除夜の鐘の音を聞きながら近くの「御霊神社」へ、僕が数年前地域の「役員」を仰せつかり、また家人が昨年から別な役員となったということもあり、「初詣」は村の鎮守様(御霊神社)にすることに決めたのだが、夜が明け、今年は吃驚するほど早い時間(午前7時半)に届いた年賀状を読みながら、誰も彼も今年の成り行きに決して「希望=明るいもの」を持っていないことが分かり、「そうだよな。俺もそうだから」と納得することしきりであった。
それにしても、昨年暮れから今年の正月に掛けては、12月になって編著『ヒロシマ・ナガサキからフクシマへ―「核』時代を考える』(勉誠出版刊)と、26冊目の自著『辻井喬論―修羅を生きる』(論創社刊)が出たということもあり、併せて「週刊読書人」から1月6日締め切りの書評を頼まれ、また昨年4月に博士号を授与された留学生(王海藍さん)の論文『村上春樹と中国』(原題『中国における村上春樹の受容』)が書き直して本になることが決まり、その初校ゲラが年末に出て、これまた1月6日までに戻して欲しいということで、大変な年末から正月を過ごさざるを得なかった。
しかし、考えてみると、大学教師を辞めてから今日までの自分の生活を鑑みると、ほとんど「文学」三昧の毎日で、これが望んでいたことであることに思い至り、今を如何に充実させるか、そのことをおろそかにしてはいけないのではないか、とこの正月の5日間は痛感させられた日々であった。そんなことを考えたのも、今年は「近代文学」の教師として、4月・5月の2ヶ月間、12年前に半年ほど滞在したシアトルのワシントン大学で大学院生相手に講義を行い、また(詳細は未定だが)9月からは1,2ヶ月ほど中国(武漢)の華中師範大学日本語・日本研究科でこれまた大学院生相手に教鞭を執ることが決まっているからかも知れない。また、早稲田大学にもわずか3コマだが6月の半ばから出講する。のんびりしていられない、という気持だが、人間関係などから生じるストレスがないだけ、気楽に取り組めるのではにかと思っている。
というのが、僕の今年の大まかなスケジュールで、その他にも新しく本を1冊書かなければならない、という大仕事がある。
しかし、それにしてもたまたま家人が施設にいる母親のために買ってきた「週刊新潮」を見て、吃驚した。吉本隆明が根っからの「原発推進派」であることは、前記した『ヒロシマ・ナガサキからフクシマへ』に収録した拙文でも明らかにしておいたが、「良識」や「正論」に対してそれを揶揄したり批判することに喜びを見いだしているような、イエロー・マガジンまがいの「週刊新潮」に「知の巨人」などという恥ずかしい肩書きで登場し、70年代・80年代から変化しない「科学神話=原発安全神話」を振りかざして、原発を廃止すれば「猿の時代」に逆戻りする、などと怪気炎を上げていたのである。僕もそのいる愚痴に入っているかも知れないので、あまり「老い」のことは言いたくないのだが、「老醜」としか思えない吉本の姿(考え)は、「知の巨人」どころではなく、「知の老残」をさらけ出すものであった。
「生命」あっての「思想」であり「文学」である。原発は、明らかにその「生命」を蔑ろにするものであり、現代の「思想」や「文学」はそのような原発を否定するところにしか存在し得ないのではないか、と僕は思っている。どんな「高尚」な文学理論や思想を提起したとしても、それが人間の「生命」を否定する契機をはらんでいるものであるならば、そのような思想や文学(理論)は否定されなければならない。
おそらく、2011年3月11日に起こった「フクシマ」は、僕らにそのようなことを教えてくれるものだったのである。その意味で「フクシマ」以後は、「フクシマ」の事態をどう捉えるかを(思考の)試金石として進展していくのではないか。
民主党や自民党・公明党といった既成政党に絶望しながら、それでも橋下徹大阪市長が率いる「大阪維新の会」などのファシズムの浸透を警戒しつつ、どうしたら「共生」を基底とした世界の実現が可能かを模索していくかといった「少数派」の道しか残されていないのかも知れないが、それでも可能性だけは追求したい、というのが今年の目標でもある。
