黒田官兵衛(如水)が戦勝祈願にお詣りした神社の中でも、歴史的に最も古い社がこの闇無浜神社です。
万葉集(759/天平宝字3年~)にもこの浜のことが載っています。
官兵衛(如水)は母の影響で幼時より文学に熱中したことがありました。
しかし、武家の棟梁として生を受けたからには、これからは兵法を学ぶべしとの箴言を受けやむなく文学から離れた経緯がありました。
関ヶ原の合戦が終わり、中津から福岡へ移封の折、福岡城が築城される間、太宰府の草庵に仮居しました。
官兵衛(如水)は比較的平安な時となった太宰府で、よく連歌会を催したほど、和歌に造詣が深かったのです。。
当時でも文武、智勇に優れていた武将でしたので、万葉集に詠まれていたこの神社はとくに親近感があったと思われます。