SIMフリースマホにしない手はない(1)~24時間誰とでもかけ放題のイオンSIM

 いまSIMロックフリー(以下SIMフリー)市場が熱い。新しいSIMフリースマートフォン(同スマホ)が次々に発売されているだけでなく、従来の格安スマホから1線を画したミドルレンジ(中機能)が次々に投入されているからだ。そしていずれもコストパフォーマンスがいい。SIM容量も多彩になり、端末、ソフトともに選択肢が大幅に増え、各自のライフスタイルに応じて選べるようになったのも人気の一つだ。
 昨年12月、キャリアの実質ゼロ円販売や高額なキャッシュバックを禁じる通達を総務省が出したことでSIMフリー市場に流れるユーザーも増えた。そこで今回はSIMフリー市場で人気の一端を担うイオンモバイルのサービスを紹介してみたい。

イオンは音声SIMも縛りなし

 イオンモバイルは名前から分かるように流通大手イオングループの一員である。同グループがSIMフリー市場に参入したのは2014年と比較的新しいが、SIMフリー市場で同社が果たした役割は大きく、イオンスマホ以前、イオンスマホ以後と言ってもいいほどだ。
 衝撃的だったのはSIMと端末のセット販売。それも1つ前の機種とは言え人気だったNexsus4とSIMをセットで月額2980円で販売した。この分かりやすいシステムに飛びついたのがスマホ初心者やシニア層だったが、それは同社の狙い通りでもあり、限定数の8000台はわずか1か月で完売してしまった。
 その後、イオンは格安スマホから「こだわりスマホ」へとステップアップする戦略を取り、機能をアップしたスマホを販売しだしたが、現在の取り扱いスマホはミドルレンジ(中機能)の最新機種が中心になっている。

 同社の魅力はスマホ本体よりSIMにある。MVNO(Mobile Virtual Network Operatorの略、仮想移動体サービス事業者)のSIMとキャリアのSIMが決定的に違うのは契約期間の縛りがあるかないかだ。キャリアの場合は大体2年契約で、途中で解約すると違約金を取られる。いわゆる2年縛りである。
 一方、MVNOは契約期間の縛りがないから、いつ解約しても違約金を取られる心配がない。ただし、それはデータ専用SIMの場合で、音声SIMは1年以内の解約なら解約料を課しているところが多いが。

 しかし、イオンモバイルは音声SIMでも契約期間の縛りなし、解約料なしである。これは画期的。よくぞ解約料なしに踏み切ったものだと感心する。
 キャリアにしろMVNOにしろ、音声SIMに解約料を課すのは顧客の囲い込み。短期で他社に移動されると儲からないからだ。できるだけ長く使い続けて欲しい、そのために様々なサービスを導入し安くしているというのが偽らざる本音だろう。
 一切の拘束を取っ払って大丈夫か。気に入った端末欲しさにイオンモバイルで契約し、数日使ってすぐ解約されると困りはしないか、と他人事ながら心配すると同時にイオンモバイルの太っ腹に感心せざるを得ない。
 ゼロにすれば、ちょっと試してみて、よくなければ他社にすぐ替わるだろうから同社は儲からないだろうと心配してしまうが、人は一度契約するとよほどのことがない限り短期でよそへ移らないものだ。また同社にしてもSIMの品質やサービスに自信があるからこそ解約料なしに踏み切ったのだろう。

 ただMNP(ナンバーポータビリティ)転出をする場合は転出手数料がかかるので注意が必要だ。手数料額は契約期間によって変わり、契約後180日以内は8000円(税別)、181日目からは3000円(同)になっている。

月1500円で、いつでも、誰にでもかけ放題

 電話をよくかける人にお勧めなのが月1500円で24時間、誰にでも電話かけ放題になるオプション。最近はかけ放題を謳っているMVNOもあるが、ほとんどが5分かけ放題(ほかにも1分、10分がある)だ。5分以内なら何度かけても無料だが、5分を過ぎると30秒20円の通話料がかかる。5分になる前に何らかの合図(公衆電話のようにピーと鳴る音のような)をしてくれればいいが、それはない。5分超過に気付かず話していると、せっかくの無料電話が逆に高くつくことにもなる。

 その点イオンモバイルのかけ放題は相手がドコモだろうとau、ソフトバンクケータイ・スマホであろうと関係なく、何時間でも話し放題(5時間話し続けると自動的に切れる)。同じようなプランのケータイのかけ放題料金2200円と比べてもイオンモバイルの1500円は圧倒的に安い。
 しかもイオンモバイルのかけ放題はデータSIMで使えるから、最低1980円で1Gのデータ通信とかけ放題電話が使えることになる。

