19 コメント(10/1 コメント投稿終了予定) コメント日が 古い順 | 新しい順 ありがとうございます (学生A) 2008-08-31 23:36:39 私事を書くことになりますが、ここをたまに読んでますという意味もこめて…。お手紙受け取りました。ありがとうございます。毎日これだけお忙しい中、お手紙までいただいて感激しました。私もそうでしたが先生とご連絡が途絶えている方でも連絡を取りたいと思っている人はたくさんいるはずです。でも私のようにあまり良い学生でなかったりその後連絡をとりづらいような出来事があったりするとなかなか…。気にかけてくださっているのですから、たまに連絡を差し上げたほうが失礼ではないのかもしれないですね。先生には感謝してもしても、尽きることはありません。これだけ多忙な中、あれだけ学生のために時間を割いて丁寧に学生の言おうとしていることを汲み取って指導してくれる先生など、そうそういないと思います。また、先生に指導を直接受けたことがある方なら、ここに書かれていること、先生が言おうとしていることはわかるはずです…(時々コメントに変なお返事が来ているようですが。どうして直接のコミュニケーションじゃなくなると、ああも横暴になれるのか不思議です。たとえ異なる意見を持っていたとしても「言い方(書き方?)」というものがあると思います)先生のお言葉を胸に、頑張ろうとあらためて思うことでした。元気が出ました。ありがとうございます。追伸お手紙に書かれていた祖母は、残念ながら1年半前に亡くなりました。 返信する 学生Aさんへ (黒古一夫) 2008-09-05 11:49:32 学生Aが僕の考えているあの学生ならば、気にすることはありません。僕は君の事を念頭に「苦言」を呈したのではありません。気にしないで下さい。 ついでになりますが、お祖母ちゃん、残念でしたね。今度お参りするとき、よろしくお伝え下さい。 返信する Unknown (小谷野敦) 2008-09-05 12:36:45 取材せよとのお話ですが、栗原氏が盗作ではないかとした現存の作家のうち、西村みゆき、小幡亮介は所在不明、またメディアとおっしゃるが、作家なのだからもし言い分が報道されないなら自分で書けばよいことではありませんか。もし、言い分が封殺された現存作家がいるというなら、教えてください。また戦後文学の巨人の話も、ちゃんと名を出して言ってくださらないと、栗原氏も応接のしようがないでしょう。 また先生におかれては、「文学」という語を学問とは別個の何か神聖なものだとお考えのようですが、学問をしている人間にとって、そのような文芸評論家的態度は無縁のものであります。 返信する 真相を教えてください! (学生B) 2008-09-06 01:33:13 こんばんは。 「立松和平の盗作事件」の、真相はどうだったのでしょうか。テレビや新聞では、立松本人も盗作を認めてテレビでも謝罪していたようでしたが、立松和平は盗作をしていなかったのでしょうか??? 確かに、マスコミというのは事実を歪めて、報じていることもままあるようです。ぜひ、立松和平の盗作事件の真相を教えてください. そもそも、物書きたるもの、自分で考えたコンセプトこそ売りのはず。。。盗作なんて、最低最悪だと思います。立松和平の名誉のためにも是非。 返信する 小谷野敦さんへ、学生Bさんへ (黒古一夫) 2008-09-06 11:07:03 小谷野敦さんへ:もし小谷野さんがあの僕も書評(北海道新聞)した「谷崎潤一郎伝」(中央公論新社刊)や「恋愛の昭和史」(文藝春秋)をお書きになった小谷野さんであるならば、小谷野さんらしからぬご意見だな、と思いました。 それは、僕が「盗作疑惑」の作家に直接「取材」すべきだったのではないか、と書いたのは、亡くなった作家や行方不明の作家について「取材しろ」と言ったのではなく、現在もなお活躍している作家たちに取材すれば、彼ら彼女なりの「言い分」があるだろうということだし、仮に物故作家の場合でも関係者が生存している場合は、電話でも何でもいいから「取材」すべきではないか、といっているだけです。