栗太郎のブログ

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「怒り」(上下巻) 吉田修一

2016-10-15 09:50:15 | レヴュー 読書感想文

千葉、東京、沖縄。
三つの場所に現れた、素性を隠して現れた三人の男と、その男に関わりをもった、幸せに慣れていない人たち。
言い換えれば、自分は幸せになんてなれやしないと懐疑的な人生を送ってきた人たち。
みな、どこか隙がある。それは、弱みがあるのと同じだ。
槙は、娘のゆるさ(はっきり言えば軽い発達障害)をずっと負い目に感じていたし、
優馬は自分がゲイであることに虚勢を張っていたし、
泉は離島にやってきたいきさつから卑屈になっていた。
人より劣っていることを気持ちの負担にして日々を過ごしているのだ。
それは、多かれ少なかれ他の人たちもみなそうだ。
そして、僕自身もそうだ。
だから引き込まれていくのだ、この小説に。
そして何かのたびに浮かんでくる、『お前のこと、信じていいんだよな?』という言葉。
優馬が直人に言いたかったこの言葉が、読んでいる間中ずっと僕の頭からも離れなかった。
出てくるほぼすべての人物に対して、「お前を信じていいのか?」「お前は信じているのか?」と。


愛子は、見ず知らずの男でもいい、自分を信じて寄り添ってくれるのなら過去なんて気にしない。そう思えた。
こんな自分には、素性がわからないくらいの男でちょうどいいのだ、そう自分に言い聞かせた。
それが、もしかしたら殺人犯なのかもしれない、と疑いだした途端、それまでの自分の中の信頼がぐらぐら揺らぐ。
公開捜査の写真とは全然似てないのに、頬にあるホクロが気になり、左利きなのも気になり、犯人ではと疑いだす。
身の回りの出来事、その正体を知ることができないと、ほんの些細なできごとでも薄気味悪く感じてくる。
もしかしたらこの人、人殺しなのか?
誰かを疑いだすと今度は、だんだんそれを正当化しようと脳が働きだして、わずかな疑惑も「犯人」である理由のように考え巡らすのだから不思議なものだ。
そして、ようやくつかんだ小さな幸せがするりと逃げていく。
真相がまだ明かされないときに僕は思う。居場所がわからなくなって戸惑う槙と愛子に、「それでもお前は信じているのか?」と。


 優馬が家に居ついた直人に、泥棒するんじゃないかと疑っているんだぜ、と言うと、直人は、それは信じているってことだろ?と返す。
それは、直人自身も、優馬を信じているから言える言葉だ。
この小説の中で、この二人が愛しくてたまらなかった。
のちに明かされる直人の生い立ち、病い、優馬の母との交流、そして戻ってこなかったわけ。
真相を知れば、ミステリアスに見えたその姿がまったく別のものに見えてくる。
 それが世間からはイビツな幸せだったとしても、なくしてみるとどれだけ自分を支えてくれていた幸せだったのか実感する。
その時にまた巡る。
『お前のこと、信じていいんだよな?』
そう言いつつ信じてあげられなかったのはお前だろ?、あいつは信じてくれていたんだぞ?、と。
そして僕自身も、そう責めながらも僕も直人を疑ってたけどな、と。
疑って、その時手放した手綱が、もう自分の手元から遠くに離れていってしまったこと、手繰り寄せようとももう二度と戻ってこないこと、
それを身に染みるほど思い知らされて泣き崩れる優馬が愛おしかった。

三者三様でありながら、実は一カ所だけは素性のしれない男との交流がやや異なる。
結局、様々な「怒り」の形があるなかで、そいつの怒りだけが他人に向けられていたわけなのだが。
この作家、スマートなストーリーにしようなんて微塵も思わずに、人間のエグイ部分も容赦なく描く。
それが人気の理由なのだろう。

前半の前振りがやや凡長に感じたけど、満足度は7★★★★★★★

怒り(上) (中公文庫)
吉田 修一
中央公論新社



怒り(下) (中公文庫)
吉田 修一
中央公論新社




そしていよいよ映画を観る。

結末を知ったうえで見ているので、それぞれの所作にドキドキすることはなかった。
それは先に読んでしまった損ではあるが、代わりに、役者の表現する演技の種明かしを舞台の天井から覗き見しているような感覚を味わえた。

しかし、役者がみな上手い。
どっしりとした重しのような渡辺謙は、どう見てもいつも同じ演技なのだが、毎回その役に馴染んで見えてしまう。
綾野剛なんか、小説のラストを知っているだけに、もう出てきただけで泣けてきた。
たしかその直人が「大切なものは減っていく」という台詞を言う。それはあの時の直人だからこそ、言える言葉だったのだ。
病いを抱えた彼が、ひとつひとつのセリフの裏に、どんな感情を隠しているのかと思うだけでたまらなくなる。
妻夫木の素っ気なさも、抱きしめたくなってくる。
照れ隠しでそんなに気のない振りをしなくていいよ、このあと、お前自身に抑えきれない感情が襲ってくるのだぞ、と危ぶみながら。
宮崎あおいも広瀬すずも、吐き出さないと心がこわれてしまうんじゃないかと思えるくらいの激しい慟哭だった。
その広瀬は、そうとうに監督から精神的に追い込まされたんだろうと思えるくらいの表情だった。

全体の印象といえば、隠れていたもの見えなかったものが徐々に姿を現してくるような印象ではあるのだが、
正体を晒けだしていくという生々しさでなく、明るく清々しい日の出の時の太陽の光が射してきて、漆黒の闇で見えなかった景色が明らかにされていくとでも言おうか。
当然、綺麗な景色としても。そして汚れた景色までも。

ただ。
ラストにもやもやが残る。
泉(広瀬)は、辰哉が自分の秘密を守ろうとしていることを知っていなければならない。
その秘密を告白するかの葛藤を見せてこそのあの慟哭ではないか?
辰哉も、田中があの場に居合わせたことを知ったからこそ、凶行に出たんではないか?
あれでは、衝動的行動ととられても仕方がない。順序が逆だ。
直人が死んだ後の優馬も、直人のやさしさを後に知り、疑った自分を後悔し、墓前で話しかけるラストこそがふさわしい。
家族同様に受け入れられた墓参りのラストこそ、直人がうかばれ、そして優馬がわずかでも赦しを得られたはずなのだ。
映画という枠にあれだけ上手く詰め込んで、最後にそのための尺は残っていなかったのだ、としても手落ちであるような気がして残念だった。

エンドロールで見つけるまで忘れていたが、音楽は、坂本龍一。
ラストのクライマックスに向けて流れた穏やかな旋律などは、躍り出ようとする感情をしっかりと抱きしめるような母性を感じた。
曲のタイトルは「許し」という。(ようつべ↓)
「怒り」とは対極ではないか、と軽く衝撃を受けた。
そのせいで、観終えたあとずっと自問している。
自分はいままで人を信じてこれたのだろうか。
自分はいままで人に信じてもらえてたのだろうか。
その関係が崩れたとき、自分が信じれなくなった時、信じてもらえなくなった時、僕は怒りの感情をさらけ出すのだろうか。
ずっと「怒り」とは、「許し」とは、と考えている。

ラストが不満とはいえ、役者がいい。満足度は7★★★★★★★


映画「怒り」公式サイト

 「怒り」予告



坂本龍一 feat. 2CELLOS 『M21 - 許し forgiveness』(映画『怒り』主題曲)

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