尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「高等教育無償」の改憲は不要

2017年05月13日 23時14分20秒 | 政治
 安倍首相が「2020年施行」を目指して、憲法改正を行うべきだと表明した。改憲項目としては「9条改憲」と「高等教育無償化」を挙げている。この問題をどう考えるべきか、数回にわたって考えてみたい。

 しかし、その後の国会審議などを見ていても、今度の安倍首相の改憲案はそもそも一体なんなのだろうかという疑問がつきない。元の発言は改憲集会へのビデオ・メッセージだった。その時の内容を国会で問われると、「自民党総裁としての発言」だという。自民党には野党時代にまとめた、大層ご立派な「日本国憲法改正草案」が存在しているではないか。あれはどうなったの? 勝手に無視していいの? そういう人をトップに頂いていて、自民党員は何も言わないのだろうか。

 内容を国会で問われると、「読売新聞を熟読せよ」とのたまう。この対応は、安倍晋三という人をよく示している。そういう不真面目な改憲提案を考えるのも、どうなんだろうと思う。でも、この首相を支持する国民がまだかなり多いという現実がある。放っておくこともできない。では、読売新聞を購読してない人はどうすればいいのか。国会議員は国民の代表である。国民の代表に対して、「読売新聞を読め」というんだったら、当該記事部分を全国民に配布して欲しい。(安倍氏の個人負担で。)

 それはさておき、「憲法9条」はともかく、「高等教育無償化」はどうなんだろうという人も多いかと思う。まずはそっちから考えてみたい。この問題は「日本維新の会」がよく言ってるから、まずは「維新対策」として取り上げたんだろうと思う。僕も、高等教育無償化を実質的、漸進的に進めていくことには大賛成である。だけど、改憲項目に取り上げる必要はない

 その理由はいくつかあるが、まず第一に、憲法改正を行わなくても無償化は実施できるということがある。憲法を改正してしまうと、無償化に関わる財源をどうするかという問題がある。財源問題が決着しないと、「高等教育とは何か」をめぐって、当初から違憲訴訟が起こりかねない。一方、改憲をきっかけに「増税」を行うとしたら、それもおかしな話ではないか。

 ちょっと関係の憲法項目を見ておきたい。それは憲法26条である。
第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
○2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする

 この条文の「子女」が当初「児童」だったことは、ちょっと前の「日本国憲法の誕生 増補改訂版」の話で書いた。とにかく、ここで「義務教育無償」が書かれている。一方、日本政府も批准している「国際人権規約」では以下のように書かれている。(外務省訳)

(a) 初等教育は、義務的なものとし、すべての者に対して無償のものとすること。
(b) 種々の形態の中等教育(技術的及び職業的中等教育を含む。)は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、一般的に利用可能であり、かつ、すべての者に対して機会が与えられるものとすること。
(c) 高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること。

 この項目をかつての自民党政権は「保留」にして人権規約を批准した。その保留を撤回したのが民主党政権である。そして、政権に復帰した安倍内閣は「高校無償化政策」に変更を加えた。このように、「中等教育無償化」が完全に実現できてない日本で、一気に全面的な高等教育無償化を目指すというのは、ちょっとおかしい気がする。もっと言えば、自分で高校無償化に「所得制限」を行った安倍首相が言い出すのは、矛盾も甚だしいというしかない。

 もともと民主党政権の高校無償化でも、「留年すると授業料がかかる」「授業料の安い定時制、通信制ではかえって負担増になりかねない」などの問題があった。(そのことは当時のブログで指摘した。「留年してはいけないのか?」「定通はかえって『損』なのか」を参照。)

 このような日本の現状を考えると、高等教育無償化が実現したとしても、「高等教育とは何を指すか」でギクシャクすることも予想できる。学校教育法第1条にある「大学及び高等専門学校」は問題ないが、それ以外はどうなるのだろうか。短大は大学だろうが、各種の「専門学校」はどうなんだだろうか。あるいは「大学院」は紛れもない高等教育機関だけど、ここも一気に無償化できるのか。

 短期大学を卒業すると「短期大学士」、高等専門学校(高専)を卒業すると「準学士」の称号を得る。一方、専門学校(専修学校の専門課程)を卒業すると「専門士」という称号になる。実社会では、専門士の称号を持っていると、短期大学士と同等の扱いを得られることが多いようだけど、「高等教育の範囲」を考えた時に大学以外が後回しにされる可能性があるのではないか。

 「高等教育無償化」と言っても、少子化で入学定員充足が難しい私立大学を助ける制度にしかならない可能性も高いのではないだろうか。現在の日本では、保育士介護福祉士が求められている。それらの資格は、大学ではなく専門学校で取得するケースがほとんどだろう。そのような専門学校の学生への支援にならない制度ではおかしい。

 むしろ、今度新たに作られる「給付型奨学金」制度を大幅に拡充するというようなことから出発するのが、現実的なんではないだろうか。教育の無償化といっても、学校の授業料をタダにするだけでは済まない。無償の小中でも、給食費、制服代、修学旅行代、運動着や運動靴、部活動関係の諸費用など各種の負担がけっこう重い。地方自治体では、所得に応じて修学旅行費や給食費の補助を行っている。そのような制度を高校生や大学生を持つ家庭にも、拡充していくことも大事だろう。

 そのようなことを総合的に考えると、「高等教育無償化」を憲法で権利として規定するよりも、政策的優先度を考えながら漸進的に進めていくということでいいように思う。特に「公立中学、高校で制服がいるのか」などを新しい目で考え直す必要もあるだろう。それと、僕が最近必要だと思っているのは、「給食費の無償化」である。現在給食を実施していない学校を含めて、義務教育では給食費をなくしてしまっていいのではないか。

 今まで「昼食費は自己負担」が当然視されてきた。だけど、満足な食事を家で取れてない家庭もかなりある。学校で食事を提供することを、若い世代への支援として考えていいように思う。それは同時に、(給食費徴収に悩む)学校教職員への支援であり、働く女性への支援でもある。給食調理員の雇用も増える。そして、「地産地消」で地域の農業支援にもなる。特に米作農家や牛乳農家への支援という意味で、波及効果が大きい。僕は給食費無償化を真剣に検討するべきだと思う。
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