僕には栗原氏が余りに「情報」(メディア)に頼りすぎているのではないかという印象を持ったので、あのように書いたのです。小谷野さんも「谷崎潤一郎伝」などをお書きになったとき、現存関係者への取材の「大切さ」を痛感したのではないでしょうか。 なお、「盗作疑惑」を掛けられた作家がその問題について発言することの困難を僕は立松和平の「光の雨」事件で痛感させられました。「犯罪者」的な扱いしかしない既存のメディア(編集者たち)は、みな「逃げてしまい」四面楚歌になる、というのが現実だと僕は思っています(時間が経って、つまり「ほとぼりが冷めた頃」書かせてくれるメディアも無いではないようですが、栗原氏の本はその点のフォローも無いように僕には思えました)。 さて、戦後文学の巨人についてですが、20年ほど前中野孝次から「Hさんの本に俺の「実朝考」とそっくりの部分が数ページある。そのことをHさんに言ったら、俺に使われたのは本望と思え、といわれた」と聞いたことありますし、H氏のパプア・ニューギニアでの人肉食を扱った長編(岩波書店刊)は、読者から送られてきた体験記の引き写しで、印税をそっくりその読者に渡したというのは、文壇の「常識」と言われる出来事です。小谷野さんも栗原氏も「文壇」内事情に詳しいようですので、「H」とは誰か、推測してください。僕からは事情があって名前は言えません。ご勘弁下さい。 なお最後に、あの小谷野さんがまさか「文学」と「学問」を分けて考えているとは、信じられません。何かの間違いではありませんか。常に「引用」と「盗作」に気を遣っているはずの小谷野さんの発言とは思えませんが、いかがですか? 学生Bさんへ 立松がテレビで謝罪していたというのは「光の雨」事件の時のことでしょうか。もし、そうであったならば、それは「すばる」に連載したときの「光の雨」が連合赤軍事件の死刑囚坂口弘の「手記」に似ていると告発されたとき、その本や他に連合赤軍事件関係者の手記などを参考にして、結果的に「盗作」と言われるようなことになったことを「お詫び」下のだと思います。 このことは僕も別な箇所(「立松和平伝説」などでも書きましたが、立松の作品以前に立松の友人であり作家である三田誠広が「連合赤軍事件」をカリカチャライズした「漂流記1972」を書き、その戯画化があまりに酷かったので批評を買い、立松はそのことを近くにいてつぶさに見ていたので、自分たち世代の責任として「できる限り<事実>に近い形で」連合赤軍事件(1970年前後の「政治の季節」=全共闘運動)の本質を小説という形で問いたい、という思いから、坂口弘やその他の手記を使ったのです(そのようなことを「お詫び」という形でテレビで話したのではないかと僕は記憶しています)。 「引用」にすべきか、「参考」にした創作とすべきか、その方法は作家独自のものです。他人事でなく、難しい問題です。自分で考えたと思ったコンセプトが、実は既に他の人がもう使っていた(考えていた)というのは、良くあることです。どこまでが無意識による「コピー」か、そうではなく完全な「オリジナル」であるか、これも難しい問題です。 返信する Unknown (小谷野敦) 2008-09-06 13:21:15 黒古先生 暴言をお許しください。しかしながら栗原氏著は私も関わって出た本ですから、それ相応の文句を言う権利はあります。 私の見る限り、栗原氏が、取材すれば引き出しえた事実を見落としているなどということはないと思いますが、さてたとえば立松和平について言うなら、立松にはいくらでも自著等で弁明する余地はあると思います。栗原氏は別にメディアの報道にだけ頼っているわけではなく、立松が何も弁明していないからそれを利用できなかっただけではありませんか。もし先生が、立松の言いたいことが何者かの圧力で言えない、などということをお考えでしたら、先生ご自身が立松に成り代わって書けばよいことではありませんか。 