俺らが老人になったころには今からは想像もつかない娯楽のナニカが登場していて、俺たちは「大の男の暇潰しがナニカではいけない。課金ゲームやCDに握手券が付いてアイドルを応援するだけで、豊かな気分になれるんだよ。大人の男になれ」っつってる
まあヨソでも言われてたけど、教養がコミュニケーションに必要になる上流階級ならそれやればいいんじゃないっすかね。でも俺ら庶民にそんなこと言われてもね。
昨日のツイートに対して、じゃあ、大人の男は何に金を使えばいいのかというリプライが複数来たのだが、大の大人が何に金を使うか人に教えてもらわないとわからンのかなあ。(小池一夫)
だってねえ、ちょっと前までの一般的な大人の男の金の使い方って「嫁子供のため」でしょう。嫁子供いない人間がどうすりゃいいのって思うのは当たり前でしょう。
伊藤さんのおっしゃることもよくわかります。しかし、箸や飯茶碗を美しいものを選ぶのなンて、金のかかることではない。横暴と言われるかもしれませンが、大人はピンクのプラスチックの箸ではなく、塗りの箸で飯を食う姿を子どもに見せるべきなのだと思うのが僕の信条です。(小池一夫)
そもそもそんな姿を見せる「子供」がいない大人が増えてる、という問題があると思うんですよね。でもって、いたとしてもそれはそれで、箸がどうたらとか重要なファクターじゃないっす。
漫画も面白いけど文学もめちゃくちゃ面白いよ、牛丼もうまいけど丁寧にだしをとった料理もめちゃくちゃ美味いよ、コーラもうまいけど丁寧に淹れたお茶は美味いよ、皆が魯山人になる必要はないけど箸置きのある食卓もいいよ。ただ、それだけのことです。世界は0か100じゃない。(小池一夫)
「君の趣味も楽しかろうけどこういうのもいいよ」っていうアプローチはいいと思うんですが、最初に「そんな趣味やってるなんて君は子供だな」と言ってしまっているのがまずいと思います。
そもそも「大人の男」扱い自体にそれほど魅力感じないんだけど、それは自分が大人の男なる記号を自認することができないあたりに理由があるし、その記号を自明とするような価値圏の人間に好意を抱かないため認められたいという意欲が湧かず、認められることで実利を得られる階級でないのも現実
嫁も子供もいない三十路四十路の、エリートでもないし特にパッとしてもいないオッサンが小池氏の言うところの「大人の男」になったからってそれがなんなの、みたいな感はある。