玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

個人的痛みとしての「セクハラ被害」と社会的問題としての「セクハラ論」

2009年02月16日 | 日々思うことなど
バレンタインデーに「はてなブックマーク」界隈で盛り上がったのは、甘くて苦いチョコレートの受け渡し問題   …ではなくて、セクシャル・ハラスメントの話題だった。なんとも無粋な話ではある。
発端となった記事はこれ。

id:ekken さん、性的いやがらせはやめてください(再追記アリ - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake

はてなブックマーク - id:ekken さん、性的いやがらせはやめてください(追記アリ - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake

関連記事はコメントが並んでいる下にある「このエントリーを含むエントリー」「このエントリーを含む日記」をたどってください。


中島義道の影響なのか、それとも以前からそうだったのかわからないが、このごろ私は「個人的な価値観」「自分自身の好き嫌い」「体験・肉体と思考の不可分性」といったことにこだわっている。たとえば何か事件や問題が起きたとき「自分は何を正しいと思うか」「自分があの人の立場だったらどうするだろう」「あの人ならこういう考え方をしても当然だ」といった具合に、特定の人間(主に自分)を出発点にしていろいろと考えてみる。一つの視点だけでは奥行きがつかめないので、誰かの視点を仮に借りて立体視を試みる。
「誰でもない客観的な立場」「神様や鳥が下界を見下ろす視点」が得られれば利用するけれど、自分が常に物事を客観視できるとは思わない。中立で客観的な視点は、それこそ賢者でないと自分のものにはできない。だから、セクシャル・ハラスメント(以下セクハラ)問題についても自分の立場で自分の考えを書く。
「自分の立場で自分の考えを」書くのは当たり前だろう、と思われるかもしれないが、実はそうでもなかったりする。
社会的な問題を語るときに、「中立的な立場で」「正しい考えを」書こうとする人は少なくない。よく言えば思弁的で普遍性のある、悪く言えば頭でっかちで肉体性の感じられないご立派な正論。どうもそういうのが苦手で、なかなか読む気になれないし、読んでも頭に入ってこないのである。


私が思うに、セクハラを受けるのはつらい体験、精神的な痛みであり、それは満員電車の中で足を踏まれるのに似ている。
「ちょっと待て、どこが似てるんだ」と怒られそうだが、このたとえは個人的にけっこう気に入っている。

「足を踏まれた側の痛さと、踏んだ側の自覚のなさ」
「切羽詰った足の痛みと、それが誰にも共有してもらえないつらさ」
「小声で被害を訴えても聞いてもらえず、大声を出すと周囲から冷たい目を向けられる」
「ようやく本気で痛がっていることがわかってもらえても『混んでるからしょうがない』『悪意でやったわけじゃないんだから』『サンダル履いて満員電車に乗るほうが悪い』(これは一理あるな)などと言われることがある」
「場合によってはアザがいつまでも残る」(ハイヒールに踏まれる痛さ!)

…どうだろうか。
うーん、やっぱり似てないかな。なんだか自信がなくなってきたけど、読者にご理解いただけたものとして話を進める(強引)。


なぜか「セクハラ問題」というと、性差別とかジェンダーとかフェミニズムとか面倒な問題が持ち出されて話が大きくなることが多い、ような気がする。以前からそういう語られ方に疑問を持っていて、もっと単純に、肉体感覚で「痛いものは痛いんだ」という話をすればいいんじゃないかと思っていた。
そんな私にとって、Brittyさんのセクハラ被害の訴え方はとても理解しやすいものだった。
ことを荒立てるのはわたくしの好むところではありませんが、性的いやがらせを甘受するのはよりわたくしにとって望ましくありません。
(中略)
改めてお願いします。あなたが私のエントリのブックマークコメントに私の使用するタグに関して書いた性的なメッセージを除去してください。完全に除去してください。白紙化か、でなければタグブックマークエントリそのものの削除か、それはお任せします。

私(Brittyさん)は「足を踏まれた」のだ、痛くてたまらないからあなたの重い靴をどけてくれ、一秒でも早く!
…という叫びを聞いた気がした。本当に痛そうだ、気の毒だ、と思った。
ところが意外にも、Brittyさんの必死の訴えに対して「えらく痛そうだぞ、誰か何とかしてやれよ」とか「骨は折れてないか、血が出てるんじゃないか」といった同情的な反応ばかりではなかった。「ネタじゃないのか」「大げさだよ」「本当に踏まれたのかね」「ヒステリックな叫びを聞きたくない」といった冷たい声が聞こえてくる。さらには痛がっている人を目の前にして「寛容の精神」だの「満員電車のマナー」だの「安全靴のすすめ」だのを説く人までいる。一体これは何なのだろう!?本当に気が知れないのである。

