玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

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国母選手批判とオリンピック精神

2010年02月20日 | 日々思うことなど
バンクーバーオリンピックの男子スノーボード・ハーフパイプで国母選手が8位に入賞した。
本気でメダルを狙っていた国母選手は悔しいだろうが、誰に恥じることもない立派な成績である。心からおめでとうと申し上げる。
私はF1レースが好きなので日本人選手の成績をつい比べてしまう、F1では中嶋悟からはじまって日本人選手が20年以上フル参戦し、延べ数百レース走っても表彰台に上ったのは2回だけだ。「世界で三位以内に入る」のはそれほどまでに難しい。国母選手だけでなく、8位以内に入賞した選手は大いに胸を張って帰国していい。

さて、国母選手といえば競技よりもファッションセンスや記者会見での態度のほうが話題になった人である。有体に言えば「話題になった」というよりもバッシングを受けた。私自身はというと、正直言って腰パンはだらしなくて嫌いだし、「謝罪」会見で「不遜な」態度を見せてかえって批判を広げたのはまずかったと思う。身近に国母選手のような若者がいたら仲良くできる自信はない。
だが、彼を強く批判する人たちのほうもなんだか変である。眉をひそめるのはともかく、罵倒やら呪いをぶつけるのはいただけない。中にはオリンピック精神を踏みにじるようなことを言う人までいて、あなたたちのほうが場違いで無礼じゃないか、とさえ思ってしまう。


【主張】五輪とマナー 国の誇りを背負う自覚を (1/2ページ) - バンクーバー冬季五輪 - MSN産経ニュース
 バンクーバー冬季五輪のスノーボード男子ハーフパイプで8位に入賞した国母(こくぼ)和宏選手(21)には、複雑な思いを抱いた人も少なくないのではないか。

 国母選手は日本選手団の公式ウエアのズボンをずり下げる「腰パン」スタイルや謝罪会見での反抗的な態度で厳しい批判を浴びた。橋本聖子団長が諭し、「結果を出すことでおわびを」と出場させた経緯がある。

 試合後、服装問題の影響を聞かれた国母選手は「全くない。気にしていたらやっていられない」と語った。批判を真摯(しんし)に受けとめたとは言い難いと、あえて苦言を呈したい。

 1998年の長野大会から冬季五輪の正式種目となったハーフパイプは若者の人気を集める競技だ。円筒を半分に割って横に倒した形状の雪面をブランコのように往復し、両側の壁の頂上付近や空中にいる間に様々(さまざま)な技を競う。

 冬季五輪への関心を高めた貢献の半面、五輪を必ずしも最高の舞台とはしない独特の競技風土もあるようだ。国母選手は謝罪会見で「自分にとって五輪は特別なものではない」と発言していた。

 「腰パン」発祥の地とされる米国では、公序良俗を乱すとして罰金や禁固刑を科す規制条例を施行する市がある一方で、条例は表現の自由を保障した憲法に反するとの裁判所の判決も出ている。

 腰パンとハーフパイプが結びつくスポーツ文化があってもいい。私的な場での自己表現なら腰パンの自由も許されよう。

 しかし、謝罪会見で「反省してまーす」と語尾をのばす発言をしたり、舌打ちしたりした国母選手は明らかに五輪代表選手としての思慮と品格を欠いていた。若いスター選手をたしなめる関係者がいなかったのも問題だ。

 五輪を拒否するのは自由だ。しかし、参加していながら五輪精神を無視したり、冒涜(ぼうとく)したりする言動は許されない。

 「スポーツを文化や教育と融合させるオリンピズムが求めるものは、努力のうちに見いだされる喜び、よい手本となる教育的価値、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重などに基づいた生き方の創造である」(オリンピック憲章)

 腰パン騒動は、国母選手だけでなく、国の誇りを背負うすべての代表選手、さらにはテレビの前の国民にも五輪精神について考える機会を与えたと受けとめたい。


はっきりいってひどい駄文だと思うけれど、国保選手のファッションや礼儀知らずを批判するのは勝手だ。だが、都合よくオリンピック精神をつまみ食いするのは感心しない。他人がオリンピック選手に「国の誇り」を背負わせようとするのはそれこそオリンピック精神にそぐわない。


