尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

有害で危険-「9条改憲」論③

2017年05月16日 22時53分26秒 | 映画 (日本新作)
 安倍首相の言うところの「9条改憲」は、「不要」にして「無意味」だと書いてきた。でも、「不要、無意味」ならそれほど危険でもないんだろうという人がいるかもしれない。「メンドイ」から反対運動などしたくないというイマドキの日本国民の気分なら、やりたいんならやらせとけばになりかねいない。3回目は、今回の安倍首相の主張は、危険で有害、一種のトリックを含んだものだという議論をする。

 2回目に、「違憲論は変わらない」と書いた。理論上の問題としてはその通りだと思う。だけど、安倍首相の頭の中では、あくまでも「現時点での任務をこなす自衛隊」を書き込むということだろう。2014年の閣議決定で、自衛隊に関する内閣の憲法解釈は大きな変更を見た。それを前提にして、2015年に集団的自衛権を部分的に解禁した安保法制を成立させ、すでにその新法制に則った業務が始まっている。先には「米艦防護」も現実に実施された。

 一昨年の法案審議時には「ていねいな説明を行っていく」と言っていたのに今回の命令に関しては何の説明もない。もっとも、米艦が襲撃される可能性が皆無の状況で、単に日本の太平洋側を航行する米艦に海上自衛隊の護衛艦が「並走」しただけとも言える。それでも「米韓防護」を行ったという「実績」を作ったことにするのだろう。こういう「自衛隊」をそのまま憲法に書き込む。「自衛隊」ではなく、すでに「他衛隊」でもあるという現実を隠ぺいするトリックというしかないではないか。

 先の集団的自衛権をめぐる議論を見ていると、現政権では「憲法に書いてあること」(の合理的な解釈)ではなく、「政権が強引に解釈すること」が優先するということが明白だ。そういう安倍首相が「憲法に明記しよう」などと言うとき、それが何を意味するかはよく考えないといけない。「憲法に明記された自衛隊」は、現時点で許容される範囲を超えた活動ができると言い出しても決しておかしくないだろう。

 建前上は「専守防衛」であるはずの自衛隊は、すでに相当に高度の装備を備えている。憲法に書いて「合憲性」を誇ることとなれば、「自衛のためならば、何でも可能である」という議論が出てくるだろう。すでに「自衛のためには、先制攻撃が認められる」という人までいる。それは「自衛」じゃないだろう。また「自衛のためには、核兵器も保持できる」という人までいる。「大量破壊兵器」の核兵器を(9条1項、2項があるならば)持てるはずがないではないか。

 そうなると、「憲法が禁じているのは侵略戦争」であり、「それ以外のすべて武力行使は自衛のために許される」という解釈が出てくる。ところで、安倍首相は日本の「侵略戦争」を認めていない。後世の歴史家にゆだねるとか言うけれど、要するに「侵略」と言いたくないのである。ということは、「自衛隊」の名のもとに、今や何でもできる武力組織が内閣の解釈変更次第で誕生する。もちろん、そのような危険性は、憲法に明記しなくても起こり得る。だが、憲法9条は「戦力の制約」に一定の限度となってきた。「憲法明記」に成功した首相は「より一層の戦力拡大」に向けて高揚するだろう。

 そもそも「憲法9条」は単なる国内規定ではない。極東委員会での議論を見ても、日本が国際社会に受け入れられるための、「戦争責任認識」という性格を持っていたのは明らかだ。日本が米軍と一体化する中で、9条に自衛隊を明記する。「現状を追認しただけ」というのは、国内向けには通用するかもしれないが、周辺諸国は納得できるだろうか。

 「違憲かもしれないが、何かあれば、命を張って守ってくれ」などと言う表現を見れば、いよいよ「自衛隊が戦争に参加する日が近いのだ」と受け取る人がいても不思議ではない。遠からぬ将来に「自衛隊の戦死者」が想定されるということが、憲法改正提案の裏にあると言っては「邪推」だろうか。安倍首相の人柄を信用できるなどという人もいまだ多い日本では、そんなことは言い過ぎだと言われるかもしれない。だけど、「安倍首相の人柄」を思えばこそ、この提案が危険で有害なものに思える。

 それを傍証するのは、今回の提案のやり方である。国会で国民の代表に向け説明する、あるいは自民党総裁として自民党大会で表明する、あるいは「一国会議員」という立場で「文藝春秋」「中央公論」等の(数週間程度は買いたい人が求められる)雑誌に寄稿するなどの方法をいずれも取らなかった。「改憲派の集会」に向けたビデオメッセージ、及び政権支持がはっきりしていて、改憲要綱も発表している読売新聞の取材に応じる。これでは「天下に信念を問う」というフェアな感じがない。

 「仲間うち」に向けて言ってるわけである。もともと「仲間」なんだから、ホントはもっと踏み込みたいという「ホンネ」は共有しているだろう。2年前の「解釈改憲」も支持した人たちである。当然のこととして、「とりあえず書いちゃえば、後はまた解釈変更でなんとでもなる」と仲間同士の阿吽の呼吸で判りあう関係である。これが今回の改憲提案のホンネにあるものだと僕は思う。だから今回の「改憲提案」は本質的に危険性をはらむと思うけど、同時にまだ考えなくてはいけない問題も多い。その最大のものが「日米安保条約」である。そのことを次回に。
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