もちろん、Brittyさんは抽象的・一般的な「セクハラ問題」を論じようとしているのではない。
極論すれば、正義とか社会とか法律とか関係なく「自分は痛いのだ、なんとかしてくれ」と叫んでいるのである。あくまでも彼女自身のリアルな痛みとしての「セクハラ」なのだ。どうもそのことがわかっていないのか、わかっていてもやはり「一般論としてのセクハラ」を論じたいのか、なんだかわからないけれど「痛みの存在」を無視してご立派な議論をしたがる人が多すぎる。
いや、一般論を語りたければしかるべき場所でいくらでも語ればいいけれど、実際に痛がっている人を前にして「私と議論しましょう」とか「俺の話を聞けば痛みは薄れて我慢できるはずだ」と言ってもまったく役に立たないし説得力があるはずもない。

私は「痛がっている人」がいたら、周囲はちゃんと声を聞いてまともに対応すべきだと思う。この場合の「まともな対応」というのは、必ずしも要求をそのまますべて受け入れるということではない。被害者だって人間だから、勘違いすることもある。足を踏まれた痛さだと思っていても、実は靴にピンが入っていたのかもしれない(昔の少女マンガか)。足を踏んだのは名指しされた人ではなく別人かもしれない。そういったことをチェックして適切な対処ができるのが立派な大人だ。わいわい騒ぐだけなのは単なる野次馬である。

実際に電車で足を踏まれたときは、誰が踏んだのかわからないこともあるだろう。
だがネットでの文字によるセクハラは記録が残り誰でも見ることができる。誤解(冤罪)が生まれる可能性は小さいし、もし誤解が起きても事実を元に話し合うことができる。もちろん被疑者にも自己防衛権がある。被害者の思い込みで難癖を付けられているだけだと信じるなら「いいえ、私はあなたの足を踏んでません」と断言してもかまわない。それが正しければいくらでも味方してくれる人がいるだろう。
ネット上のセクハラ告発には痴漢冤罪のような恐ろしいことは起きにくい。「変な女性(男性)にいいがかりをつけられて名誉を奪われるんじゃないか」とむやみと恐れる必要はないと私は思う。


ところが痴漢冤罪を恐れるのと同じように(ネット上の)セクハラ被害の訴えに「相当の恐怖を覚える」人もいる。

「性的嫌がらせ」は用法用量を守って正しく使用すべき件 - kentultra1の日記
セクハラ、パワハラ、アカハラ、etc。名前が付くような行為には、それなりの理由がある。行為が広く行われていて、かつ、「被害者」が一方的に立場が弱い事だ。強い者が弱い者を虐げる事がよいはずはない。その点で、名前を付けてその行為を非難するのも必要な事なのも間違いない。

しかし、いやがってるのに派遣事務員に管理職が肉体関係を強要するのと、単に素でデリカシーがなくて品に欠ける冗談を言うのとでは、その弱者の受ける被害の大きさは全く違う。なのに、名前が付くと十把一絡げに同類にされてしまう。そして、単なる嗜好主観のズレに過ぎない後者に対しても、錦の御旗の元でまるで前者に匹敵するが如くに、一方の嗜好・主観のみが正義とされ一方には絶対的な悪のレッテルが貼られペナルティが課せられる。さらに「被害者」自身も言葉に引っ張られて、被害の実際の軽重に対して過度な被害感を持ってしまい、軽微な事も過大な問題に認識して過剰な心的負担を負いかねない。

なんだかやけに話が大きくなっている。
私にとってはセクハラ被害を訴えるのは電車で足を踏まれたとき「痛い!足をどけてくれ」と文句を言うのと同じなのだが、kentultra1さんにとっては「絶対的な悪のレッテル」を貼る恐ろしい行為だそうだ。
…いや、それはどうだろう? 具体的な問題、この場合はBrittyさんの記事を見ても、私には「足をどけてください」以上のことは何も読み取れなかった。「セクハラをやめてください」「足をどけてください」「行列に割り込まないで」「ここは禁煙席ですよ」といったお願いやら注意がそんなに大層なものだとしたら、おちおち注意もできないし迷惑行為のやり放題になってしまう。もちろん告発や批判が行き過ぎればそれこそ問題だが、実際にそんなことが起きていない(起きそうにない)のにやたらと心配するのは無駄である。