オリンピック憲章(pdf

オリンピズムの根本原則

1. オリンピズムは人生哲学であり、肉体と意思と知性の資質を高めて融合させた、均衡のとれた総体としての人間を目指すものである。スポーツを文化や教育と融合させるオリンピズムが求めるものは、努力のうちに見出される喜び、よい手本となる教育的価値、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重などに基づいた生き方の創造である。

2. オリンピズムの目標は、スポーツを人間の調和のとれた発達に役立てることである。その目的は、人間の尊厳維持に重きを置く、平和な社会を推進することにある。(p10)

オリンピック・ムーブメントとその活動
 6 オリンピック競技大会
  1.オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない。(p17)

「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない。」と明記されている。もちろん、「オリンピック選手は国の誇りを背負っていることを自覚せよ」などとはどこにも書かれていない。オリンピック精神とナショナリズムの強制は水と油で、本来は交じり合わない。
もちろんこれは憲法9条のような理想主義で、実際のところどの国でも純粋に「スポーツの祭典」としてオリンピックを楽しむ人よりも「自国選手の活躍」を期待してテレビ中継を見る人のほうが多いだろう。オリンピック精神とナショナリズムは本来は水と油だが、フレンチドレッシングのように激しく攪拌されて交じり合っている。だがそれはそれぞれの成分が細かい水滴に分かれただけで、化学的に融合したわけではない。


かつての冷戦時代、1980年のモスクワオリンピックでは日本を含む西側諸国の多くが参加をボイコットした。アフガン侵攻への抗議のためだ。その仕返しに、1984年のロサンゼルスオリンピックではソ連を初めとする東側諸国が参加しなかった。世界中で涙を飲んだ選手が大勢いて、スポーツの祭典にとっては暗い時代だった。
そのころは「オリンピックとナショナリズム」について大いに論じられたものである。ナチスドイツの主催したベルリン五輪を引き合いに出して「オリンピックが侵略国家の飾りに使われていいのか」と怒る人、「いや、そういうナショナリズムとは別の次元でスポーツの祭典を行うのが平和のためだ」と反論する人、どちらも真剣に自らの価値観を語っていた。私は子供で難しい話はよくわからなかったが、「そうか、オリンピックって単なる国別対抗運動会じゃないんだな」という印象が強く刻み付けられた。


モスクワ五輪やロサンゼルス五輪でのボイコット議論と比べると、国保選手の腰パン事件や彼に向けられた批判はまことに軽い。それこそワイドショーレベルの話題である。茶飲み話として適当に消費するならかまわないが、「国の誇り」だのなんだの大上段から演説されるのはうんざりだ。
国母選手を嫌うのもバカにするのも勝手だが、「国の誇りがどうのこうの」という批判は「鶏を裂くに牛刀を以ってする」たぐいで大げさすぎて滑稽だし、クーベルタン男爵の理想、非ナショナリズム(反ナショナリズムではないにせよ)のオリンピック精神にもそぐわない。どうしてもオリンピック精神を持ち出して国母選手を批判するなら「スポーツマンとしてふさわしくない態度だ」と言ったほうがずっといい。
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国母騒動 (サラディン)
2010-02-23 14:07:47
国母に関して、まともだなと思った意見のいくつかを以下に紹介しましょう。→は意見に対する私の感想。

①そもそもたかが素人のスポーツ大会で国家を背負ってどうのこうのって考えが大げさ過ぎる。競技中のユニフォームならともかくそれ以外の制服とかもいらんだろ。草野球程度のテンションでやれないのか?

