黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

吉本隆明批判・再び――ひどすぎる老醜

2012-01-22 09:45:13 | 文学
 1昨日(20日・金)、偶然が重なり、午前中に『辻井喬論―修羅を生きる』(論創社刊)の、そして午後に『ヒロシマ・ナガサキからフクシマへ―「核」時代を考える』(勉誠出版刊)の取材を受けた。前者は、地元紙「上毛新聞」から、後者は記事を全国配信している『時事通信社」からであった。それぞれ、何故僕がこのような本を書いたのか(作ったのか)という書籍執筆(編著)のモチーフを中心に様々な角度からの質問を受けやい、また僕の現代文学や現代の「核」状況について話したのだが、大学を退職して以降、仕事の都合もあって、やむにやまれぬ場合以外は自宅に「引き籠もって」活字と格闘する(本を読み、原稿を書く)日々を過ごしていたので、1昨日は午前も午後もとても「新鮮」な感じがし、併せて充実感のようなものも感じることができた。その意味で、1昨日の経験は、「他者」との会話も、僕のような仕事をする人間にとって大切なんだな、と改めて思い知らされるものだった、ということになる。
(閑話休題)
 1昨日の「取材」とも実は関係あるのだが、このところ井伏鱒二の「戦争」に関する文章(小説・エッセイ)を『全集』をめくり返しながら読む合間に、買って積み重ねたままにしておいた「フクシマ(原発)」や「東日本大震災」関連の本を少しずつ読んできて、改めて思い知らされてきたのは、僕らの世代に圧倒的な影響を与えてきた(と言われてきた)吉本隆明の「ダメさ」である――僕自身が吉本と「さようなら」をしたのは、1980年代初頭に起こった「文学者の反核運動」に対する吉本の「反・反核運動」の言説(『「反核」異論』82年刊という駄本に集約されている。この本の中で、名指しで吉本に批判された何人かの文学者や思想家の中に僕の名前も繰り返し出てきていた)に接したことがきっかけであった。その後、「文学者の反核運動」の余波とも言うべき「吉本―埴谷雄高論争」、いわゆる「日本資本主義」をどのように捉えるかという論争を目にして、ああこれはもうダメだ、と痛感した。なお、吉本の現在の資本主義礼賛本である『超資本主義』95年刊で、「経済音痴の黒古一夫」などという非難を吉本から受けたこともあるが、そのころには僕の中で吉本は「もうどうでもいい人」の部類に入っていた――。
 とは言え、これまでもすでに「無縁」と思ってきた吉本の本も「敵の動向を知るため」という理由を付けて、何かと購入してきたこと(読まずに積んできたこと)を反省しつつ、前にもこの欄で書いたように「フクシマ」が起こって久し振りに吉本の変わらぬ「科学神話」に基づいた「原発」信者としか思えない言説に接し、その「老醜・老残」ぶりに驚き、「どうしようもないな」と思い、いつまでもこの老批評家を「知の巨人」などと持ち上げるマスコミ人がいることを嘆かわしいと思っていたのだが、佐高信の『原発文化人50人斬り』(11年6月20日刊)と土井淑平の『原子力マフィア』(同12月7日刊)を読み、改めて吉本が「確信犯」的な原発容認派の「エセ知識人」であることを確認させられた。佐高の本は週刊誌(「週刊金曜日」――この雑誌に関しては、井伏鱒二の『黒い雨』をあたかも「盗作」作品であるかのように捏造し、誹謗中傷した広島の歌人・豊田清史の「デタラメ」文を検証せずに掲載し、それに「異議申し立て」をした僕の「投稿文」を、「(定期購読者の)投稿歓迎」と謳っていながら、理由を明示せず不掲載にしたこと、及び豊田の捏造が明確になってからも、豊田の「デタラメ文」を掲載したことの反省を「公表」しなかったことで、僕は基本的な部分で信用していない)に掲載したものに「手を入れたもの」ということで、その意味では「批判」は痛快に展開しているが、「実証」という意味ではイマイチの感じだったが、土井のは筋金入りの「反核」論者(エコロジスト―元共同通信記者、僕は彼の1986年に出た『反核・反原発・エコロジー――吉本隆明の政治思想批判』批評社刊を発刊された直後に購入し読み、大変教えられること多く感心したことを覚えている)らしく、吉本批判の根拠も明確で、なおかつ吉本が『「反核」異論』以降、電力業界からもてはやされ、例えばこれは佐高も言っていることだが、原子力業界が多額の資金を提供している月刊「原子力文化」の1994年10月の「原子力の日」特別号において、その巻頭インタビューで「原発」のPRを精力的に行っていたこと、またすでに廃刊したが自分の雑誌「試行」で繰り返し原発容認(「科学神話」信奉)の言説を振りまいてきたこと、等々、吉本が原発推進の旗振り役を買って出ていたことを「実証」的に批判している。
 僕など、先にも書いたようにずっと以前に吉本とは「縁を切っている」ので、「なるほど、やはりどうしようもなかったんだな」と感心しながら土井や佐高の本を読んだのだが、しかし、多くの若いジャーナリストやマスコミ人の「吉本離れ」は進んでいても、フクシマなどが起こると、またぞろ「亡霊が蘇るように」吉本(の「原発容認論=科学神話」信奉)が呼び出されるという現実から、僕らはもう「おさらば」するべきなのではないか、と痛切に思う。
 吉本は、もうだいぶ前になるが『わが「転向」』(95年)の中で、「わたしはもちろんわたしの思考変換(転向)の方向性に世界史的な確信をもって揺るがない」などと嘯いていたが(豪語していたが)、かつて「左翼」的な学生に多大な影響を与えてきた吉本が、「転向」について「頬に刻印された傷」として一生その悔恨の上に文学の金字塔を築いた中野重治などとは真逆の「わが転向」を誇る吉本のパラドックス、僕らはもう一度吉本の言説が果たしてこの時代や状況について「異化」をもたらすものであったか検証し、吉本を「無視」するのではなく、正面から批判すべきなのではないか、と思う。近いうちに、僕もその作業を開始するつもりである。
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原子力の日 週刊金曜日 超資本主義 東日本大震災 時事通信社
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