尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「チア☆ダン」と「ハルチカ」-部活映画の構造①

2017年04月23日 23時07分53秒 | 映画 (新作日本映画)
 実録映画の話はまだ数回分あるんだけど、ちょっと間を空けて、その前に「部活映画」の話を書きたい。もともと「部活動のあり方」論を書きたいと思っているんだけど、僕が書いても変わるわけではないから、いつでもいいやと先送りしている。「部活映画」も部活動への問題意識もあって見るんだけど、その結果何が判るか。見てから時間も経って忘れないうちに書いておかないと。

 まず、「チア☆ダン」だけど、近年の正統的部活映画の収穫だと思う。「部活映画」というのは、「変格的コメディ」としての「ウォーターボーイズ」や、「反部活映画」である「桐島、部活やめるってよ」などの方が作品的には成功しやすいと思う。成功した正統派としては、大林宣彦の「青春デンデケデケデケ」などを挙げてもいいが、あれはむしろ直木賞受賞作映画化という「文芸映画」で、ノスタルジックな青春映画という趣が強い。中高の部活が出てくる映画は多いけど、部活が中心じゃない映画が多い。

 「チア☆ダン」は「~女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話~」という長い副題が付いている。だから、実話だということは全員が承知して見ることになる。(福井県立福井商業高校がモデルで、映画では福井中央高校。撮影は新潟の長岡を中心に行われた。)この映画の「成功」の最大原因は実話性にあると思う。映画の途中でどんな困難が待ち受けていたとしても、最後は成功すると思って見ていられる。何も全米制覇しなくても日本代表になっただけで凄いんだし、日本一にならなくても2位だって凄い。だから実話じゃなければ、全米制覇したらかえってウソっぽく見えるに違いない。

 アートシネマではこんなにうまく行くとおかしい感じがするけど、エンターテインメントなんだから定型でいいのである。チアダンスの世界など観客も知らないから、「実話」だということで映画の骨格が定まってくる。また、小説やコミックの映画化だと「生徒の論理」だけで進むことがあるが、実話だということで指導教師や周辺のおとなの事情も描きやすい。そこで「複合的な視点」で描かれることでうまく行きやすい。と言っても、まあ学校側の対応や教師の描き方はパターンを脱していない。
 
 「チア☆ダン」(河合勇人監督)の主演は広瀬すずで、去年の「ちはやふる」では競技かるた部で大活躍した。あの映画では設定上、もうすでにかるた名人であり、問題は学校にかるた部を作れるかにあった。「チア☆ダン」では広瀬すすは素人で始まるので、ドラマ性はより高い。共演の中条あやみ(「セトウツミ」でヒロイン一期(いちご)役)や山崎紘菜(大林亘彦「長岡花火物語」や「野のなななのか」に出ているが、それよりTOHOシネマズの映画館で上映前にいつも見ている顔)は最初からうまいことになっている。広瀬すずの「ひかり」は、「笑顔」がいいけど、途中で怪我して大会に出られなかったりするドラマがある。米国大会の前日にはさらにすごいドラマがあり、顧問の教師と対立もする。

 もう一本「ハルチカ」も部活を舞台にした青春映画である。星野源初主演映画「箱入り息子の恋」を撮った市井昌秀監督作品。僕は知らなかったんだけど、初野晴の原作は「日常の謎」系のミステリーシリーズだそうである。映画はオリジナルストーリイで、青春映画色が濃い。「セーラー服と機関銃」リメイク版のヒロイン橋本環奈が「チカ」、映画初主演の佐藤勝利が「ハルタ」で、幼なじみの二人を合わせて「ハルチカ」である。チカは高校では吹奏楽部に入ると決めてフルートも買ってしまっているが、高校では吹奏楽部消滅の危機にある。校長に頼み込んで、「何とか9人の部員を集めれば存続」となる。

 このように「ちはやふる」も含めて、「部活映画」では「部の存在」そのものが問題になっている。「チア☆ダン」では、やる気のない生徒を前に「バトントワリング部」を教師が「チアダンス部」に変えてしまう。それもけっこうムチャである。映画では校長が部活もなんでも決めているけど、「校務分掌を無視する」のが学校もののパターンである。普通は部活の問題は生活指導部の管轄で、校長は後で聞くだけだろう。部活新設のルールはあるはずで、人数がそろわなくても「同好会」でスタートできるはずだ。何も一年目で大会に出なくてもいいので、「ちはやふる」や「ハルチカ」は本来同好会でスタートするべきだ。

 だけど、まあそれじゃドラマが作れないし、高校の3年間をひたすら駆け抜けるのが青春部活映画というものである。だが、そこに様々な事件というか、ドラマが起こってくる。大体4つぐらいになるかと思う。①生徒の中に不登校とか、進学を考えて辞めさせたい親などが出てきて、そろわないといけない人数に危機が訪れる。これは団体競技的性格(演劇部などの場合も含めて)を扱うので重大なのである。②より高い技量を求める顧問教師との対立。顧問にやる気がなくても生徒だけでも活動はできる。だからドラマとしては顧問が熱心で技量も高いことで、ドラマ性を作ることになる。実際、大会優勝を目指すとなれば、相当高い要求をしていかないとダメだろう。

 ③続いて、部員あるいは部員以外との友情や恋愛が部活に問題を引き起こす。これも定番である。だが、部活映画ではそれはかなりあっさりと描かれることが多く、部活そのもの、スポーツや音楽などの感動がいざこざを消してしまうことが多い。④それより深刻なのは、部員相互の力量差である。「チア☆ダン」では、もともとうまい生徒とうまくないけど入ってきた生徒がいる。「ハルチカ」では、よりによって部活存続の中心だったチカが、高校に入って音楽を始めたんだから一番ヘタである。「ちはやふる」では5人の力量に差があり過ぎて団体戦勝利が難しい。

 これは現実にも大変な問題だけど、優勝まで考えない多くの学校の場合は、まあ何とかなるわけである。甲子園出場が見えてくるレベルだと、レギュラーをどうするか。あまりうまくない3年とうまい新入生の問題など、部活ドラマはそこに焦点を当てることが多い。それもこれも、「団体競技」を描くからである。「部活動を通して人間陶冶を目指す」という日本の教育のタテマエがそこに見える。マンガがうまければ、学校外でプロを目指す「バクマン。」になる。実際校外でアイドル活動をしている人もいるわけだが、「部活映画」ではあくまで「学校中心主義」が貫かれる。

 結局は「ひたすらなる練習」こそが「技量の差」を克服する唯一の道であるというのが、多くの「部活映画」の答えだ。主役はそれなりのスターが配役されているので、最後には団体としてのまとまりが回復され、大会でうまくいくわけである。それでいいのかと思うが、エンタメ映画では成功例しか出てこないからやむを得ない・現実にはケガなどで部活を辞めると、そのまま高校を退学する例も多い。部活内部のやる気の有無、というかやる気の方向性の違いから、人間関係が修復不可能になることも多い。それは「部活映画」には出てこない。もっとビターな青春映画の分野なんだろう。
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