尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

追悼・陳舜臣

2015年01月22日 21時31分48秒 | 〃 (ミステリー)
 作家の陳舜臣が亡くなった。僕が最も熱心に読んだ作家のひとりである。あまりにもたくさんの著書があるので、その半分も読んでないと思うけど、何十冊もの素晴らしい歴史ロマンを堪能したものである。1月21日没、90歳。老衰ということで、年齢を考えれば特に悲しみに暮れるということもないけれど、非常に残念な訃報であることは間違いない。

 陳舜臣は現代日本でもっとも学識豊かな作家だったと言ってもよく、マスコミの訃報も歴史作家としての経歴を中心に書いてある。もちろん、それも素晴らしいのだが、陳舜臣の出発はミステリー作家である。もっともそれはある意味、身をやつした姿とも言えるだろう。神戸の台湾系の生まれだが、もともとは中国本土から台湾に移り、さらに神戸で貿易商をしていた由緒ある家の生まれである。大阪外大の印度語科で司馬遼太郎の一年先輩にあたる。母校に残って研究者に進むところ、日本の敗戦にともない日本国籍を喪失し、退職して家業に就くよりなかった。このように台湾系中国人に生まれ、日本で育ち、ヒンディー語、ペルシア語を学んだという経歴から、アジアの歴史、文化にただならぬ知識を有することが理解できる。しかし、その陳舜臣の持てるものを戦後日本は生かし切れなかった。

 その鬱屈の生活からミステリー作家が誕生する。そういう人はけっこう多いが、趣味と頭脳と退屈を生かして、謎とトリックの考案に熱中するわけである。そうして生まれたのが、江戸川乱歩賞受賞の「枯草の根」(1961)。中華料理店主の名探偵、陶展文の誕生である。このシリーズは、神戸の描写も魅力的で、トリックと人物とロマンの加減もよろしく、僕の大好きなミステリーシリーズだ。「三色の家」「割れる」「虹の舞台」など、どれも面白くて余韻がある。さらに歴史ロマンを書くようになり、1968年に短編集「青玉獅子香炉」で直木賞を受賞。1970年には歴史ミステリー「孔雀の道」「玉嶺よふたたび」で日本推理作家協会賞を受賞した。僕が特に好きなのは、「玉嶺よふたたび」。日中戦争を背景にした青春ロマンミステリーで、中国側から見た日本軍を考えるためにも必読だが、清冽な抒情があふれて忘れがたい。
 
 もっともその時期には、陳舜臣の仕事は歴史小説に移りつつあった。最初が「阿片戦争」全3巻(1967)で、これも素晴らしく面白い。こういう小説は、歴史学からはフィクションと扱われ、純文学からはエンターテインメントと思われる。そのうえ、大衆文学からも「マジメで長すぎる」「中国近代史に関心がある人向け」と扱われやすい。だけど、歴史小説というものが「読んで面白くて、知識も得られてためになる」をベースにして、さらに歴史や異文化への理解、日本と中国の近代史への理解を読者にもたらすという、非常に幸福な読書体験をできるのである。

 陳舜臣の歴史小説は、脇役に架空の人物を配しつつ、筋と主要人物は歴史的事実のみを正確に叙述するというスタイルが多い。司馬遼太郎の歴史小説が、ともすれば「上から整理して俯瞰した」印象を与えるのに対し、陳舜臣の小説は登場人物とともに生きて呼吸して考える感じがする。もっと評価されるべき歴史作家だと思う。「阿片戦争」以後、「太平天国」「江は流れず 小説日清戦争」と近代史を描くが、だんだん中国史全般から材を取るようになり「秘本三国志」「小説十八史略」などを書く。しかし、最高の達成は「チンギス・ハーンの一族」全4巻ではないか。ものすごく長いが、とにかく面白い。
 
 これらの小説を書くとともに、ものすごく多数の歴史エッセイを書いている。それらは中国と日本への深い知識とともに、インドやペルシア、トルコなどへと関心は広がり続け、恐るべき才能と言うしかない。しかし、そういう人はつい「自分は何でも知っている」「こんな難しい知識を知ってるか」といった文章を書きたくなってくる。しかし、陳舜臣の書くものに限って「知識をひけらかす」ことが一切なく、非常に判りやすい。とにかく判りやすく、誰でも読めるように書かれている。そのことがいかにすごいことか、強調しておかなくてはいけない。歴史、特に中国と日本の近代のありように関して正しい知識を身に付けることは、日本人にとって絶対に必要なことである。しかし、それは中国に対しても、日本に対しても、正しい知識があるだけではダメで、あふれるような愛情と心の底からの尊敬がなくてはいけないと思う。陳舜臣の本を読んでいて思うのは、その愛と尊敬の深さである。(だが陳舜臣が最も愛していたのは、神戸という特別のトポスだったのだと思うけど。)

 陳舜臣の本は、今もなお多数の文庫が入手できるし、図書館などでもいっぱい入っていると思う。是非、手に取って読んで欲しい作家である。どんな分野の本でもいいから。「面白くてためになる」とはこういうことか、と実感できる。最後に僕の一番好きな本をあげておくと、「桃花流水」という新聞連載小説(中公文庫に入っていた)で、清冽な歴史ロマンが思い出深い。
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