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築地中央卸売市場の散策

2015-04-05 | 散策

築地中央卸売市場の散策

 

4/2(木)、元の会社のOBたち8人(うち女性1人)で、築地市場界隈を散歩しました。
来年11月ごろには、豊洲に移転するそうなので、その名残の見物です。 

いい天気でした。
 

私も含め、みんな年をとりました。
昔の元気さは、口だけです。足はよろよろ、ドタドタ・・・?!

 

築地市場駅前で落ち合い、ぞろぞろ市場の方へ移動しました。

今日の散策場所は下の図です。歩いたコースはよく覚えていません。

あちこち歩き回りました。

感心したのは、忙しく作業している人たちは、
『邪魔だ、邪魔だ、どいた、どいた~!』と、怒鳴りたいところを、
我慢してか、皆さん、いやに静かで、親切でした。 
 (午前9時まで一般参加者は入場禁止)

場内は手狭で、ごちゃごちゃ立て込んでいました。
市場としては、もう限界のようです。
天井も、雨が降ったら、濡れるだろうと思います。 
豊洲に引っ越すのは、潮時のようです。

 

それにしても、発泡スチロールの箱が多いこと。
以前は、それらが全部木製だったかと思うと、世の移り変わりの激しさに驚きます。

 

場内を、恐る恐る歩いていると、マグロ等の魚のの解体があちこちで見られました。

    


以前から、築地市場はなぜ円弧を描いた建物なんだろうと、不思議に思っていました。

それが、今回すこーし解りました。

江戸時代から続いた日本橋魚河岸は、大正12年(1923)の関東大震災で壊滅し、

今の土地に臨時の東京市設魚市場を開いたのが、、築地市場の始まりだそうです。

そして、市場の建物が弧を描いているのは、貨物列車を中心にした市場だったからのようです。
これらの建物に線路が平行し、それを利用して鮮魚貨物列車が出入りしていたそうです。

それが、現在はトラック輸送になり、建物だけが従来通り残ったそうです。

ネットには、
「市場の青果門付近から朝日新聞社の脇を通って旧汐留駅跡へと伸びる細い歩道が残っています。
その歩道には踏切の警報機も残っています。」

とありましたので、3日後に、見に行きました。

ところが、汐留駅跡から朝日新聞社の辺りは、道路などの大工事で、
そんな形跡は全く見られませんでした。
僅かに、それらしき跡を撮影してきました。

  

 

場内には、古い場所らしく、いわれある神社が祀られていました。
 波除(なみよけ)稲荷神社です。 

  

中央区教育委員会の説明板によると、
「・・・創建は万治年間(1658~1661)と伝えられています。
築地一帯の埋立てが進められた万治年間、波浪により工事が難航を極めた際、
海中に漂う稲荷明神の像を祀ったところ波浪が治まり、埋立工事が無事完了したと云われています。
『波除』という尊称はこの故事に由来するもので、
江戸時代以来、航海安全や災難除け・厄除けなどの神として人々に厚く信仰されてきました。

波除稲荷神社の祭りは、江戸時代から獅子祭りとして知られ、
祭りの際には数多くの獅子頭が街を練り歩きました。・・・」
と、ありました。

そうして、一応場内を一巡りして、近くの築地本願寺にお参りしました。

この建物だけは、和風ではなく異国風です。

説明板によると、
「・・・江戸浅草御坊と称された当寺院は、明暦三年(1657)の大火で焼失した後、現在地に移転・再建されました。
特に本堂の大屋根は、江戸湊に入る船の目印であり 、江戸市民によく知られた名所の一つでした。

江戸時代から明治期にかけて何度か再建された木造の本堂は、
大正十二年(1923)の関東大震災で焼失した後、昭和九年(1934)に現在の本堂となりました。

・・・設計者の建築家・伊藤忠太は、日本の伝統的な寺院様式ではなく、
仏教の発祥地であるインドの建築様式を独自の解釈で外観に取り入れ、
特異な雰囲気をもつ伽藍を創出しました。・・・」

道理で、他では見られない外観です。

 

そして、その後は、長年の旧交を温めあいながら、銀座で一杯!!

 

 

 

 


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