セクハラの被害を訴える、言い換えると加害者を告発する(大げさな言葉だが)というのが「絶対的な悪のレッテル」だというのがそもそもわからない。実生活でも、ドラマやらコントでも「会社の飲み会で上司がエッチな冗談を言い、OLが『課長、それセクハラですよ!』と怒る」「課長は頭をかいて謝る」なんてシーンは珍しくないはずだ。この場合も課長は絶対的な悪のレッテルを貼られたことになるのだろうか。会社で厳しく追及され、減給とか降格とかクビといった事態につながるのだろうか。とてもそうは思えない。たいていの場合、翌日には何事もなかったかのように会社で顔をあわせて普通に仕事をするだろう。
Brittyさんの件にしても、ekkenさんが恐ろしい悪のレッテルを貼られて爪弾きにされたようには見えない。そうすべきだと主張する人も見かけない。ekkenさんが評判を下げたとしたら、セクハラコメント自体よりも妙な言い訳をして対処が遅れたことが原因である。

というわけで、私はkentultra1さんの感じた「恐怖」にほとんど共感できないのだが、かといってkentultra1さんの感情をどうでもいいことと無視することもできない。それこそ「セクハラされた痛み」と同じくらいリアルに恐怖を感じておられるのだろうと思う。
たぶんkentultra1さんはセクシャリティについて重く考えておられるのだろう。その点は私も同じだ。性の問題は重要であり、いい加減に扱ってよいものではない。違いがあるとしたら、私は性の問題は重要だからこそ日常的に「手元に置いて」考えるべきであり、セクハラによって不本意な汚れが付けられたらシミがつかないうちにふき取ることが大事だと思う。kentultra1さんはもしかしたら「性の問題は大事すぎるので心の奥底にしまっておくべきだ」とお考えなのかもしれない。なんだか骨董品や高級ブランド品の使い方みたいな話でもある。

日常でもネットでも、バカだのアホだの言う軽口は珍しくない。些細なツッコミどころのある行為に対して、冗談で同僚に「アホかよww」と言われる事もあるだろう。それを言われた人間が、それをくそまじめに捉えて被害を訴えて問題にする事は通常はない。しかし、これが性的な言葉だと話がなぜか一変してしまう。

いや、別に「一変」はしていないと思う。
日常でもネットでも馬鹿だのアホだの言われて怒る人はいる。怒りがあふれる限度は人それぞれで、「えっ、そこで切れるの?」とびっくりすることも少なくない。某アルファブロガーの経済学者などはしょっちゅう「馬鹿げた批判」に怒っている。
セクハラ問題も特に変わりはない。下ネタを直接ぶつけられてもなんとも思わない人もいるし、遠まわしにネタにされることさえ耐えられない人もいる。悪口もセクハラも耐えられないと感じたら文句を言えばいいし、文句を言われたほうは自分の価値観で適切に対処すればいい。適切な対処とは必ずしも謝罪ではなく、「あなたの勘違いです」とか「そんなことで怒るあなたのほうが間違っています」でもいい。やたらに話を大げさにしたり、セクハラ被害の訴えをタブーにしてしまう必要はどこにもない。
ジャンル:
社会
キーワード
セクシャル・ハラスメント ブックマーク はてなブックマーク セクシャリティ アルファブロガー 性的嫌がらせ 少女マンガ ジェンダー バレンタイン
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8 コメント

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Unknown (as)
2009-02-17 13:44:39
言葉は使用する状況によって意味は変わるのは当然で、冗談でセクハラというときと、真面目にセクハラという時とでは分けて考えるべき。泥棒とか変態とか殺人鬼とかだって、冗談で言うけど、それらは絶対悪のレッテルを持つ。
Unknown (mo)
2009-02-18 03:10:45
ここに書かれている事は、理解できるし、もっともだと思う。
が、ただし、それは発言者側に意図が無く抗弁する気が無い場合にしか成立しないとも思う

言ってしまえば「馬鹿に馬鹿と言って何が悪い?」と返されたときに、馬鹿というの犯罪の可能性があり、公益性がない場合、事実の指摘で有ったとしてもそれは許されないだとか、なんかもう裁判所行ってらっしゃいと思いはするが
そう言う意図があった場合、足を踏まれたって言う問題ではなく、満員電車で不快である、だからあなたが配慮して私のためにスペースを空けなさいと言われてる相手に感じさせる可能性が有る。

