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ありがとうございます (学生A)
2008-08-31 23:36:39
私事を書くことになりますが、ここをたまに読んでますという意味もこめて…。
お手紙受け取りました。ありがとうございます。
毎日これだけお忙しい中、お手紙までいただいて
感激しました。

私もそうでしたが先生とご連絡が途絶えている方でも
連絡を取りたいと思っている人はたくさんいるはずです。でも私のようにあまり良い学生でなかったり
その後連絡をとりづらいような出来事があったりするとなかなか…。
気にかけてくださっているのですから、
たまに連絡を差し上げたほうが失礼ではないのかも
しれないですね。

先生には感謝してもしても、尽きることはありません。これだけ多忙な中、あれだけ学生のために
時間を割いて丁寧に学生の言おうとしていることを
汲み取って指導してくれる先生など、そうそういないと思います。

また、先生に指導を直接受けたことがある方なら、
ここに書かれていること、先生が言おうとしていることはわかるはずです…
(時々コメントに変なお返事が来ているようですが。どうして直接のコミュニケーションじゃなくなると、ああも横暴になれるのか不思議です。たとえ異なる意見を持っていたとしても「言い方(書き方?)」というものがあると思います)

先生のお言葉を胸に、頑張ろうとあらためて思うことでした。元気が出ました。ありがとうございます。

追伸
お手紙に書かれていた祖母は、残念ながら1年半前に亡くなりました。
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学生Aさんへ (黒古一夫)
2008-09-05 11:49:32
 学生Aが僕の考えているあの学生ならば、気にすることはありません。僕は君の事を念頭に「苦言」を呈したのではありません。気にしないで下さい。
 ついでになりますが、お祖母ちゃん、残念でしたね。今度お参りするとき、よろしくお伝え下さい。
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Unknown (小谷野敦)
2008-09-05 12:36:45
取材せよとのお話ですが、栗原氏が盗作ではないかとした現存の作家のうち、西村みゆき、小幡亮介は所在不明、またメディアとおっしゃるが、作家なのだからもし言い分が報道されないなら自分で書けばよいことではありませんか。もし、言い分が封殺された現存作家がいるというなら、教えてください。また戦後文学の巨人の話も、ちゃんと名を出して言ってくださらないと、栗原氏も応接のしようがないでしょう。
 また先生におかれては、「文学」という語を学問とは別個の何か神聖なものだとお考えのようですが、学問をしている人間にとって、そのような文芸評論家的態度は無縁のものであります。
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真相を教えてください! (学生B)
2008-09-06 01:33:13
こんばんは。
 「立松和平の盗作事件」の、真相はどうだったのでしょうか。テレビや新聞では、立松本人も盗作を認めてテレビでも謝罪していたようでしたが、立松和平は盗作をしていなかったのでしょうか???

 確かに、マスコミというのは事実を歪めて、報じていることもままあるようです。ぜひ、立松和平の盗作事件の真相を教えてください.
 そもそも、物書きたるもの、自分で考えたコンセプトこそ売りのはず。。。盗作なんて、最低最悪だと思います。立松和平の名誉のためにも是非。
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小谷野敦さんへ、学生Bさんへ (黒古一夫)
2008-09-06 11:07:03
 小谷野敦さんへ:もし小谷野さんがあの僕も書評(北海道新聞)した「谷崎潤一郎伝」(中央公論新社刊)や「恋愛の昭和史」(文藝春秋)をお書きになった小谷野さんであるならば、小谷野さんらしからぬご意見だな、と思いました。
 それは、僕が「盗作疑惑」の作家に直接「取材」すべきだったのではないか、と書いたのは、亡くなった作家や行方不明の作家について「取材しろ」と言ったのではなく、現在もなお活躍している作家たちに取材すれば、彼ら彼女なりの「言い分」があるだろうということだし、仮に物故作家の場合でも関係者が生存している場合は、電話でも何でもいいから「取材」すべきではないか、といっているだけです。僕には栗原氏が余りに「情報」(メディア)に頼りすぎているのではないかという印象を持ったので、あのように書いたのです。小谷野さんも「谷崎潤一郎伝」などをお書きになったとき、現存関係者への取材の「大切さ」を痛感したのではないでしょうか。
 なお、「盗作疑惑」を掛けられた作家がその問題について発言することの困難を僕は立松和平の「光の雨」事件で痛感させられました。「犯罪者」的な扱いしかしない既存のメディア(編集者たち)は、みな「逃げてしまい」四面楚歌になる、というのが現実だと僕は思っています(時間が経って、つまり「ほとぼりが冷めた頃」書かせてくれるメディアも無いではないようですが、栗原氏の本はその点のフォローも無いように僕には思えました)。
 さて、戦後文学の巨人についてですが、20年ほど前中野孝次から「Hさんの本に俺の「実朝考」とそっくりの部分が数ページある。そのことをHさんに言ったら、俺に使われたのは本望と思え、といわれた」と聞いたことありますし、H氏のパプア・ニューギニアでの人肉食を扱った長編(岩波書店刊)は、読者から送られてきた体験記の引き写しで、印税をそっくりその読者に渡したというのは、文壇の「常識」と言われる出来事です。小谷野さんも栗原氏も「文壇」内事情に詳しいようですので、「H」とは誰か、推測してください。僕からは事情があって名前は言えません。ご勘弁下さい。
 なお最後に、あの小谷野さんがまさか「文学」と「学問」を分けて考えているとは、信じられません。何かの間違いではありませんか。常に「引用」と「盗作」に気を遣っているはずの小谷野さんの発言とは思えませんが、いかがですか?

