尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

驚くべき傑作、インド映画「裁き」

2017年08月10日 23時00分43秒 |  〃  (新作外国映画)
 2014年に作られたインド映画「裁き」が渋谷のユーロスペースで公開されている。もう上映も最終段階(12日からはユーロライブでモーニングショーだけとなる)なんだけど、時間がうまく合わなくて今日になってやっと見に行った。これは製作当時27歳だった若き監督チャイタニヤ・タームハネー(1987~、Chaitanya Tamhane)の驚くべき傑作である。ビックリするほど完成度が高い。

 いろいろと内容的に驚くことも多いんだけど、そのようなインドの社会的状況とは別に映画としてよく出来ている。カメラはほとんど動かずに画面の中を見つめている。最近は手持ちカメラで臨場感をリアルに描き出すような映画が多い。それに対して、「裁き」という映画はひたすら見つめる中でインド社会を描いている。画面の構図的安定もあって、じっくり考え込んでしまうシーンが多い。

 「裁き」(COURT)という映画は、一言で言えば題名通り「裁判映画」なんだけど、事件の推移をミステリー的に追うのではなく、裁判に関わる人々の点描を通してインド社会の構造を描いている。どこが舞台かと思って見たが、インド最大の都市ムンバイ(旧ボンベイ)の郊外。ムンバイ中心部の高層ビルなどは全く出てこない。インド社会の知識がないとよく判らないところが多いけど、それでも監督・脚本のチャイタニヤ・タームハネーが何を目的として映画を作っているのかは伝わるだろう。

 この映画は日本で言えば、周防正行監督の「それでもボクはやってない」と同じような動機で作られている。監督自身が自国の裁判を傍聴して、実際の裁判はこんなものなのかという驚きがある。「それボク」は「痴漢冤罪」をテーマに日本の「人質司法」を告発しているが、冤罪支援運動に関わって40年もたつから僕には何の驚きもなかった。むしろこの程度の微温的な描き方で驚いている人がいるのにビックリした。でも「裁き」の方は、ある歌手の歌を聞いて「自殺」した人がいるということで、その歌手が「自殺ほう助」で逮捕起訴されている。これにはさすがに驚いた。

 近代的な法概念からすると実体的な犯罪行為になってないじゃないか。それに女性検事が同僚に「懲役20年がふさわしい」なんて雑談している。日本では自殺ほう助罪は最高刑でも懲役7年(6カ月以上)である。(ところで「自殺ほう助」と字幕に出ているが、「自殺教唆」というべきだろう。「ほう助」は具体的に手助けしていないと成立しない。)それにそもそも「自殺」だったのか。弁護士が追及していくと、だんだん自殺ではなく事故だったという真相が見えてくる。 

 なんでこんな裁判が起こされたのか。そうすると、映画では「表面上は隠されていること」があることが判る。それはインドの身分制度(ヴァルナ制度、日本ではよく「カースト制度)と言われる)の問題である。起訴された歌手、ナーラーヤン・カンブレが過去に関わった政治運動で「ダリット」という言葉が出てきたのでやっと僕にも判った。冒頭の歌の集会でカンブレが歌っているとき、後ろで大きな肖像写真がある。誰だったかなと思いつつ判らなかったけど、プログラムを見てアンベードカルだと判った。「インド憲法の父」と言われた「不可触民」(ダリット)解放運動の政治家である。
 (ビームラーオ・アンベードカル)
 インド人だったら当然すぐに判ったことだろう。もともとカンブレは反体制運動の中で歌を武器にしてきた人で、ずっと弾圧されてきたことが判る。そもそも歌の集会そのものが違法で、それは「演劇法」で規制されているという。そんな法律がインドにはあるのか。人権派弁護士が付いて保釈を要求するが、こんな程度の事件で保釈すら認められない。審理は遅々として進まず、一回の法廷はあっという間に終わる。(他の事件だけど、証人の女性がノーブラで来たら法廷侮辱で審理中止になった。)

 弁護士の家庭では両親が過干渉である。検事の家庭では、一家で演劇を見に行くがそれは「移民を認めるな」というヘイトスピーチみたいなコメディである。ここでいう「移民」とは外国からの難民ではなく、ムンバイに流れ込む他州の移民を追い出せと言う主張で、ヒンドゥー至上主義的な政党が言っているんだろう。また裁判長は事件を置いといて夏のバカンスを取ってしまうが、旅先で孫が「発達障害」(落ち着いて座ってられないというからADHDである)だと聞き、婿が療法士を付けたというのに対し、それもいいけど「名前を変えた方がいい」「パワーストーンの指輪をさせろ」などと言っている。

 日本だって、最高裁判所長官を務めた「法の番人」が、退職後は「憲法改正運動の代表」になるという「伝統」がある国だから、他国をあれこれ言う資格もないだろう。でも、これがインドの司法なんだなと思わせる恐ろしさがある。インドと言えば、ちょっと前まで中国、ロシア、ブラジル(及び南アフリカ)と並んで「BRICS」と呼ばれて経済的発展が注目された。でも今ではどこの国も、大きな問題があることがはっきりしてきた。インドも独自の法慣習が「障壁」になっている国である。

 この映画は僕が初めて見た「マラーティ語」の映画である。マラーティ語というのは、ムンバイがあるマハーラーシュトラ州の公用語。7千万以上の話者がいる。弁護士は英語かヒンディー語でやってくれと要求したが却下されている。インドの公用語は英語とヒンディー語だが、州の裁判所は州の公用語でいいんだろう。弁護士は他州からムンバイの大学へ来た人だからマラーティ語は不得意なんだということだと思う。ムンバイはインド映画界の中心だから、今までヒンディー語の映画が多い。

 ヒンディー語の映画に限らず、ラジニカーントらの超絶アクションが有名なタミル語映画、サタジット・レイのアート映画はベンガル語、あるいは巨匠アラヴィンダンのいたケララ州のマラヤラム語。それらの言語の映画はもういくつも見ている。他にも各地方で作られた映画も何本かは見ているかもしれない。でもムンバイはヒンディー語が多いので、民衆は違う言葉だったのかと驚く。まあ、聞いただけでは英語か、英語じゃないか程度しか僕には判らないけれど。
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