尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

文世光(ムン・セグァン)事件の長い影

2017年06月09日 20時57分53秒 |  〃 (歴史・地理)
 連続企業爆破事件のことを書いたので、昨年来書いて一度書いておこうかと思っていた「文世光事件」についてこの機会に書くことにする。「文世光事件」と言っても、もう若い人は聞いたこともないんじゃないかと思う。1974年8月15日に、在日韓国人の文世光(ムン・セグァン 1951~1974)が、韓国大統領朴正熙(パク・チョンヒ)を狙撃した事件のことである。銃弾は大統領夫人の陸英修に当たり死亡した。(また、警備員が撃った流れ弾が合唱団員の女子高生に当たって死亡した。)

 この事件は日本の警察史上最悪レベルの大事件である。南北朝鮮も忘れてしまいたい事件かもしれないし、「思い出したくない人」が多いから忘却されているのだろうか。だけど、これほど長い影響を与え続けている事件もないように思う。ただ、それが「文世光事件の影響」かどうかを知らないだけだろう。今、日本の警察史上最悪と書いたけど、なんで日本の警察が関係するのかと言えば、犯行に使われた拳銃が、大阪市にあった派出所から盗まれたものだったからである。

 警察から拳銃が盗まれただけでも大事件だが、それが実際に使われ、隣国の大統領夫人を死亡させたというのだから、不祥事中の不祥事である。「過激派」の武器奪取事件が70年代初期にはかなり起こっていた。警察は国内の「過激派」を疑っていたのだろう。まさか外国に持ち出されて使用されるなど想定していなかったに違いない。どうして国外への持ち出しが可能だったか。また韓国への持ち込みも可能だったのか。そして一番重大なのは、なぜ「光復節」の会場に入れたのか。

 当時の韓国は、朴正熙大統領の強権政治のもと、経済成長が続いていた。1972年7月には「南北共同声明」が発表され、南北は平和裏に連邦制で統一するとされた。だが実際には北は南の経済成長に、南は北の一党独裁に警戒感を持ったと言われる。その後、朴政権では反対派への弾圧を強め、金大中氏の拉致事件が起きる。1971年の大統領選で朴大統領に肉薄した野党指導者・金大中が、1973年8月8日、東京のホテルグランドパレスから拉致されたのである。米国が介入し何とか殺害だけは食い止められたとされる。この事件以後、日韓関係はギクシャクしていたのである。

 そういう中で、文世光事件が起きた。彼が疑われずに韓国に入国できたのは、協力する日本人名義のパスポートを使ったからである。(協力者は事件後に日本で逮捕された。)そして、警戒が厳しいはずの会場にも、高級車で乗り付けて日本人招待客を装ったとされる。それにしても、拳銃を持った一般人をチェックできなかったのだから、韓国警備当局も大失態に違いない。文世光は現行犯逮捕され、死刑判決が下された。年末に執行されたが、そのときまだ22歳だった。 

 この事件そのものは、「朝鮮総連の指令」とされている。文は韓国系の民団に所属していたが、朝鮮総連が接触したのである。当時の韓国は独裁政治だったから、北朝鮮の方が良い国家だと思う人々もかなりいた時代である。南北朝鮮は厳しい対立が続き、どちらも国連に加盟していなかった。今からすれば「テロ」になるけど、文にすれば「愛国的決起」ということになるだろう。朝鮮総連だけで事件を起こせるはずはなく「本国の指示」があったんだろうと思うが、それは解明されていない。文は死刑執行時に犠牲者に謝罪するとともに、「朝鮮総連にだまされた」と述べたとされる。

 この事件の「長い影」とは何だろうか。その最大のものは、朴大統領の子どもたちから母親が奪われたということだろう。1979年には朴正熙大統領も金載圭KCIA部長に暗殺される。母亡きあとファーストレディ的に活動していた次女(後妻の陸英修との最初の子)の朴槿恵(パク・クネ)は両親を失った。その朴槿恵に接近したのが、キリスト教系新興宗教の指導者・崔太敏と崔順実(チェ・スンシル)だった。韓国大統領朴槿恵が罷免されたスキャンダルは、文世光事件に遠因があると言える。

 日本では「在日青年の決起」に衝撃を受けた「東アジア反日武装戦線」による連続爆破事件が始まる。もともと「虹作戦」は昭和天皇が戦没者追悼式典に参列するため那須御用邸から戻ってくる8月14日に決行するはずだった。8月15日は、日本では「終戦記念日」などと言われるが、韓国では日本から解放された「光復節」である。大道寺らは、自分たちが出来なかったことを文世光が決行したと感じただろう。だけど、今から当時を振り返れば、この連続爆破事件こそが60年代末からの「反乱の季節の終わり」をもたらしたものだった。一つの節目になったのは間違いない。

 それ以上に重大な問題は、この事件が「日本人拉致事件」につながった可能性が高いことである。「北」からすれば、同族である「在日僑胞」をリクルートして「南」の解放戦士に仕立てることの方が簡単なはずである。だが、文世光事件以後は「在日韓国人」の韓国滞在への監視が厳しくなる。在日韓国人留学生などの「冤罪スパイ事件」は当時100件以上起こった。その後の韓国民主化で再審無罪になった人が多いが、当時は非常に重大な人権問題として日本でも救援運動が続けられた。

 そこで文世光が成功させた「日本人に成りすます」作戦が対南工作の中心になったと思われる。大韓航空機爆破事件のキム・ヒョンヒ(金賢姫)の例で判るように。そのためには「日本語教師」を務める日本人が必要になり、「では連れて来よう」となったんだろうと推定できる。拉致事件が頻発した70年代末期には、まだ金大中事件、文世光事件で切れた情報協力が再構築されていなかったと言われる。こう見ると、文世光事件が拉致事件のきっかけになったと考えていいのではないかと思う。

 このように、1974年の文世光事件は、単なる暗殺事件と見るわけにはいかない。歴史的に様々な影響を与え続けた事件である。そして、もう一つ、当時は北朝鮮ではまだ金日成の後継は決まっていなかった。まさか金正日金正恩と一族で「革命の血」を受け継いでいくなど、「社会主義」を掲げた国で起こるはずがないと大方が思っていた。そんな「北朝鮮」でなぜ金正日が権力を握ることができたのか。もしかすると、金正日にとってもこの事件は非常に大きな意味をもっていたのかもしれない。
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