尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「行人」-漱石を読む⑦B

2017年10月01日 22時33分34秒 | 本 (日本文学)
 夏目漱石を読むシリーズで「行人」を読み終わった。数日前になるから忘れないうちに書いちゃいたい。文庫本で430頁もあるから、「吾輩は猫である」や「明暗」と並ぶ巨編である。でもあまり取り上げられないし、読んでる人も他の作品に比べれば少ないんじゃないか。でも会話が多いうえドラマチックな映像的描写も多く、案外読みやすい。なかなか重要な作品だと思う。

 「行人」は1912年12月から1913年11月まで朝日新聞に連載された。ただし、途中で胃潰瘍のため、5カ月の中断期間があった。1912年の7月30日に明治天皇がなくなり、大正と改元された。だから、漱石では「彼岸過迄」が明治最後の作品で、「行人」が大正時代に書かれた最初の作品となる。

 内容は4部に分かれていて、「友達」「兄」「帰ってから」「塵労」の4章。当初は後に長野二郎という名前だと判る人物が、高野山に友だちと行こうとして大阪に行く。一緒に行く友達の「三沢」を待ってる間、東京の実家でかつて書生だった「岡田」という家に泊まる。ということで、何が起こるのか判らないんだけど、実はこの二郎は語り手であって、真の主人公は兄の一郎だということが判ってくる。

 三沢がなかなかやってこない間、二郎は長野家で「下女」をしている「お貞」の結婚相手に会う。岡田とその妻「お兼」(昔長野家に仕えていた)が進めている縁談である。こういう風に最初は「結婚」をめぐる社会小説かと思うと、今度は三沢が大阪で入院していると判る。その病院で入院している女をめぐってあれこれと語り合う。そんな感じでなんだか判らないんだけど、大阪が舞台。

 そこへ2章になって、兄夫婦と母が大阪へやってくることになる。この際どこかを訪れようと、和歌の浦に行くことになる。このように名所が出てきて、そういう面白さもある。だんだん判ってくるのは、兄夫婦の不和。兄の妻「直」には一女があるが、結婚前から二郎と知り合いらしく、兄は自分になれず、弟には親しんでいると疑っているらしい。そこで兄は弟に、妻を連れ出して心の内を確かめてくれと言い、二人で和歌山へ行く。ところが突然集中豪雨になって、帰りの電車が不通となり市内に一泊せざるを得ない。天候の急変と兄嫁との関係が絡み合い名場面になっている。

 その後、東京へ帰るが、家じゅうが兄を敬遠している感じで、学究肌の兄もみなに親しまない。二郎は実家を出ることにする。妹の「お重」も出てくるが、結局兄の一郎をどう理解するか。癇癪持ちで、父親さえ接しあぐねている。二郎は三沢を通じて、兄を旅行に連れ出してもらおうとする。そして、同行のHさんから来た長い長い手紙で物語は突然に終わってしまう。

 どうも病気がはさまって、やっぱり構成がよくない。でも、悩む本人の語りではなく、周りの人物の目で描かれるので、だいぶん本格小説っぽい感じがする。それに大阪や和歌山、あるいは東京でも舞楽の会に行くなど、動きがあって面白い。当初は主題が「結婚」のように進行していて、兄夫婦、それに二郎や友人の三沢、妹のお重などずいぶん人物も出てくるので、そういう風に結婚をめぐって展開するのかなと思う。だが、やっぱり途中で転回してしまう。

 それは兄の一郎の「悩める知識人」という問題である。これは漱石にもそういう部分があるから書けるんだと思う。大きく言えば、急激な近代化の中で、自分の拠り所を持てない知識人の自我の悩み。だけど、現実には周りに人間がみな愚かに見えて、自分の悩みを判ってくれないと思い、周囲の人物を疑っていく。それは明らかに精神疾患に近いと思われる。彼の学問そのものが、外国のものを日本の現状を無視して受けいれるものだった。そういう中で精神のバランスを失っていったのだ。

 都市知識人の苦悩、というよりも、初老期の被害妄想あるいはうつ病に近い感じを僕は受けたけど、それが結構よく書けている。ただし、その救いが宗教にあるかもと思うようなところに、時代の限界があるかもしれない。案外面白く書けてて、割と読みやすいけど、やっぱり基本的にはもう古いような気はする。
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