お互い、頑張りましょう。
それにしても、昨年暮れから今年の正月に掛けては、12月になって編著『ヒロシマ・ナガサキからフクシマへ―「核』時代を考える』(勉誠出版刊)と、26冊目の自著『辻井喬論―修羅を生きる』(論創社刊)が出たということもあり、併せて「週刊読書人」から1月6日締め切りの書評を頼まれ、また昨年4月に博士号を授与された留学生(王海藍さん)の論文『村上春樹と中国』(原題『中国における村上春樹の受容』)が書き直して本になることが決まり、その初校ゲラが年末に出て、これまた1月6日までに戻して欲しいということで、大変な年末から正月を過ごさざるを得なかった。
しかし、考えてみると、大学教師を辞めてから今日までの自分の生活を鑑みると、ほとんど「文学」三昧の毎日で、これが望んでいたことであることに思い至り、今を如何に充実させるか、そのことをおろそかにしてはいけないのではないか、とこの正月の5日間は痛感させられた日々であった。そんなことを考えたのも、今年は「近代文学」の教師として、4月・5月の2ヶ月間、12年前に半年ほど滞在したシアトルのワシントン大学で大学院生相手に講義を行い、また(詳細は未定だが)9月からは1,2ヶ月ほど中国(武漢)の華中師範大学日本語・日本研究科でこれまた大学院生相手に教鞭を執ることが決まっているからかも知れない。また、早稲田大学にもわずか3コマだが6月の半ばから出講する。のんびりしていられない、という気持だが、人間関係などから生じるストレスがないだけ、気楽に取り組めるのではにかと思っている。
というのが、僕の今年の大まかなスケジュールで、その他にも新しく本を1冊書かなければならない、という大仕事がある。
しかし、それにしてもたまたま家人が施設にいる母親のために買ってきた「週刊新潮」を見て、吃驚した。吉本隆明が根っからの「原発推進派」であることは、前記した『ヒロシマ・ナガサキからフクシマへ』に収録した拙文でも明らかにしておいたが、「良識」や「正論」に対してそれを揶揄したり批判することに喜びを見いだしているような、イエロー・マガジンまがいの「週刊新潮」に「知の巨人」などという恥ずかしい肩書きで登場し、70年代・80年代から変化しない「科学神話=原発安全神話」を振りかざして、原発を廃止すれば「猿の時代」に逆戻りする、などと怪気炎を上げていたのである。僕もそのいる愚痴に入っているかも知れないので、あまり「老い」のことは言いたくないのだが、「老醜」としか思えない吉本の姿(考え)は、「知の巨人」どころではなく、「知の老残」をさらけ出すものであった。
「生命」あっての「思想」であり「文学」である。原発は、明らかにその「生命」を蔑ろにするものであり、現代の「思想」や「文学」はそのような原発を否定するところにしか存在し得ないのではないか、と僕は思っている。どんな「高尚」な文学理論や思想を提起したとしても、それが人間の「生命」を否定する契機をはらんでいるものであるならば、そのような思想や文学(理論)は否定されなければならない。
おそらく、2011年3月11日に起こった「フクシマ」は、僕らにそのようなことを教えてくれるものだったのである。その意味で「フクシマ」以後は、「フクシマ」の事態をどう捉えるかを(思考の)試金石として進展していくのではないか。
民主党や自民党・公明党といった既成政党に絶望しながら、それでも橋下徹大阪市長が率いる「大阪維新の会」などのファシズムの浸透を警戒しつつ、どうしたら「共生」を基底とした世界の実現が可能かを模索していくかといった「少数派」の道しか残されていないのかも知れないが、それでも可能性だけは追求したい、というのが今年の目標でもある。
お互い、頑張りましょう。











御著書、楽しみにしております。地球・自然・生命と関わって今後(自分もささやかながら)活動していく礎とさせていただきます。
ブログからメルアドが探せなかったのでこちらへ失礼いたしました。記事と直接関係ないのでどうか削除されてください。お仕事中失礼しました。転居の折にはまた連絡させて頂きます。