栗太郎のブログ

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「永い言い訳」 西川美和

2016-10-29 14:54:56 | レヴュー 読書感想文

「人は、自分のかわりに恥をかいてくれる人を求めている。」
公開初日、新宿の映画館の舞台挨拶でそう言ったのは西川美和監督だった。
この映画で、その惨めで哀れな男、衣笠幸夫の役をやってのけた本木雅弘にさらに、
「そんな恥ずかしい役を観ると、人はなぜか蔑むどころか、好意的な印象を持つのだ。ぜひこれからも、恥の十字架を背負って丘を上って欲しい。」
と、苦笑いを浮かべるしかない本木にむかって賛辞とエールを送っていた。
たとえば、お笑い芸人の場合もそうだろう。
裸になったり着ぐるみ着たり、スっ転んで奇声を上げて、バカじゃないのと笑われる。
笑うほうは、そんな無様なことは自分ではできないと呆れながら、どこかでエライと喝采を送る。
ただ、その気持ちは口にせず、自分よりも下に見下すからこそ「好意的」なのだろう。
監督は、そこをよく心得ている。

その心理をよく知る監督は、まるで鍼師だ。
ためらいもなく、千枚通しくらいの太い鍼をさしてくる。
僕ぐらいの歳になってくると、いままでさんざん悪態や嘘を吐き出しきた口を持つ。
その口から入った先の心の奥の隅っこに、宿痾のようなコリがある。それは、若い人や幸せな人生を生きてきた人にはない。
監督は若いくせに、そのコリをいたぶるツボの位置を心得ていて、そこをブスりとさしてくるのだ。
さされたこちらは痛気持ちよくて涙が流れてくる。だけど、うれしいくせに素直に言えず、エグイとか放言を吐く。

それでいて監督は、手荒な看護婦だ。
傷を被っていた絆創膏をためらいもなくベリッとめくる。
ずいぶん前から化膿している傷口は、薬もつけずにいるせいでグチュグチュにただれており、よくもここまで放っておいたものだ、と、
わずかに笑みを湛えたサディスティックな表情で、脱脂綿にたっぷりと含ませたヨードチンキを塗り付ける。

画面で見る監督は、大学の文化系部活にいがちな、留年して居座っている女部長だ。
周りに居並ぶ男どもが異議を挟む隙をみせない貫禄がある。
だからと言ってけしてフェミニズムごりごりの能弁家ではなく、部員の意見を聞く耳はありそうなのだ。
彼女の猫のような大きな眼は、人間の内面を見透かすほどの観察力を持っていて、自分でさえも気付かなかった隠していた感情を研磨剤であらわにされる。
あの眼で見すくめられると、嘘を見抜くなんて朝飯前で、食事の好みからセックスの嗜好まで見抜かれるのではないかと思えてくる。

誉め言葉で言うのだが、監督はオッサンだ。
性別が女でありながら、卑屈でねじれて虚栄心でガードした中年男の心理を、あそこまで理解しているのはオッサンだからだ。
劇中、幸夫がノートを持ち歩くのは、普段の監督のスタイル。
あるTV番組でその理由を「武装」だと言っていた。
たしかに、録音機やタブレットを出されるよりも真剣勝負感が強く、相手は言葉を選び、笑いながらも臨戦態勢をとるものだ。
その発想は、オッサンだと思った。
「自分、女なので」なんて逃げ台詞など知らず、他のオッサン相手に丁々発止を繰り返してきただろうことは、舞台挨拶の壇上でのキリリとした態度でもうかがえた。
オッサンゆえに、監督自身も衣笠幸夫になれる。衣笠幸夫は本木雅弘であり、西川美和なのだろう。
見た目で騙されてはいけない。