また「学問」と「文学」を分けるというのは当然のことで、学問は客観的事実を明らかにする科学であり、先生が「文学」と言っておられるのは、私にはドイツ・ロマン派的な意味での「批評」の類としか思えません。その辺のことは拙著『評論家入門』で十全に論じたので、お暇の折にでも御覧ください。 なお「文学」について言えば、私はそれはゴシップを淵源とする、と何度も書いております。 なお私も栗原氏も「文壇」とは関係ないので、事情には詳しくありません。(なぜ詳しいと考えたのでしょうか) 返信する Unknown (学生C) 2008-09-06 21:03:17 他人の書いた文章をあたかも自分のものであるかのように引き写すことは、普通、「方法」とも「創作」とも言わないように思います。その意味で『光の雨』のみならず、『二荒』において、二度までも、「盗作問題」を引き起こした立松和平氏には、創作家としてのモラルが根本的に欠如していると感じざるを得ません。 立松氏の創作に対する姿勢や、黒古先生の上記の一連の発言などから感じ取られてしまうのは、「文学」ならば許されるという「驕り」です。「文学」を神聖視・特権化するあまり、他者の創作物を搾取し、それを暴力的に奪っているということに対し極度に鈍感になっているとしか感じざるを得ませんでした。 返信する Unknown (小谷野敦) 2008-09-06 22:07:32 私は『谷崎伝』執筆に際して、渡辺千萬子さんに会って少し話を伺ったほかは、現存関係者には取材していません。なぜなら没後40年たっていて現存関係者が少ないのと、親族はプライバシーを守ろうとするため、自分で文章にした以上のことを話さないことが多いからです。 それにしても学生Bのように、ここで問題になっている栗原氏の著作を読みもしないで質問してくるバカモノを相手にしていて、ご苦労なことです。私なら「読んでから言え」と怒鳴りつけますがね。 返信する はじめまして (山口裕輔) 2008-09-07 01:23:46 初めてコメントいたします。山口と申します。過日、栗原氏の「盗作の文学史」を読み終え、なかなか面白い本だと思い、他の人はどう感じたのだろうかと、あれこれネットを検索しているうち、貴殿のブログを拝読するに至りました。貴殿は「盗作の文学史」を、「情報」によって書かれたものではないかと疑義を呈しておられますが、いったい全体、貴殿は、栗原氏のどの文章を読んでそう思われたのでしょうか。その文章が参照した「情報」とは何なのか、併せてご教示いただければ幸いです。一例のみで結構です。追伸ある人の著作に対し、具体的な例を出さずに論難するのは卑怯だと、私には感じられます。その点についてどうお考えなのか、できればご教示たまわりたく存じます。 返信する 文学の残渣 (学生D) 2008-09-07 01:27:06 小谷さん、世の中、もっと優れた立派な作品が伍万とあるんですよ。そんなもん、はたして読むに値するのかどうか・・・ 文学の残渣みたいな分野ではないでしょうか? 返信する 山口裕輔さんへ、学生Cさんへ (黒古一夫) 2008-09-07 08:04:01 山口さんへ 僕が「情報」と言っているのは、関係者への「直接取材」や地道な「資料探査」などとは異なる雑誌や新聞といったメディアに掲載された記事全般、という意味においてです。今回栗原裕一郎氏の「<盗作>の文学史」について「情報によって書かれたのではないか」という疑問を呈する際に使った「情報」という言葉の裏には、マスコミ・ジャーナリズムの「表層」に流れる「情報」しか扱っていないのではないか、という僕自身の「不信」があったからです。 例えば、僕が「当事者の一人」でもあった井伏鱒二の「黒い雨」盗作疑惑について、地元の広島で刊行されている「安芸文学」や「梶の葉」、あるいは「尊魚」において、栗原氏が名前を出した相馬正一氏をはじめ地元の原爆文学研究者や井伏鱒二研究者らが、「火種を蒔いた」豊田清史氏について繰り返し、彼の全く実証的でない「でたらめさ」や「いい加減さ」について指摘し続けてきたのに、そのことについて栗原氏が全く触れておらず、代わって谷沢永一や猪瀬直樹といった豊田清史氏の言説に頼った「井伏批判を目的とした」人たちの大メディアに載った「意見・考え」を紹介しているその姿勢について、僕は「情報に頼り過ぎているのではないか」といった意味の感想を書いたのです。 