蛇足だけど、会社の飲み会で、セクハラと言われた場合、証拠自体はそこらの社員から取れるんで、減俸や降格を含む処分が下される会社って昨今珍しくはない。
コメントありがとうございます (玄倉川)
2009-02-18 19:29:36
>asさん
「冗談めかしているけど実は本気」とか「本気だと思い込んでいたら実は冗談だった」なんてこともあります。
結局のところ、一口にセクハラといっても、個別の事例をちゃんと見て自分の価値観と社会的常識を踏まえて判断するほかありません。なんだかとても当たり前の話ですけど。

>Unknownさん
同意していただけたのはうれしいのですが、理解していただけたのかどうか不安です。
まず、私は「発言者側に意図が無」い場合はいくらでも抗弁してかまわないと思います。
それこそ言いがかりのような、非常識なセクハラ抗議もあるでしょう。そういうものに簡単に頭を下げて表現を撤回するのが当たり前になってしまうと表現の自由が萎縮します。自分が正しいと思えば胸を張って戦えばいい。正当な戦いなら必ず味方する人がいます。

不快感それ自体を意図しての性的嫌がらせについてはどうしようもありません。それこそ悪質ですから、弁解のしようもないし厳しい処分が下されて当然です。しかしながら、ほとんどの場合に加害者が「相手をいやな気分にするためにわざとセクハラした」と認めることはありません。

会社の飲み会のセクハラも、それこそ事の軽重に応じてそれなりの処分が下される(あるいはおとがめなし)のは当たり前で、「セクハラ」というだけで十把一絡げに「悪のレッテル」が貼られることはないと思います。日本式の細かい労務管理というかなんというか。とはいえ、派遣労働とか外資系企業とかドライな労働環境だと「即アウト」ということもあるのかな。私はそういうのはやりすぎだと思いますけれど。
Unknown (くっぱ)
2009-02-19 01:20:34
>それこそ言いがかりのような、非常識なセクハラ抗議もあるでしょう。そういうものに簡単に頭を下げて表現を撤回するのが当たり前になってしまうと表現の自由が萎縮します。自分が正しいと思えば胸を張って戦えばいい。

その通りだと思いますし、重要なことだと思います。

結局のところ、相手に言葉を投げかけたところセクハラであると抗議をされた人は、「なぜ相手がその言葉を投げかけられることを受け入れなければならないのか」について筋の通る説明すれば、表現の撤回などする必要ないわけで、説明ができないときのみ、頭を下げて表現を撤回すればいいような気がします。

ただ、

>「あなたの勘違いです」とか「そんなことで怒るあなたのほうが間違っています」でもいい。

の「あなたの勘違いです」は、「本来○○と解釈すべきところを、そのように解釈していないという意味で、あなたの勘違いです」程度の説明は必要かと思います。また、「そんなことで怒るあなたのほうが間違っています」について、怒ることが許される絶対基準に関してすべての人のコンセンサスが成立する前にそれを主張するのは、価値観の押しつけでしかないような気がします。それよりも、「なぜたとえ腹が立ったとしても受け入れなければならないのか」について相手に筋の通る説明をすることが大切なのではないでしょうか。
男性同士の被害の想定は(男女だとレイプになるものが男性同士だとセクハラ) (セクハラを訴えた事がある男です)
2009-02-19 15:26:23
こういう言説を見ていつも思うのは、男性被害者にも同じ言説で責めるのか、自分が被害者になっても割りきれるのかという点なのですが。
(玄倉川さんにではなく、コメ欄をはじめとするセクハラに無知な連中に)

性暴力・パワハラ訴え裁判の自衛官に任用継続拒否 とか。これが現実なのですが。
http://ajwrc.org/jp/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=424

何より自分が被害者で凄まじい二次被害をされましたし、男性性暴力サバイバーと交流して話をしてきた経験からもいかに性暴力の被害者が、あえてセクハラも性暴力も一緒くたにしますが、不利益を被るのか皮膚感覚で理解出来るので。
身近な性暴力サバイバーが自殺した現場も何度も見てるので、ふざけんな!てめえら一度被害にあってみろ!と毒づきたくなります。
『会社の飲み会で、セクハラと言われた場合、証拠自体はそこらの社員から取れるんで、減俸や降格を含む処分が下される会社って昨今珍しくはない。』だとかkentultra1氏の杞憂だとかは当事者としての経験でしょうか。妄想ではなく??
自分の経験や性暴力サバイバーのネットワークからはかけ離れた世界なので…

