尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

草枕、二百十日、野分-漱石を読む③

2017年05月19日 22時53分32秒 | 本 (日本文学)
 漱石連続読書の第3回。夏目漱石全集の第3巻。「草枕」「二百十日」「野分」の3作品が入っている。1906年から1907年にかけて書かれた作品で、「坊っちゃん」(1906)と「虞美人草」(1907)の間の作品。「草枕」が一番有名で、前にも読んだことがある。他の2作は漱石全体の中でも、そんな小説あったっけという感じだろう。でも、「草枕」はけっこう難物で、若いころに読んだ時には全然判らなかった。
 
 冒頭が有名だけど、「智に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」というのが、今ではもうちょっと考え込まないと意味が取りにくい。その後も、人生論や芸術論が多くて、なんか取っつきにくい。それに漱石の(明治人の)漢文素養に付いていけない。だから「草枕」の文章リズムが素晴らしいと言われて、判ることは判るけど、こっちはいちいち注を見ないといけないのでリズムになかなか乗れない。

 とまあ、そういう問題もあるし、一般的な小説における「個人」が描かれないから、ちょっと詰まらない。でも、漱石はこれを「俳画」のような作品、一種のイメージの連鎖のようなものとして書いたのだから、小説としての結構を批判しても仕方ない。ヒロイン格の那美の人物が描かれてないなどという批判も無意味だろう。確かに読後に、いくつものシーンでの那美の映像がくっきりと思い浮かぶ。

 と同時に、読み直してみたら、これは(「猫」などと同じく)日露戦争の「銃後小説」だったことに驚いた。戦争で婚家が破たんして実家に戻った「出戻り」、再度召集され「満州」へ向かうその甥、同じく「満州」へと流れていくかつての夫。その3人を風景の中に点描する画家の主人公。美しい風景の奥に、厳しい歴史の風が流れている。今読むと、むしろそっちが心に残る。

 この小説の舞台が熊本県玉名市の小天(おあま)温泉だというのはよく知られている。2011年に熊本を訪れた時に、そこへも行った。旅館としては「那古井館」があって立ち寄りできる。それよりも「草枕温泉てんすい」という大きな立ち寄り湯もあった。(草枕山荘という宿泊施設もあるようだ。)どっちもなかなか気持ちがいいお湯だった。一度ちゃんと泊まってみたいものだ。

 那美のモデルは、民権運動家前田案山子(かがし)の娘(つな、1867~1938)だとされている。その妹、槌は宮崎滔天の妻である。そこらへんの関わり具合が面白いけど、省略。前田家の別邸が残っていて、草枕の浴場というのもある。それは確かに小説の中の有名なお風呂の場面にそっくりだった。「草枕交流館」というのも近くにある。「草枕」もずいぶん観光資源になっている。
 
 孤高のピアニスト、グレン・グールドが「草枕」が好きだったというけど、世界にもファンが多いらしい。もちろん英訳で読んだわけだろう。僕は一度「草枕」の英訳の再翻訳を読んでみたい気がする。もちろん漢詩なんかは、普通の現代詩として訳すのである。もっと「草枕」が現代人に受けるんじゃないか。

 「二百十日」は、読みやすいけど明らかに失敗作。ほとんどすべてが登場人物二人の会話だけという変な小説で、それも中身は阿蘇登山の失敗期である。この二人の話が全然面白くないのである。二人が地図もなく、案内人もないまま、火山灰がふる阿蘇山を登っていくという無謀ぶりに驚いた。いくら何でも20世紀になってるんだから、もう少し噴火にも、登山そのものにも慎重さが必要だろう。案の定、迷ってしまって大変なことになる。いや、いろんな小説があるもんだ。

 「野分」(のわき、のわけ)は「台風」のことだから、「二百十日」(立春から数えて210日目のことで、台風の多い日とされる)とほとんど同じ意味である。でも、中身に台風は出てこない。「二百十日」よりは面白いけど、まだ小説家途上の作品という感じ。中学教師として地方へ行きながら3回にわたって土地の有力者と衝突して東京へ戻ってきた白井道也という男がいる。世に入れられず、教師をあきらめ筆一本で立とうとしている。つまり漱石の自己戯画化のような設定である。

 中学時代に白井を追い詰めた生徒の一人、高柳は今は自分も大学卒業後に窮迫し、かつては悪いことをしたと思う。高校からの友人、中野は親が裕福で暮らしに困らない。自分も作家として少しは知られる存在で、今は雑誌の記者をする白井が中野の談話を取りに来る。そんな因縁の3人、そして白井の妻と中野の新婚の妻を配置し、一応小説としての登場人物がそろう。でも、どうもドラマとしての発展が弱く、ラストのオチも見え見え。だけど、白井夫人が夫を責めるところなど心に刺さる。

 3作、あるいは今までの作品すべてに言えるけど、漱石という人は「論を立てる人」だなと思う。言いたいことがいっぱいある。社会に対する不平不満もため込んでいる。それを一応、実生活では俳句を作ったり、ユーモア小説を書いて「余裕派」を演じている。そのぐらいの配慮はできるんだけど、相当に不敵な論客だと思う。よくぞ小説家としてあれほど大成したものだ。評論家や学者の方が向いてたんじゃないかと思う。実際にそういう方面の業績も素晴らしいし。
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