尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「淵に立つ」という問題作

2016年10月27日 21時25分34秒 | 映画 (新作日本映画)
 今年(2016年)のカンヌ映画祭「ある視点」部門審査員賞を受賞した深田晃司監督の「淵に立つ」が公開されている。非常に緊迫した場面が連続する映画で、傑作とか秀作といった言葉より、まず「問題作」と言いたくなる作品。あまりに重いので、多くの人にはおすすめできないほどだが、今年の日本映画有数の作品なのは間違いない。1980年生まれの若い監督による人間凝視である。
 
 地方で町工場を営む一家。夫は無口に新聞を読み、妻は一人娘のオルガン教室の発表会にしか関心がなさそうだ。そこに突然、八坂(浅野忠信)という男が現れ、夫は何か弁解しながら彼を雇うことにする。何か夫と八坂の間には因縁がありそうだけど、その理由は明かされない。次第に明らかになるのだが、八坂はかつて殺人を犯して刑務所を出たばかりなのである。オルガンを弾けて、娘に教えるようになり、妻に近づいていく。妻はクリスチャンで娘とともに教会に出かけているが、八坂も一緒に日曜礼拝に行くようにもなる。夫は古館寛治、妻は筒井真理子という俳優が演じているが、特に筒井真理子は圧倒的な存在感で画面を支配していて、一瞬も目を離せない。

 画面はほとんど固定されていて、そこで二人(時には一人または三人)が会話(または会話にならない何か)を交わしている。そういう静かな人間凝視が延々と続くのかなと思う頃に、画面は手持ちカメラのゆれに変わる。何度かそういう場面があり、そこで驚くようなドラマ(悲劇)が起きるのである。最近になく、展開の読めない、何が起こるのか全く判らない緊迫感が後半を包んでいる。前半で破局があり、後半は8年後である。ビックリして言葉もないような構成で、心して見ないといけない。快い映画ではないけれど、一年に数本はこういう映画が必要なんだと思う。一般向けとはいいがたいけれど。

 深田晃司(1980~)は、映画美学校で映画を学び、その後平田オリザの劇団青年団の演出部に所属した。異色の経歴だが、けっこう今までに多彩な作品を撮っている。2013年の「ほとりの朔子」しか見ていないが、これは二階堂ふみ主演の青春ドラマで、不思議なムードが漂っていてかなり好き。昨年は平田オリザの進めるアンドロイド演劇の映画化「さようなら」が注目されたが見ていない。過去には東映アニメでバルザック原作をアニメ化した「ざくろ屋敷」など、面白そうな作品がある。(今後シアター・イメージフォーラムで監督の特集上映が行われる。)

 確かな才能を感じる力作だけど、一体これをどう評価すればいいんだろうという思いが最後まで残る。「闖入者」が家庭に入り込むという設定は、安部公房の戯曲「友達」やパゾリーニの映画「テオレマ」を思わせる。前半だけなら、「異人」が家庭の欺瞞を暴くという構造で理解できなくはない。でも、途中からラストに至る展開は、想定を覆していく。もともと八坂という男の言うことには、理が勝ちすぎて危うさをはらんでいたと思うが、それにしてもの展開である。何があろうが、人間には「生きている」ということだけが残る。その危うい緊迫感は、まぎれもなく「映画を見る体験」だったけれど、けっこうつらいものでもあった。そこまで作れるのも若いということかもしれない。
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