 学生Bさんへ
 立松がテレビで謝罪していたというのは「光の雨」事件の時のことでしょうか。もし、そうであったならば、それは「すばる」に連載したときの「光の雨」が連合赤軍事件の死刑囚坂口弘の「手記」に似ていると告発されたとき、その本や他に連合赤軍事件関係者の手記などを参考にして、結果的に「盗作」と言われるようなことになったことを「お詫び」下のだと思います。
 このことは僕も別な箇所(「立松和平伝説」などでも書きましたが、立松の作品以前に立松の友人であり作家である三田誠広が「連合赤軍事件」をカリカチャライズした「漂流記1972」を書き、その戯画化があまりに酷かったので批評を買い、立松はそのことを近くにいてつぶさに見ていたので、自分たち世代の責任として「できる限り<事実>に近い形で」連合赤軍事件(1970年前後の「政治の季節」=全共闘運動)の本質を小説という形で問いたい、という思いから、坂口弘やその他の手記を使ったのです(そのようなことを「お詫び」という形でテレビで話したのではないかと僕は記憶しています)。
 「引用」にすべきか、「参考」にした創作とすべきか、その方法は作家独自のものです。他人事でなく、難しい問題です。自分で考えたと思ったコンセプトが、実は既に他の人がもう使っていた(考えていた)というのは、良くあることです。どこまでが無意識による「コピー」か、そうではなく完全な「オリジナル」であるか、これも難しい問題です。
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Unknown (小谷野敦)
2008-09-06 13:21:15
黒古先生
 暴言をお許しください。しかしながら栗原氏著は私も関わって出た本ですから、それ相応の文句を言う権利はあります。
 私の見る限り、栗原氏が、取材すれば引き出しえた事実を見落としているなどということはないと思いますが、さてたとえば立松和平について言うなら、立松にはいくらでも自著等で弁明する余地はあると思います。栗原氏は別にメディアの報道にだけ頼っているわけではなく、立松が何も弁明していないからそれを利用できなかっただけではありませんか。もし先生が、立松の言いたいことが何者かの圧力で言えない、などということをお考えでしたら、先生ご自身が立松に成り代わって書けばよいことではありませんか。
 また「学問」と「文学」を分けるというのは当然のことで、学問は客観的事実を明らかにする科学であり、先生が「文学」と言っておられるのは、私にはドイツ・ロマン派的な意味での「批評」の類としか思えません。その辺のことは拙著『評論家入門』で十全に論じたので、お暇の折にでも御覧ください。
 なお「文学」について言えば、私はそれはゴシップを淵源とする、と何度も書いております。
 なお私も栗原氏も「文壇」とは関係ないので、事情には詳しくありません。(なぜ詳しいと考えたのでしょうか)
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Unknown (学生C)
2008-09-06 21:03:17
 他人の書いた文章をあたかも自分のものであるかのように引き写すことは、普通、「方法」とも「創作」とも言わないように思います。その意味で『光の雨』のみならず、『二荒』において、二度までも、「盗作問題」を引き起こした立松和平氏には、創作家としてのモラルが根本的に欠如していると感じざるを得ません。
 立松氏の創作に対する姿勢や、黒古先生の上記の一連の発言などから感じ取られてしまうのは、「文学」ならば許されるという「驕り」です。「文学」を神聖視・特権化するあまり、他者の創作物を搾取し、それを暴力的に奪っているということに対し極度に鈍感になっているとしか感じざるを得ませんでした。
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Unknown (小谷野敦)
2008-09-06 22:07:32
私は『谷崎伝』執筆に際して、渡辺千萬子さんに会って少し話を伺ったほかは、現存関係者には取材していません。なぜなら没後40年たっていて現存関係者が少ないのと、親族はプライバシーを守ろうとするため、自分で文章にした以上のことを話さないことが多いからです。
 それにしても学生Bのように、ここで問題になっている栗原氏の著作を読みもしないで質問してくるバカモノを相手にしていて、ご苦労なことです。私なら「読んでから言え」と怒鳴りつけますがね。
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はじめまして (山口裕輔)
2008-09-07 01:23:46
初めてコメントいたします。山口と申します。
過日、栗原氏の「盗作の文学史」を読み終え、なかなか面白い本だと思い、他の人はどう感じたのだろうかと、あれこれネットを検索しているうち、貴殿のブログを拝読するに至りました。

貴殿は「盗作の文学史」を、「情報」によって書かれたものではないかと疑義を呈しておられますが、いったい全体、貴殿は、栗原氏のどの文章を読んでそう思われたのでしょうか。その文章が参照した「情報」とは何なのか、併せてご教示いただければ幸いです。
一例のみで結構です。

追伸
ある人の著作に対し、具体的な例を出さずに論難するのは卑怯だと、私には感じられます。その点についてどうお考えなのか、できればご教示たまわりたく存じます。
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文学の残渣 (学生D)
2008-09-07 01:27:06
小谷さん、世の中、もっと優れた立派な作品が伍万とあるんですよ。そんなもん、はたして読むに値するのかどうか・・・ 文学の残渣みたいな分野ではないでしょうか?
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