高取焼年表です。
注目すべきことは、文禄元年(1592)朝鮮人陶工八山が黒田長政に拝謁し、後藤又兵衛家臣桐山常右衛門が八山夫婦及び一子を連れて日本へ帰国したという記述です。
ご存知のようにその年、黒田官兵衛(如水)、長政は豊前中津城主でした。
関ヶ原の合戦(1600)までの8年間は、中津城下に棲んでいたことが考えられます。
長政が帰国した文禄3年(1593)年から慶長の役(1698/第二次朝鮮出兵)の間は大きな戦もなく、陶工たちの生活も落ち着いていたので、その間、黒田家は八山たち陶工に豊前国内で窯を築かせ、十分にその技を行使したのではないかと想像に難くありません。
さてその窯(黒田豊前八山窯?)は豊前国の何処にあったのでしょうか?
想像するだけでも楽しく興味のあるところです。
故に、古高取焼が幻窯たる所以でもあるのでしょう。