ついでに、これは山口さんからの疑問についてではありませんが、「言論封殺」について、豊田清史氏の「黒い雨」盗作説を(たぶん、編集委員である本多勝一氏の「大江健三郎批判」の延長線上で)載せた「週刊金曜日」に対して、この「良心的」と言われてきた論説週刊誌は「投稿歓迎」ということだったので、投稿規定に基づいて僕は「豊田説批判」の文章を投稿したが、掲載されず、その理由も伝えられることがなかった、ということがあります(なお付け足せば、僕は大江の評価を巡って本多氏と対立していて、「週刊金曜日」で氏から名指しで批判されるということがあったので、実は僕の「投稿」は無視されるだろうな、と思っていましたが)。 以上が、具体例を含めた僕の考えです。 学生Cさんへ まず、あなたは立松和平が「創作家失格」のような言い方をしていますが、立松が「光の雨」事件の後書いた「光の雨」(新潮社刊、現在文庫で読める)を読みましたか。また「二荒」については、どうですか。もし、この2作を読んでいれば、軽々に「創作家失格」などとは言えないと思うのですが、どうでしょうか。あなたはどうやら「文壇通」のようなので、ご存知かと思うのですが、「二荒」のどの箇所がどの本からの「盗作」と責められたか、実態を知ってもなお立松を「創作家失格」というのでしょうか。僕としては「学生」と名乗っている以上「若い人」だと思うのですが、「情報」に惑わされることなく、自分の目できちんと「判断」することをお奨めします。もしあなたが僕の学生でしたら、小谷野さんのご教示に従って「読んでから言え」と怒鳴りつけるところです。 返信する 小谷野さんへ (コウ) 2008-09-07 14:25:03 はじめまして、コウと申します。黒古さんとのやり取りを興味深く拝見させて頂きました。どうやら、このスペースで語り尽くせる内容の話題では無いですね。 ただ私が疑問に思ったのは、小谷野さんが何故ここまでエキセントリックになるのだろうか、ということでした。端的に言えば、ここまで感情を剥き出しにしてまで乱入された意図が、さっぱり分からないのです。あまつさえ、ご自身のブログで悪口雑言ということに到っては何をか言わんやです。 通常の正当な論戦なら何も言うことはありません。それどころか、こちらも大いに勉強になりますので歓迎したいくらいです。 でもね、これじゃあんまりですよ。小谷野さんご自身の品性にも関わってくることですので、礼を失するようなことは避けられた方が宜しいかと思います。 返信する Unknown (小谷野敦) 2008-09-07 14:40:58 私はもともとエキセントリックなのです。たとえば黒古氏の上の文章を御覧なさい。栗原氏は相馬正一氏の文章を何度も引いているのに、黒古氏は「名前を出した」としているだけで、栗原氏がまるで相馬氏の豊田批判に触れていないように書いている。こういう不当かつ不誠実な人間に対しては、私はいつでもエキセントリックになります。 返信する Unknown (小谷野敦) 2008-09-07 14:47:10 このような議論をしても不毛である。ただ他人の著作をまともに読めないような人間が大学教授をしているなどというのは由々しいことである。 栗原氏は、相馬正一と豊田某の論争を十全に紹介しているのに、上の黒古氏の文章はまるでそれがなかったかのように書いている。一体本当に『<盗作>の文学史』を読んで書いているのか。 返信する Unknown (山口裕輔) 2008-09-08 12:12:15 返信ありがとうございました。他人の著作を批判するときは、よくよくその著作を読まないといけない、ということを改めて認識しました。 