→確かに…。

②なんか國母がオリジナリティーのある自由な表現してるみたいな狂った解釈してる連中いるけど、そもそもアイツの格好ってああいう連中の中で流行ってるようなステレオタイプそのまんまなんだよね。自由でもオリジナルでもなんでもないタダの外国かぶれの馬鹿なだけ。

→実は国母は単に不良の真似してるだけで、オレ流でも何でもないという指摘だ。当たっている。でもこういう指摘のできる人は案外少ない。

③普段は反感を感じているマスコミの言うことを細部に至るまで丸呑み信じて他人を簡単に批判するのもどうかと思う。国母なんて絶対に身近にいてほしくないキャラだが、マスコミの連中もどんな記事が出ればもっとも受けるかというバイアスが加わった情報しか流さないクズばかり。情報社会で常にある程度のメディアリテラシーを持たないとすぐに情報操作する奴等の餌食にされる。

→森善朗が麻生太郎のことを批判しても説得力ないのと同じだ。

④国母の態度に一つはっきり見てとれる部分があると思うんだけど、彼は記者とか五輪見てる国民とかの視線よりも自分の「仲間」の視線をずっと重く見ているんだと思う。会見の様子とか見てるとわかるんだが、記者に変な受け答えをしたあと、しょっちゅう周囲を見回して仲間の反応をうかがってるんだよね。ある意味、誰よりも全体主義に染まっているタイプなんじゃないかと思った。

→②と同じような感想。

⑤服装にしても態度にしても、「公と私の区別がつかない」ことを問題視してるのに、「プライベートでは良い人ですよ」とか全然関係ないこと言うな。しかも擁護者は見当はずれな「日本民族論」まで持ち出して、「国母叩きは日本的ムラ社会の「出る杭を打つ」の民族的悪習が原因」とか日本を貶める方向にまで持っていって別の方面で炎上し始めるという。もうバカかと。

→何が問題なのかを分かっていない人が多いのも確か。

⑥公の場での行為が最低限のレベルにないから叩かれてんのに、友人の話とかで訳わからん擁護するな。

→⑤の感想とほぼ同じ。問題の本質を正しく理解できれば、国母を擁護することはできない。

⑦友達思いの良い子とかは今回の問題に全然関係ない。20越えた者が公人としてとった行動があまりにも幼稚で情けないから叩かれてるだけ。

→⑤・⑥の感想と同じ。問題の本質とはまるで関係のないことを持ち出して主張する人っていますね。この件に限らず。

⑧こういう対応すればどんな反応が返ってくるか、普通に考えれば解るだろ。承知した上でやってるんだから叩かれようが仕方ないと思われ。周りのコーチなんかもサジ投げたか、同じレベルのバカか知らないけど対応の指導くらいしとけよ。オリンピックって一番アピールできるところでスノボやってる奴はバカしかいないって喧伝してどーすんのさ。

→国母に普通に考えて解かるオツムがあるかは疑問。

⑨競技以外で目立とうとしたり自己主張しすぎたりすると、当の競技で余計なプレッシャー抱えることになるから普段は大人しくお利口にしといた方が無難だってことだな。で引退してから例えば松岡修造みたいに弾ければいい。

→馬鹿は「置かれた所で咲く」ということを理解できず、余計な所で背伸びしたがる。

⑩結果を出せばOKて思ってるから、こういうカッコ悪いことになるんだな。スポーツ選手は総合的なあり方まで含めて、いわば商売で、商品だ。イチローとか落合はそこまで意識して自分のスタイル貫いてるだけで、国母みたいに半端な反抗じゃないわな。そもそも国母みたいな態度をとってりゃ周囲の反発はだれだって予測できる。それでも何か貫くべきものがあるならイチローみたいな世界にいけるのかもしれんが、結局そういう裏づけのあるスタイルじゃなかったわけだろ。これじゃメダルとってもスノボに憧れるやつなんか増えねえよ。

→落合やイチローとは違って虚勢を張っている
だけのように見えた。それに、本当に出来る奴は勉強でもスポーツでもその他の分野でも徒に自己主張はしないもの。「能ある鷹は爪を隠す」だ。


⑪いちいち横にいる人の様子を伺わなければ発言もできないお子ちゃまなんですね。

→確かに精神年齢は低いな。船場吉兆の会見と似たようなシーンに苦笑した。

⑫会見見てあまりの馬鹿っぷりにビックリした。ふてくされてふざけた受け答えしてるのかと思っていたけど、マジで言葉が出てこないって感じだったな。あんなに頭の中カラッポでも入れる大学があるってことにもビックリ。

→スポーツ推薦だから学力が低いのは仕方がないが、精神年齢があのレベルでは困る。


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