福岡で地元の歴史を舞台化してきた劇団ショーマンシップ。
物語という目線で見た福岡の歴史。
福岡の歴史って面白い。



随分更新してませんでした^^;

さて亀井南冥さんのお話です。

この人の一番有名なエピソードは

「金印の保護に努めた」ことです。

国宝として有名な金印が志賀島より

発見された時、そこに書かれている

文字が問題になりました。

「漢委奴国王(南冥はかんのやまとのこくおう
と読んでいます)」

ここに書かれていた奴の文字(奴隷の奴です)

そして漢のと書かれていることから、漢の

属国と記されていることが日本を侮辱していると

思われたのです。(正直、どうでもいいやんと

思いますが、当時の人達にとっては大事な事だ

ったのです)

こういう意見に対して、「金印弁或問」という

論文を書いて金印の価値を証明したのです。

この論文は現在でも読むことができます。

質問に対しての論理的な説明は、中々素晴らしい

ものがあります。

まぁ、この金印に関しては、いろいろと南冥に

も疑わしいことがあるのも事実なのですが……

まぁ、それはまた。




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甘棠館初代館長の亀井南冥さん。

この人は衝撃でした。

普通、「儒学者」って聞くとどんな人を

想像しますか?

「頭硬そう」「真面目そう」「面白くなさそう」

そんなイメージを自分も持っていました。


ところがどっこい。


そんな言葉に真っ向から反対してくれる人物です。

「侠儒」(任侠の侠ですよ!)と呼ばれていたような

人ですから。

詳しいことはまた、今度書きますね^^



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甘棠館(かんとうかん)は天明4年に福岡藩に

よって建てられた藩校です。


甘棠というのは小リンゴとか、梨の一種と言われて

います。


 この甘棠館の名前の由来ですが、中国は周の時代、

召公という優れた政治家がいました。

彼はいつも甘棠の木の下で民の意見を聞き、優れた

政治を行っていました。

民は召公が死んだ後も彼を慕って甘棠の木を大切にし

たそうです。「甘棠の木、切るなかれ」という詩も

残っているとか。



 藩校の建設を承諾したのは七代目藩主、黒田治之です。

この人は優れた政治家であったのですが、若くしてこの世

を去ります。


 治之に侍医として仕えていて、甘棠館の館長になる亀井

南冥は、治之を大変尊敬していたそうです。

そして、城内にあった甘棠の木をもらい、甘棠館の敷地に

植えたと言われています。

 南冥と治之も甘棠の木の下で、政事について語り合った

のでしょう。




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福岡はYahooドームの近くに唐人町商店街

という商店街があります。



この、もと唐津街道に面した商店街の西側には

「甘棠館Show劇場」という

キャパ80名ほどの小劇場が存在します。



何を隠そうこの劇場は、江戸時代に黒田藩に

よって建てられた学問所の跡地に建てられて

いるのです。



そんな縁もあってか、その甘棠館を拠点として

活動している劇団ショーマンシップは、毎年一回

福岡の歴史物語を舞台化し、上演してきました。




福岡の歴史は知れば知るほど興味がそそられます。

自分が調べたことや、地元福岡の歴史をまったり

書いていければと思っています。



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