返信する 『盗作の文学史』はゴシップ本では (らいぞう) 2012-01-20 18:04:53 初めてお便りします。らいぞうと申します。遅ればせながら、『盗作の文学史』を読了しました。本書を読む前に、黒古一夫さんの本書に関する否定的な文章にざっと目を通していたのですが、読了後にじっくり拝見させていただくと、他の方々からのコメントが飛び交って(特に小谷野敦さんの言い分すごい)凄まじい様相を呈していました。小谷野敦さんは本書の刊行に関わっているので、熱くなるもの当然かもしれませんが、常に広い視野から見なければならない評論家という立場としては、この態度はいかがなものかと思いました。ただ、井伏さん問題に関しては、相馬正一さんの言い分は何度も取り上げられ、豊田さん批判が行なっている部分に相当な重きが置かれており、小谷野敦さんの主張も頷けないこともありません。このあたりが、黒古さんが途中から小谷野敦さんへの返答しなくなった理由のようにも感じられました。本書を読んでいる方の多くは、井伏さんの正当性を強く感じたはずです。さて、本書の内容に関してですが、非常に分厚い本ですがあっと言う間に読めるあたり、栗原さんの達筆さが窺えますが、文学史と名うっているわりには底が浅く、単に事件に纏わる論争を引いて、その間を簡単な自分の想像と考えを差し挟んでいくという手法が取られています。それがノンフィクション特有の読みやすさに繋がっているような気がしないではありません。そのためか、第7章のネットがらみの盗作問題には栗原さんが興味があるためか、自分の主張がやたらに目につき、正直読み難く面白みがないものになっています。栗原さんの文章は、楳図かずおさんの評論2点を読んだのが最初ですが、作品の解釈に全く賛同出来ず、ややこじつけの感が否めないものでした。何故かご自分の考えが強く出過ぎると面白みが薄れてしまうのです。評論家には対象を絞って作品を論じることに長けている人と、対象世界を広く設定して傍観者的な視点で作品を読み解くことに長けている人の2パターンがあるように思うのですが、栗原さんは後者に入る部分の人ではないかと思っています。そういう方が、「週刊読書人」の書評や、今回の芥川賞の解説者として公の場に出席(書評家の杉江松恋さんが「栗原裕一郎氏による芥川賞解説がすばらしいものだった。あれ、恒例にしてそのうち本にまとめてくれないかな。」という何とも情けない言動を発していますが)しているのはいささか疑問が残るところです。(ただ、ここは「週刊読書人」の書評を数編でも読んで批判しなければならないところですが)話が逸れて、栗原さん批判になってしまいましたが、本書は栗原さんの特性が出た文学書というよりもゴシップの類に近い本といっていいのではないでしょうか。黒古一夫さんの言うように本書は表題が文学史となっていますが、「文学」ではないノンフィクション系のゴシップ本と言えると思います。本当は、本書がこの程度の内容(資料整理の労苦は判りますが)で、日本推理作家協会賞を取ってしまうという現実を嘆かなくていけないのかもしれません。(推理作家協会の見識を疑いたい)黒古さんじゃないですが、忙しい方がわざわざ時間を割いて読むほどの本とはいえないように感じました。 返信する 「らいぞう」さんへ (黒古一夫) 2012-01-21 09:46:31 私への暖かいお言葉、ありがとうございます。栗原氏の本を僕と同じように読んでいた方がいた、ということだけで、嬉しくなりました。本の読み方(批評の仕方)は、多様ですが、「何でもあり」の当世にあって、読む者(批評する者)の立ち位置(思想性)こそが問われるのだと思っています。 栗原氏や小谷野氏ともう一度「やりとり」するのは面倒なので、これ以上は書きませんが、井伏鱒二の「黒い雨」に関する論争(豊田氏の誹謗中傷を核としたもの)に対しては、今準備している「井伏鱒二と戦争」(仮題)という本で僕なりの結論(決着)を出すつもりです。 もし機会がありましたら、今夏の刊行を目指していますので、目を通してください。 