自分の経験だと、セカンドレイパーは男性しかいませんでした。
訴えた時は、こういう辛い経験を誰にもして欲しくないという気持ちが告訴の原動力でしたが、疑う余地なくこんな経験誰もしたくないだろうと思ったのですがね。

ekken氏の愚かな所は、セクハラに否定的で性的被害に敏感なBritty氏の様な感覚の方にセクハラと捉えられない行為を働いた事ですね。
例えばkentultra1氏の様な感覚の方にすれば問題はない。
セクハラ如きで文句を言うなという方は当然セクハラウェルカムなのでしょうから、ekken氏は相手を選んでセクハラ肯定派をピンポイトで狙えば良かったと思います。
つまりには相手を選ばないekken氏の自己責任です。
セクハラされても平気な連中を狙えばekken氏も含めて、誰も傷つかないですから。
男性同士の被害の想定は(男女だとレイプになるものが男性同士だとセクハラ) (セクハラを訴えた事がある男です)
2009-02-19 15:29:18
こういう言説を見ていつも思うのは、男性被害者にも同じ言説で責めるのか、自分が被害者になっても割りきれるのかという点なのですが。
(玄倉川さんにではなく、コメ欄をはじめとするセクハラに無知な連中に)

性暴力・パワハラ訴え裁判の自衛官に任用継続拒否 とか。これが現実なのですが。
http://ajwrc.org/jp/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=424

何より自分が被害者で凄まじい二次被害をされましたし、男性性暴力サバイバーと交流して話をしてきた経験からもいかに性暴力の被害者が、あえてセクハラも性暴力も一緒くたにしますが、不利益を被るのか皮膚感覚で理解出来るので。
身近な性暴力サバイバーが自殺した現場も何度も見てるので、ふざけんな!てめえら一度被害にあってみろ!と毒づきたくなります。
『会社の飲み会で、セクハラと言われた場合、証拠自体はそこらの社員から取れるんで、減俸や降格を含む処分が下される会社って昨今珍しくはない。』だとかkentultra1氏の杞憂だとかは当事者としての経験でしょうか。妄想ではなく??
自分の経験や性暴力サバイバーのネットワークからはかけ離れた世界なので…

自分の経験だと、セカンドレイパーは男性しかいませんでした。
訴えた時は、こういう辛い経験を誰にもして欲しくないという気持ちが告訴の原動力でしたが、疑う余地なくこんな経験誰もしたくないだろうと思ったのですがね。

ekken氏の愚かな所は、セクハラに否定的で性的被害に敏感なBritty氏の様な感覚の方にセクハラと捉えられない行為を働いた事ですね。
例えばkentultra1氏の様な感覚の方にすれば問題はない。
セクハラ如きで文句を言うなという方は当然セクハラウェルカムなのでしょうから、ekken氏は相手を選んでセクハラ肯定派をピンポイトで狙えば良かったと思います。
つまりには相手を選ばないekken氏の自己責任です。
セクハラされても平気な連中を狙えばekken氏も含めて、誰も傷つかないですから。
Unknown (mo)
2009-02-20 02:35:13
うちの会社って外資なんで、コントロールの出来ないリスクは基本、排除されます、で、リスクを排除する際に、言う側か言われる側のどっちを排除するのかを決めるって課程はありますが
事が「セクハラ」で、かつ、周りの社員もそれがセクハラであると認識した場合という前提はつきますけど、言った側が処分されます。
これは、会社の飲み会の場合、会社の業務の延長と判断される場合が多く、会社の業務である場合業務中に言って良いレベルを超えてると判断されればさらっと処分されますね
どっちかって言うと、こんなやり方をする会社が、外資では一般的だと思います、で、外資の会社って珍しいってレベルにはないと思うんですがどうでしょう?
Unknown (kentultra1)
2009-02-20 21:25:10
http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20090219/1235057365

    kurokuragawa コミュニケーション, 男女, 性, 社会 ほとんど同意します 2009/02/20
というブコメを付けられていますね。

これは、あなたは大野さんがあのエントリで
>社会的な問題を語るときに、「中立的な立場で」「正しい考えを」書
いていないとお考えになったと言う事が含意されますよね?
これは、あなたは大野さんがあのエントリで
>性差別とかジェンダーとかフェミニズムとか面倒な問題
を回避していているとお考えになったと言う事が含意されますよね?

私には自然な解釈には見えず不思議に思うのですが、どのようなお考えでいるか教えて頂けませんか?

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