水兵本部広報局

明治時代の大日本帝国海軍 海兵隊について、これまで調べた事等を紹介するブログです。

海兵隊砲歩各隊における隊長職の階級と氏名

2017-07-22 00:12:22 | 資料・規則等
明治9年9月11日の資料。海兵隊解体時点での各隊主要幹部の階級と氏名です。
?内は文字が読めなかった箇所。
取り消し線部は資料でも同様に削除されていた箇所である。

・砲兵大隊
   大隊長    海軍少佐  大野義範
   副長     海軍大尉  坂本基桂
  ・一番小隊
    小隊長   海軍大尉  石田熊六
    半隊長   海軍中尉  堀 正
    分隊長心得 海軍少尉補 久武禎蔵
               同    森有兄
  ・二番小隊
    小隊長心得 海軍中尉  長井利英
    半隊長心得 海軍少尉  佐着平内
    分隊長心得 海軍少尉補 原田主馬
               同    浜田新之丞
  ・三番小隊
    小隊長心得 海軍中尉  九里孫次郎
    半隊長心得 海軍少尉  坂本俊一
    分隊長心得 海軍少尉補 西季重
  ・四番小隊
    小隊長心得 海軍中尉  池田貞周
    半隊長心得 海軍少尉  魚住守節
    分隊長心得 海軍少尉補 安住保弘
  ・例外
    砲兵隊砲兵教官 海軍大尉  池辺弥一郎
    同副教官    海軍中尉  但馬惟賢
    砲兵隊射法教官 海軍中尉  三原經備
    同隊教佐    海軍大尉  古屋 ?
              海軍少尉  詫間教治
    同隊主計掛   海軍中尉  川上親英
    同隊給養掛   海軍大尉  倒川尚義
               海軍中尉  秀島成債
               海軍中尉  寺内道呼?
               海軍少尉補 濱武岸生

 ・歩兵大隊
   大隊長勤務  海軍大尉  村岡道純
   ※明治6年7月13日、松岡方祇少佐が大隊長に任命されたが、同年7月24日に撤回。
   副長     海軍大尉  ?住成貞
           同    志岐守行
   ※明治6年8月15日、一番小隊長 徳田盛芳大尉、二番小隊長 村田道純大尉が副長に任命。
  ・一番小隊
    小隊長    海軍大尉  木藤貞良
    半隊長心得  海軍少尉  林幸雄
    分隊長心得  海軍少尉補 西直資?
  ・二番小隊
    小隊長心得  海軍中尉  松村義擻
    半隊長心得  海軍少尉  蓑田春堯
    分隊長心得  海軍少尉補 岩氶縄矩?
  ・三番小隊
    小隊長心得  海軍中尉  大久利利貞
    半隊長心得  海軍少尉  島川宗儀
    分隊長心得  海軍少尉補 乗?田景幸?
  ・四番小隊
    小隊長心得  海軍中尉  馬屋原孝範
    半隊長心得  海軍少尉補 青木行恒
    分隊長心得  海軍少尉補 徳久武宜
  ・五番小隊
    小隊長    記載無し
    半隊長心得  海軍少尉補 ??隆長
    分隊長心得  海軍少尉補 ??村緒?
  ・六番小隊
    小隊長    記載無し
    半隊長心得  海軍少尉補 ?瀬勇七
    分隊長心得  海軍少尉補 池村譲助
  ・七番小隊
    小隊長心得  海軍中尉  北郷次郎
    半隊長心得  海軍少尉  小芦弥八郎
    分隊長    記載無し
  ・八番小隊
    小隊長心得  海軍中尉  二階?智行
    半隊長心得  海軍少尉  柴田五郎次
    分隊長心得  海軍少尉補 東?義正
  ・九番小隊
    小隊長心得  海軍中尉  利屋道四郎
    半隊長心得  海軍少尉  木村信?
    分隊長    記載無し
  ・十番小隊
    小隊長心得  海軍中尉  大塚勝作
    半隊長心得  海軍少尉  小畑?穂
    分隊長心得  海軍少尉補 町田実義
  ・例外
    歩兵隊教佐  海軍中尉  髙坂元顕
                同    新納時亮
    同隊射法教官 海軍中尉  寺岡求馬
    同隊主計掛  海軍少尉補 渡邉徤
    同隊給養掛  海軍中尉  肥後芳智
              海軍少尉  児玉利武
                同    山田中三
           海軍少尉補 二?良作?
    同隊舶砲教官 海軍中尉  飯田信呂?
    同隊砲兵副教官 海軍少尉補 翔田景林
    兵学寮舶砲??掛 海軍少尉 堀?太

以上の一覧から以下の事がいえる。
一. 砲兵大隊は四個小隊を、歩兵大隊は十個小隊を内包する
一. 大隊長は少佐もしくは大尉が務めており、大尉が務める場合は大隊長勤務と称す。
一. 大隊副長は大尉が務める。
一. 小隊長は大尉が務め、中尉が務める場合は小隊長心得と称す。
一. 半隊長は中尉が務め、少尉が務める場合は半隊長心得と称す。
一. 分隊長は少尉が務め、少尉補が務める場合は分隊長心得と称す。
一. 各大隊には教官・主計掛・給養掛が数名ずつ所属している

ところが、澤鑑之丞 著「海軍七十年史談」では若干異なっている箇所が存在している。
以下は、同書より抜粋した記述である。なお、藩名等一部省略している。
『水兵本部長以下各士官・砲兵・歩兵は何れも各藩から募集された。
 ・本部長心得  海軍中佐 唯 武連
  同次官心得  海軍少佐 大野義方
    同    海軍少佐 松岡方祇
 ・砲兵科令長  海軍少佐 大野義範
  同副長    海軍少佐 肥田有年
 ・歩兵科大隊長 海軍少佐 徳田盛芳
  同副長    海軍大尉 村岡道純
         以下略                  』

澤鑑之丞 著「海軍七十年史談」では、「歩兵科大隊長 海軍少佐 徳田盛芳」と記されていたが、徳田盛芳は明治9年の雲揚艦沈没時に死亡しており、その際の階級は大尉であった。
澤は明治8年6月1日海軍省出版「海軍省及所轄寮部所府諸艦船分課一覧」を参照してこの表を作成しているが、徳田盛芳は当該資料が出版された時点では海軍大尉であり、確認できる限りその死後も少佐に昇進していないことから、徳田大尉が歩兵少佐であったとは考えにくい。
とはいえ、当該資料が間違っていたのかどうかについては当該資料を参照しておらず、また当該資料の存在がインターネット上では確認できないため、現時点では断定できない。

とまあ、ここまでつらつら書いてきましたが、途中からですます調を忘れてますね(汗)。
長文を書いているとつい論文書く時の癖が出てしまいます。
以上です。

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