最後に、貴方のコメントで勇気づけられましたこと、付け加えておきます。 返信する ご返事ありがとうございます (らいそう) 2012-01-21 16:00:02 お世話様です。らいぞうです。丁寧なご返事ありがとうございます。勇気づけられたといったお言葉をいただくと逆にこちらが恐縮してしまいます。小谷野敦さんと同様少々熱くなって、よく読み返さずに送信してしまい、文章が所々破綻(脱字もあり)しているところがあり、何ともお恥ずかしい限りです。実を言いますと、『盗作の文学史』の著者栗原裕一郎さんには本書と数編の評論を読む前までは、大きな期待抱いていました。近世文学を扱っている高橋明彦さんという若い文学者の文章に非常に感銘を受け、その高橋さんが栗原裕一郎さんの評論を高く評価してからです。読後の感想は、昨日記した通りですが、正直文章などというものは、個人個人の趣味嗜好で捉え方が随分変わるものだということも、今回は改めて実感した次第です。私は、栗原裕一郎さんの進むべき道は『盗作の文学史』のようなノンフィクションにあるように思えますが、黒古さんもおっしゃられていましたが、『盗作の文学史』のように「取材」に力を入れずに、つぎはぎを埋めていくようなパズルゲームを机上作業で続けていくのであれば、当然底の浅いものになってしまうに違いありません。話は変わりますが、Wikipediaで黒古さんのことをお調べしたら、小田切秀雄さんに師事されたとのこと。小田切さんは埴谷雄高さんと「近代文学」で同人だったはずで、学生時代からの埴谷ファン(特に××と××の未来社シリーズが特に好きでした)の私としては、少々大げさですが、何か運命の糸のようなものを感じました。「井伏鱒二と戦争」(仮題)に関してですが、『盗作の文学史』の井伏さん問題への切り込みが、正直もの足りなかったので期待しております。刊行された際には、目を通させていただくつもりです。(その前に、黒古さんの文章に興味を持ったので、数ある著作の中から『黒古一夫書評集』勉誠出版2010あたりから、読み始めようかと密かに思っております)同じようなことを繰り返して書いてしまいましたが、黒子さんのこれからの健筆をお祈りしております。 返信する 「らいぞう」さんへ(再) (黒古一夫) 2012-01-21 18:17:02 「らいぞう」さんのお歳がおいくつなのか分かりませんが、埴谷雄高がお好きだということで、なぜ栗原氏の『盗作の文学史』に違和感をお持ちになったのか、僕なりに納得しました。 僕は小田切秀雄先生との関係があって(全く関係ない場合もありましたが)、埴谷さんとは生前何度もお会いし、埴谷さんの「怪気炎」(といっても、論理的に整合した文明批評・社会批評で、書籍で読む埴谷さんのエッセイ・評論と変わらないものでした。特にお酒<多くの場合、ワインでした>が入ると、なかなかエロチックな面も見せ、周りの人を楽しませてくれました)に接し、戦後文学者の「重さ」を感じたものでした。 これは余談ですが、僕がいま「知の巨人」などといわれ、いい気になって東電や原発推進派のお先棒を担いでいる「原発容認」のイデオローグ吉本隆明と「別れた」のも、80年代半ばに行われた埴谷―吉本論争において、どう見ても「そのうち労働者は週休3日制を獲得するだろう」などという資本主義を礼賛する吉本の論理はおかしく、埴谷さんの方が「正しい」と思ったのが、きっかけでした。 僕は、今でも時々埴谷さんの文章を読み返し、戦後文学や政治・思想・文学の在り方について学んだり確認したりしています。 返信する コメントをもっと見る 規約違反等の連絡 コメントを投稿 サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
お手紙受け取りました。ありがとうございます。
毎日これだけお忙しい中、お手紙までいただいて
感激しました。
私もそうでしたが先生とご連絡が途絶えている方でも