この話、先に小説を書いたという。
着想のきっかけは東日本大震災のときのこと。
心ならずも永遠の別れが突然やってきた人たちを思いながら、もしかしたらその中には、後味の悪い別れ方をしたまま相手が帰らぬ人になってしまったという不幸もあったのではないか、と感じたらしい。
まさしく、突然のバス事故で妻を亡くした幸夫が、そうだった。
死んだと聞かされても涙も出ず、感情に波も立たずに冷静でいられた。
「妻が死んだ。これっぽちも泣けなかった。」と幸夫はその心境を語った。
それは、もう愛していなかったからか?
正直、そんな夫婦は世の中ごまんといる。むしろ死んでくれたらいいのにと腹の中で思っている夫婦だっているだろう。
幸夫にとって妻の夏子は、死んでくれたらとまでは考えてはいなくても、居なくなっても動揺しない程度の存在になっていた。
たぶん妻一人が犠牲者だったら、幸夫の中の喪失感という大傷もおいおい癒えて、それまで通りの生活に戻っただろう。
それが、夏子と一緒に犠牲になった友人の家族、夫の大宮陽一、子供の真平と灯が、幸夫を変えたのだ。
大宮家に出入りするようになった幸夫は、彼らを通して、生前の夏子を知っていく。
はじめの出会いから「幸夫クン」と呼ばれるのは、夏子が大宮家でそう呼んでいたからだろうし、
留守番を申し出たとき陽一が喜んでくれたのは(映画だけだが)、「なっちゃんの旦那さん」だからこそうれしかったのだろうし、
一家三人に抵抗なく受け入れてもらえたのも、夏子が幸夫のいいところしか言ってこなかったからだろう。
幸夫が大宮家へ出向く理由は、逃避なのか、同調なのか、取材なのか、懺悔なのか、贖罪なのか、穴埋めなのか。
すぐに馴染めたのは、夏子の遺産みたいなもの。いまでも大宮家には、幸夫の知らない夏子の影がある。
そこにいた夏子は自分の知らない夏子で、時に浮かんで見える声なき夏子の姿に、幸夫は悩み、悔やむ。
今さら取り返しがきかないからこそ辛く、今さら夏子の気持ちが聞けないから迷い、これから先の生き方が見えてこなくなっていく。
行き当たりばったりで始まった留守番も、ホントはそれを求めていたのは大宮家のほうではなく、幸夫のほうだったのだ。
だから、面倒くさい振りをしながらも嬉々として大宮家まで足を運ぶのだ。
陽一の純真な心を知り、達筆な字に驚き、まっすぐに子供に向かう姿を見るにつけ、関わりたくない強面親父の印象はどこかへ行ってしまっている。
真平の志望校選びの理由が、その学校の天体観測合宿だと知れば、心から受験の手助けをしたいと願う。
大宮家と一緒の家族写真、かるたとり、灯の誕生日、、、。様々な出来事が幸夫のかけがえのない思い出となっていく。
幸夫は単純にこの家族が好きになったのだ。この家族と一緒にいるのが楽しいのだ。
そこにいる幸夫はまさしく、<庇護欲と使命感と、そして充足感>で胸がいっぱいなのだ。

後半でてくる科学の先生、鏑木優子は吃音だった。小説の中では斜視だった。
どちらにしても、あまり人前に出るのを避けそうなものだが、彼女が科学ショーを仕切る姿からは、この人は自分のコンプレックスに正面から向かい合っている前向きな人なのだとうかがえる。
緊張すると顕著に顕れる屹音の症状。おそらく幼少時より、吃音(または斜視)をからかわれて生きてきた人生だろう。
そんなことを気にしない陽一の天然さは、鏑木を安心させたのだと思う。
だからこそ彼女も、急速に大宮家に溶け込めたのだ。

その鏑木が留守番の代役を務めそうになると、幸夫は嫉妬深く不貞腐れる。
まるで恋人を寝取られたかのようなみっともない態度だ。このあたりの描写は、なるほど西川監督は是枝組だったなあと思わせる。
しみったれ感は『歩いても歩いても』の良多(阿部寛)だし、惨めな男の嫉妬は『そして父になる』の良多(こっちは福山雅治)だ。
そういえば、ねじくれた自意識の塊の幸夫と純心で着飾らない陽一のコンビは、良多と雄大(リリー・フランキー)の関係そっくり。

