尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「文」「理」「体」「美」の温泉論-温泉の話③

2017年01月29日 20時20分23秒 |  〃 (温泉)
 文系理系という分け方がある。でも、これからの時代はそれぞれバラバラではダメで、「文理融合」の発想が必要なんだともよく言う。僕は温泉こそ、一番「文理融合」の考え方が役に立つんじゃないかと思う。まず、温泉というものはそれ自体が「地学的現象」であり、自然環境とともにある。(いまでこそ深層ボーリングで都心にも温泉を名乗る施設があるけど。)と同時に、温泉はただお湯が出ている場所ではない。日本に暮らした先人たちが、温泉を単なるお湯ではなく、健康、信仰、行楽の癒し空間として整備してきた。このように、「自然」と「歴史」があいまって温泉というものがある。

 と同時に、「文理」だけでは不十分だという気もする。僕はもともと教育には、文系、理系と分ける以前に「論理」の大切さ、論理的思考の重要性という役割があると思う。だけど、それだけでは不十分だろう。世の中は論理だけではない。「身体性」や「美的感覚」がとても大事で、それは学問、芸術だけでなく、ビジネスでも必須の感覚ではないかと思っている。だから、「文」「理」「体」「美」という発想法が大事で、それが温泉を考えるときにも役立つ。温泉こそ、「文」「理」「体」「美」を統合するものじゃないか。

 自分なりに「良い温泉」というものを考えてみる。そうすると、まず第一に「効能」や「かけ流しかどうか」といったことがあがる。宿や観光地の選択ではなく、「温泉選び」なんだったら。入ってみると明らかに「ここは凄い」という泉質もあるのである。そういうのは、結局は「火山の恵み」である。自然湧出のお湯でも、非火山性の場合も少しあるらしいけど、やっぱり温泉のほとんどは火山性である。

 温泉は大体山や海の絶景近くにある。たまに田んぼのど真ん中に湧き出したところもあるけど、大体は美しい景色の中にある。国立公園、国定公園に指定されているところも多い。温泉という現象は火山のもたらすものだから、当然である。伊豆のように海辺に温泉がズラッと並ぶところもあるが、伊豆半島そのものが北上して本州にくっついた。海辺といっても、伊豆という火山性地形の一部なのである。

 日本列島のほとんどの温泉は同様だろう。だから、温泉は「自然科学的理解」がないと判らない。温泉がある山や海も自然観察に向いている。自然を満喫したいと思って温泉に行く人も多いだろう。だから「理系」的な感覚が温泉選びにも必要だ。山へ行けば植生が変わる。動物に会えることも多い。冬の奥日光をスノーシューで歩き回れば、多くの動物たちの足跡を確認できる。それも温泉の楽しみだ。

 一方、温泉には「温泉神社」や「温泉寺」があるところも多い。歴史的に信仰の対象になってきた証である。湧き出るお湯を温泉として利用してきたのが、日本民衆の歴史である。戦国時代には「信玄の隠し湯」と言われるように、戦傷者の回復に利用されたらしい。(近代に作られた観光伝説も多いと思うが。)近代になると、観光に利用されるようになり、大きな旅館も作られた。それでも農閑期の湯治のような利用は、今も各地の小さな温泉地に残っている。日本の風土を思う時、夏の高温多湿、冬の多雪や乾燥に対して、温泉に癒しを求める民衆的心性が作られてきた。日本の歴史、民俗を考えるヒントが温泉にある

 さて、僕はその上にさらに、温泉を通して「体」と「美」を考えたいのである。「体」といっても、スポーツをするということではない。スポーツ合宿をしてもいいし、登山やスキーを温泉を拠点にするのもいい。特にスポーツ医療の点では、温泉はもっと貢献できるはずだと思う。ケガをしたスポーツ選手の回復を、温泉に作られた科学的な拠点施設でじっくり取り組めたら、非常にいいことではないかと思う。福島県いわき市の白鳥温泉には、ケガした競走馬のための馬の温泉がある。人間の温泉療法も、もっと組織的に行うべきだと思う。

 だけど、僕がここでいうのは、むしろ「体の声を聴く」というようなこと。運動能力を競うのではなく、「体を育む」という本来の意味での「体育」である。温泉にじっくり浸かって、自分の身体と向き合い、運動や食の改善を行うような体験である。高齢化が進行する中で、一泊して豪華な食事を頂くというのではなく、「健康増進としての湯治」が今後もっともっと求められていく。それはきっとアジア各国からも多くの観光客を集めることになると思う。

 ただ温泉に浸かるだけではなく、ウォーキングのコースがいっぱい整備されているような温泉地の方が面白いと思う。僕の好きな日光湯元温泉を初め、草津や八幡平、八甲田などの温泉地が思い浮かぶ。八甲田山麓の蔦温泉には、天然のブナ林と沼を巡るコースがある。秋田の乳頭温泉郷は、全部泊まるわけにもいかないけど、どこかに泊まって他の秘湯を歩いて回る人々でいつも一杯である。「温泉聖地巡礼」といってもいい。

 そうやって訪れる、蔦温泉のブナ林、あるいは奥日光の湖の景観などは、とても美しい。美的に癒されると思う。温泉はそれに入る楽しみだけでなく、歩いて健康になり、周辺の自然環境の美に触れて心もリフレッシュする。一方、歴史的景観の美というものもある。山形県の有名な銀山温泉のようにレトロな温泉街そのものが、美的な興奮を呼ぶところもある。また、僕の大好きな長野県別所温泉のように、温泉地の中に史跡が多く、安楽寺の八角三重塔のような国宝指定のものまである。裏山のてっぺんにあるから、下から歩いて段々と近づいてくるまでに、ああ、美しい建物だなあと思う。

 そういう温泉地が僕は素晴らしいと思うのである。僕の好きな温泉を思い浮かべてみると、泉質がいいうえに、周辺の景観が美しく、そこをウォーキングする楽しみがあるような場所が多い。それをまとめてみると、このような「文」「理」「体」「美」の発想になる。そしてその考えは、温泉だけでなく他のことを考えてみるときにも、きっと役立つんじゃないかと思っているわけである。
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