連絡を取りたいと思っている人はたくさんいるはずです。でも私のようにあまり良い学生でなかったり
その後連絡をとりづらいような出来事があったりするとなかなか…。
気にかけてくださっているのですから、
たまに連絡を差し上げたほうが失礼ではないのかも
しれないですね。
先生には感謝してもしても、尽きることはありません。これだけ多忙な中、あれだけ学生のために
時間を割いて丁寧に学生の言おうとしていることを
汲み取って指導してくれる先生など、そうそういないと思います。
また、先生に指導を直接受けたことがある方なら、
ここに書かれていること、先生が言おうとしていることはわかるはずです…
(時々コメントに変なお返事が来ているようですが。どうして直接のコミュニケーションじゃなくなると、ああも横暴になれるのか不思議です。たとえ異なる意見を持っていたとしても「言い方(書き方?)」というものがあると思います)
先生のお言葉を胸に、頑張ろうとあらためて思うことでした。元気が出ました。ありがとうございます。
追伸
お手紙に書かれていた祖母は、残念ながら1年半前に亡くなりました。
ついでになりますが、お祖母ちゃん、残念でしたね。今度お参りするとき、よろしくお伝え下さい。
また先生におかれては、「文学」という語を学問とは別個の何か神聖なものだとお考えのようですが、学問をしている人間にとって、そのような文芸評論家的態度は無縁のものであります。
「立松和平の盗作事件」の、真相はどうだったのでしょうか。テレビや新聞では、立松本人も盗作を認めてテレビでも謝罪していたようでしたが、立松和平は盗作をしていなかったのでしょうか???
確かに、マスコミというのは事実を歪めて、報じていることもままあるようです。ぜひ、立松和平の盗作事件の真相を教えてください.
そもそも、物書きたるもの、自分で考えたコンセプトこそ売りのはず。。。盗作なんて、最低最悪だと思います。立松和平の名誉のためにも是非。
それは、僕が「盗作疑惑」の作家に直接「取材」すべきだったのではないか、と書いたのは、亡くなった作家や行方不明の作家について「取材しろ」と言ったのではなく、現在もなお活躍している作家たちに取材すれば、彼ら彼女なりの「言い分」があるだろうということだし、仮に物故作家の場合でも関係者が生存している場合は、電話でも何でもいいから「取材」すべきではないか、といっているだけです。僕には栗原氏が余りに「情報」(メディア)に頼りすぎているのではないかという印象を持ったので、あのように書いたのです。小谷野さんも「谷崎潤一郎伝」などをお書きになったとき、現存関係者への取材の「大切さ」を痛感したのではないでしょうか。
なお、「盗作疑惑」を掛けられた作家がその問題について発言することの困難を僕は立松和平の「光の雨」事件で痛感させられました。「犯罪者」的な扱いしかしない既存のメディア(編集者たち)は、みな「逃げてしまい」四面楚歌になる、というのが現実だと僕は思っています(時間が経って、つまり「ほとぼりが冷めた頃」書かせてくれるメディアも無いではないようですが、栗原氏の本はその点のフォローも無いように僕には思えました)。
さて、戦後文学の巨人についてですが、20年ほど前中野孝次から「Hさんの本に俺の「実朝考」とそっくりの部分が数ページある。そのことをHさんに言ったら、俺に使われたのは本望と思え、といわれた」と聞いたことありますし、H氏のパプア・ニューギニアでの人肉食を扱った長編(岩波書店刊)は、読者から送られてきた体験記の引き写しで、印税をそっくりその読者に渡したというのは、文壇の「常識」と言われる出来事です。小谷野さんも栗原氏も「文壇」内事情に詳しいようですので、「H」とは誰か、推測してください。僕からは事情があって名前は言えません。ご勘弁下さい。
なお最後に、あの小谷野さんがまさか「文学」と「学問」を分けて考えているとは、信じられません。何かの間違いではありませんか。常に「引用」と「盗作」に気を遣っているはずの小谷野さんの発言とは思えませんが、いかがですか?
