黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

今日は「8月6日」――安倍首相の「誠意」の感じられない挨拶

2014-08-06 09:19:04 | 仕事
 今日は「8月6日」、今年もまた、広島平和記念式典で広島市長や列席した内閣総理大臣などが「核」についてどんな発言をするのか注視してきたが、今年ほど腹が立ったことはない。
 あれほど強引に「数の論理」を前面に押し出し、特定秘密保護法を制定し、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定した安倍首相なのだから、彼の持論とされる「積極的平和主義」といういかさま考えを振りかざして、「非核三原則を厳守して」などと言わず、戦争抑止のためには核兵器は必要だ、ぐらいのことは言うのではないかと期待(?)していたのだが、単に被爆者や原爆犠牲者に対して「哀悼の誠を捧げる」などと、ありきたりのことしか言わず、集団的自衛権の「じ」の字も言わない、姑息な「誠意」の全く感じられない挨拶で終わってしまった。
 この人の言葉は、前々から言ってきているように「軽く」、しかも「詭弁」に満ちたものが多いのだが、今日の「挨拶」はその典型で、彼は彼の本音である「戦前回帰=日本を取り戻す」、つまり安倍晋三の「ナショナリズム」がいかに浅薄な歴史から何も学ばない、単なる過去の礼賛に過ぎないものであるかを明らかにするものでしかなかった
 何故なら、フクシマから3年、そして何度目になるか分からないイスラエルのガザ(パレスチナ)への攻撃で中東がまた「きな臭い」状況になっており、相変わらず日中・日韓関係が「厳しい」状況が続いていること等々を考え、また原発の再稼働に政権党(自公政権)が躍起となり、原発輸出も財界(経済最優先主義)に推されて着々と進行している状況、などを考え合わせれば、今日のような日こそ「核」については真摯に対応しなければならないはずなのに、あの何とも「心のこもらない」挨拶を平然とやってのける安倍首相という人間の人格はどうなっているのか、一刻も早く、彼には退陣してもらって、「核と人類は共存できない」という思想を実践する政権になってもらいたい、と切に思う。
 それにしても、そんな安倍首相率いる内閣に対して、僕の知る限りの直近の世論調査で「50%」近い支持率を与える国民というのは、どのような存在(化け物)なのか、とも思う。原発の再稼働反対60%以上、集団的自衛権行使容認60%、という数字と内閣支持率50%というのは、おそらく「アベノミクス」なるまやかしの経済政策に騙されている結果なのだろうが、本質的には矛盾している数字である。原発再稼働反対や集団的自衛権行使容認反対の数字と内閣支持率とが連動したとき、安倍内閣は終焉を迎えるのだろうが、ともかくあの国民の方を向かず財界(経済)とアメリカの方ばかり向いている顔がテレビを初めとするメディアから早く消えてくれないかな、と思っているのは僕だけだろうか?

 上記のことに連動して、埼玉県でも兵権を批判した川柳が市民広報誌への掲載を拒否され、僕が住む群馬県でも県立公園の片隅に建つ「朝鮮人強制連行の碑」が県知事の命令で撤去されようとしている。しばらく前に、「草の根保守」という言葉が流行ったことがあるが、現在埼玉県や群馬県で起こっている事態は、1地域を越えた「偏狭なナショナリズム」の進行で、これこそ安倍首相の唱える「日本を取り戻す=戦前回帰」の地方における現れであって、戦前の「鬼畜米英」と同じメンタリティ(精神性)であること、このことを僕らはもう一度考える必要があるのではないか、と思う。