自分の感じること、信じることに正直な大津。
汎神論(もしくは多神論というべきか)的考えを持つ大津は、唯一神を説くキリスト教から見ると異端なのだという。
そういう排他的な思考こそ、独善的ではないのだろうか。
救済の宗教といいつつ、偽善ぶった生臭い香りがプンプンしてくる。
むしろ、大津の語る言葉は、「やおよろずの神々」に馴染む日本人にはしっくりくると思うのだけどね。
そんな悩み苦しむ姿にイエスを重ねて、遠藤周作は描いていく。
そして他にも、美津子や磯辺や沼田や木口や三條や江波など、みんな心のどこかに善悪の二面性を持っている。
インドの女神も、また、慈悲と醜悪の二面性を持つ。
母なるガンジス河も、また、生と死の二面性を持つ。
遠藤周作は言う。
『・・・仏教で言う善悪不二でして、人間のやる所業には絶対に正しいと言えることはない。逆にどんな悪行にも救いの種がひそんでいる。何ごとも善と悪が背中合わせになっていて、それを刀で割ったように別けてはならぬ。分別してはならぬ。・・・』
まさに、池波正太郎の「鬼平」のなかで、蛇の平十郎がいうセリフだ。
この本で言いたいのは、それなんではないか。
ひとつの答えでくくれないもの。
正解なんてないもの。
だから人生は、答えを探す長い旅のようなもの。
その道筋で迷った時の拠り所が、大津にとっては玉ねぎ(イエス)なのだ。
じゃあ、僕にとっては、何があるだろうか。
ガンジス河に行けば何かが見つかるかもしれない、そう思わせるものはある。
10点満点中オススメ、結局答えが見つからない、が答えなのか7★★★★★★★
汎神論(もしくは多神論というべきか)的考えを持つ大津は、唯一神を説くキリスト教から見ると異端なのだという。
そういう排他的な思考こそ、独善的ではないのだろうか。
救済の宗教といいつつ、偽善ぶった生臭い香りがプンプンしてくる。
むしろ、大津の語る言葉は、「やおよろずの神々」に馴染む日本人にはしっくりくると思うのだけどね。
そんな悩み苦しむ姿にイエスを重ねて、遠藤周作は描いていく。
そして他にも、美津子や磯辺や沼田や木口や三條や江波など、みんな心のどこかに善悪の二面性を持っている。
インドの女神も、また、慈悲と醜悪の二面性を持つ。
母なるガンジス河も、また、生と死の二面性を持つ。
遠藤周作は言う。
『・・・仏教で言う善悪不二でして、人間のやる所業には絶対に正しいと言えることはない。逆にどんな悪行にも救いの種がひそんでいる。何ごとも善と悪が背中合わせになっていて、それを刀で割ったように別けてはならぬ。分別してはならぬ。・・・』
まさに、池波正太郎の「鬼平」のなかで、蛇の平十郎がいうセリフだ。
この本で言いたいのは、それなんではないか。
ひとつの答えでくくれないもの。
正解なんてないもの。
だから人生は、答えを探す長い旅のようなもの。
その道筋で迷った時の拠り所が、大津にとっては玉ねぎ(イエス)なのだ。
じゃあ、僕にとっては、何があるだろうか。
ガンジス河に行けば何かが見つかるかもしれない、そう思わせるものはある。
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