。「あきらめるな! (がれきを)押し続けろ! 動き続けろ! 光が見えるだろう? そこに向かってはって行け」

When I was a 13-year-old girl, trapped in the smouldering rubble, I kept pushing. I kept moving toward the light. And I survived. Our light now is the ban treaty. To all in this hall and all listening around the world, I repeat those words that I heard called to me in the ruins of Hiroshima: "Don't give up! Keep pushing! See the light? Crawl towards it."  

 難しい英単語はあまり使われていないけれど、説得力が高い。こういうスピーチはぜひ教材として使って欲しいと思う。英語スピーチ原文は、新聞社のサイトなででは見つけられず、ノーベル賞の英語サイトを直接見てみた。いまサーロー節子さんの顔写真もトップに載っている。
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