幸夫が本木雅弘の素であるならば、陽一もまた、竹原ピストルそのままだ。少なくとも僕のイメージはそうだ。
かつて野狐禅で活躍していた彼はお世辞にもメジャーではなかったけども、彼の歌う歌は、陽一の純真まっすぐそのものだった。
今でも一人で小さいライブハウスのどさ回りを続けている彼のステージは観る機会を得ていないが、それでもたまに落ち込んだ時は、野狐禅ヘビーローテーションの出番である。
「ならば友よ」「東京紅葉」「あじさい」「カモメ」、、、怒鳴りつけるような歌声は、泣きたちゃ泣けよ、と檄をとばしてくるようだ。
まっすぐゆえに、たぶん面倒くさいところもありそうな、その風貌そのままなのだ。

陽一の事故の急報を受け、慌てて真平たちのもとに走っていく幸夫の携帯には、真平からもらったお土産のストラップがまだぶら下がっていて、チャリンチャリンと鈴を鳴らす。
僕はここでしたたかに、西川美和の鍼にブスリとやられた。
気まずくなって足が遠のいていたのに、ほんとは大宮家の三人との縁を切りたくない気持ちが伝わってくる。そのいじらしさに泣けてきた。
ちなみに、両家の春巻きのレシピが同じなわけや、新刊の受賞祝いのパーティーで真平が坊主頭の制服姿なわけなど、随所に鍼や絆創膏がちりばめられている。
そのたび、僕は打ちのめされていた。
しらじらしく「子は三界の首っ枷」のかるた札を持ち出したり、愛人の去り際のショットに夏子の遺影を映し込むのも、監督の罠だとしか思えない。

結局、死んだときの夏子は自分を愛していたのか、未送信の「愛していない、ひとかけらも」はどこまで本音なのか、手繰り寄せる術は一つも出てこない。
未送信でありながら、かといって削除もしていないメールは、いつか送るつもりがあったのか、書き留めておくこと自体がお守りやブレーキ代わりだったのか。
ただ、大宮家を通して映された夏子の残像からは、自分を愛してくれていたことがよくわかるのだ。
いつから愛がなくなったのだろう?、いや愛がなくなったのは自分だけだったのか?、夏子の愛を素直に受け止めれずにひねくれていただけなのか?
警察から出てきた陽一と真平を見送り、一人で帰京する幸夫の心境が痛いほど胸に響く。
そのとき、幸夫が真平に諭した言葉が僕の胸に去来する。
<自分を大事に思ってくれる人を、簡単に手放しちゃいけない。みくびったり、おとしめたりしちゃいけない。そうしないと、ぼくみたいになる。ぼくみたいに、愛していいひとが、誰も居ない人生になる。簡単に、離れるわけないと思ってても、離れる時は、一瞬だ。そうでしょう?>
帰りの宇都宮線に揺られながら、その言葉は、神田駅前で見かけた鯛焼きをJくんとYちゃんの分まで無意識に買っていた僕の頭の中でぐるぐると回っていた。
 

なお、映画のパンフレットにはDVDが付いている。
本木が役の「衣笠幸夫」になりきって、つまり、台本なしで衣笠幸夫が言うであろう言葉で、インタビューを受けていた。
自意識が強い本木は、衣笠幸夫の方が清いと言う。幸夫よりも自分のほうが汚いって知っているとも言う。
やはり本木本人は、下手からすり寄ってきてクリンチしてくる曲者だと思った。親しみやすそうでいて腹をみせない。

監督いわく、本木は、幸夫以上にやっかいで、こじれていて、複雑だという。
思い出せば舞台挨拶の時、映画の中で子供たちにさえ「クン呼び」される役を演じた本木が、池松のことを、”濡れ場キング”とまで茶化すくせに「サン」づけで呼んでいた。
それこそ「池松クン」でいいだろうに。そこに、本木が無意識に引いた防衛線を見つけた思いだった。
実物も、まるで衣笠幸夫だった。

 

登場人物の心情のディテールが描かれている小説は、満足度9★★★★★★★★★

永い言い訳 (文春文庫)
西川 美和
文藝春秋



『永い言い訳』公式HP

映画もよし。スーパー16ミリの効果は抜群、あのボヤケ加減にやられる。おかげでヒャックリのように泣くことしばし。
涙活よろしく、二度鑑賞。
満足度9★★★★★★★★★

 映画『永い言い訳』予告編


 

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