学生Bさんへ
立松がテレビで謝罪していたというのは「光の雨」事件の時のことでしょうか。もし、そうであったならば、それは「すばる」に連載したときの「光の雨」が連合赤軍事件の死刑囚坂口弘の「手記」に似ていると告発されたとき、その本や他に連合赤軍事件関係者の手記などを参考にして、結果的に「盗作」と言われるようなことになったことを「お詫び」下のだと思います。
このことは僕も別な箇所(「立松和平伝説」などでも書きましたが、立松の作品以前に立松の友人であり作家である三田誠広が「連合赤軍事件」をカリカチャライズした「漂流記1972」を書き、その戯画化があまりに酷かったので批評を買い、立松はそのことを近くにいてつぶさに見ていたので、自分たち世代の責任として「できる限り<事実>に近い形で」連合赤軍事件(1970年前後の「政治の季節」=全共闘運動)の本質を小説という形で問いたい、という思いから、坂口弘やその他の手記を使ったのです(そのようなことを「お詫び」という形でテレビで話したのではないかと僕は記憶しています)。
「引用」にすべきか、「参考」にした創作とすべきか、その方法は作家独自のものです。他人事でなく、難しい問題です。自分で考えたと思ったコンセプトが、実は既に他の人がもう使っていた(考えていた)というのは、良くあることです。どこまでが無意識による「コピー」か、そうではなく完全な「オリジナル」であるか、これも難しい問題です。
暴言をお許しください。しかしながら栗原氏著は私も関わって出た本ですから、それ相応の文句を言う権利はあります。
私の見る限り、栗原氏が、取材すれば引き出しえた事実を見落としているなどということはないと思いますが、さてたとえば立松和平について言うなら、立松にはいくらでも自著等で弁明する余地はあると思います。栗原氏は別にメディアの報道にだけ頼っているわけではなく、立松が何も弁明していないからそれを利用できなかっただけではありませんか。もし先生が、立松の言いたいことが何者かの圧力で言えない、などということをお考えでしたら、先生ご自身が立松に成り代わって書けばよいことではありませんか。
また「学問」と「文学」を分けるというのは当然のことで、学問は客観的事実を明らかにする科学であり、先生が「文学」と言っておられるのは、私にはドイツ・ロマン派的な意味での「批評」の類としか思えません。その辺のことは拙著『評論家入門』で十全に論じたので、お暇の折にでも御覧ください。
なお「文学」について言えば、私はそれはゴシップを淵源とする、と何度も書いております。
なお私も栗原氏も「文壇」とは関係ないので、事情には詳しくありません。(なぜ詳しいと考えたのでしょうか)
立松氏の創作に対する姿勢や、黒古先生の上記の一連の発言などから感じ取られてしまうのは、「文学」ならば許されるという「驕り」です。「文学」を神聖視・特権化するあまり、他者の創作物を搾取し、それを暴力的に奪っているということに対し極度に鈍感になっているとしか感じざるを得ませんでした。
それにしても学生Bのように、ここで問題になっている栗原氏の著作を読みもしないで質問してくるバカモノを相手にしていて、ご苦労なことです。私なら「読んでから言え」と怒鳴りつけますがね。
過日、栗原氏の「盗作の文学史」を読み終え、なかなか面白い本だと思い、他の人はどう感じたのだろうかと、あれこれネットを検索しているうち、貴殿のブログを拝読するに至りました。
貴殿は「盗作の文学史」を、「情報」によって書かれたものではないかと疑義を呈しておられますが、いったい全体、貴殿は、栗原氏のどの文章を読んでそう思われたのでしょうか。その文章が参照した「情報」とは何なのか、併せてご教示いただければ幸いです。
一例のみで結構です。
追伸
ある人の著作に対し、具体的な例を出さずに論難するのは卑怯だと、私には感じられます。その点についてどうお考えなのか、できればご教示たまわりたく存じます。