 なぜ、こんなに安い料金で電話かけ放題ができるのかといえば、050で始まるインターネット電話だからだ。インターネット電話とはいえ固定電話番号はもらえるし電話をかけた相手へ050で始まる番号も通知される。
 インターネット電話の場合、通話品質が回線状態に左右されるため、できるだけ電波状態のいいところやWi-Fiを利用するようにした方がいい。

 このサービスのメリットは電話がかけ放題になることだけではなく、090や080で始まる番号と050で始まる番号の2つを持てる点にもある。番号が2つあれば仕事用とプライベート用で使い分けることができるし、受信は090で、発信は050を使い、通話料を安く抑えるといった使い方もできる。

実店舗が多く、店頭で買えるのが魅力

 SIMフリーが今後シェアを拡大するのは間違いないが、普及のネックの一つになっているのが実店舗の少なさ。一部のMVNOに実店舗での販売拡大の動きは見えるものの、まだほとんどがネット販売だけなので、実機を事前に手に取ってみることができない。当然、SIMの設定などは自分で行わなければならないし、音声SIMの場合、開通までに数日から1週間近くを要する。これがネックになりSIMフリーへの以降をためらっている人もいる。
 その辺りはMVNOも分かっており、ネット販売でも即日開通できるような方法を導入しているところが増えだしたが、それでもやはり実店舗にはかなわない。実店舗販売なら小1時間待っていれば使えるように設定して渡してくれるし、スマホの操作や分からないところもその場で教えてもらえる。いちいちネットで問い合わせをしなくてもいいのは大きなメリットだ。
 その点イオンモバイルは全国213店舗で販売・サポートをしているため安心して購入できる。メカに弱い人やスマホ初心者には特にメリットが大きいだろう。

 最後にイオモバイルでスマホを安く買う方法を。
イオンは毎月数回、イオンカードの支払いで5%割り引きを実施しているのだ。すでにイオンカードを持っている人は5%割り引きの日にスマホ売り場に行き、イオンスマホをカードで買えば5%割り引きで買えるから随分お得だ。イオンでよく買い物をする人は何かと割り引きもあるし持っていて損はないカードだろう。



イオンショップ
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責任逃れの言い分けに使われる個人情報保護法(2)

 田舎の子はよく挨拶するが、都会ではあまり見かけない。
疲れた顔をしてダラダラと歩いているか、スマホを見ながら歩いている子は多いが、
すれ違う時に「こんにちは」と声をかけてくる生徒にはほとんど会わない。

 それどころか一度、車のトランクが開いていることを知らせる警告ランプに気付き車を駐めたところ、
車の少し先にいた少女がこちらを伺うような目で見、道路の反対側に素早く走って渡った。
 その子は辻から出てきたので、安全を確認し、道路を急いで渡ったのだろうと思ったが、
その後、何度もこちらを振り返りながら走り去る姿を見て別のことが頭を過ぎった。
どうも怪しい人物と疑われたらしい。
そういえば最近、子どもを車に無理矢理乗せ誘拐する事件が後を絶たないから、
車には注意しなさいと親から教えられているのだろう。
 この少女の対応は正しいと褒めるべきなのだろうが、怪しい男と疑われたこちらはなんとも複雑な気持ちになった。

感謝の意も直接伝えられず

 それはさておき、学校の行き帰りに子どもが挨拶をしてくるのは実に気持ちがいい。
このまま真っ直ぐに育って欲しいと思う。
そして、そういう子どもを育てている校長に一言感謝の意を伝えたいと思った。

 そう感じたところで即行動すればいいのだが、根が不精者だからなかなか行動に移さない。
そうこうしているうちに1年あまりがたってしまったが、帰省している時、そのことを思い出し校長に会いに行った。

 好事門を出でず、悪事千里を行くという。
苦情を言いに来る人は多くても、感謝の言葉はなかなか耳に入らないだろうと思っていたから、
手紙や電話ではなく、やはり直接会って校長の教育がこのように実っているということを伝えたかった。

 学校でK校長に面会を申し込むと、春に別の学校に異動になり、本校にはもういないと言われ、ちょっとがっかり。
 応対に現れた年配の女性教師はそう返事しながらも怪訝な顔で「どちら様ですか」「どういうご用件でしょう」と
尋ねてきたから、その無愛想な対応に多少不快さを感じながらも、面会趣旨をきちんと説明。

 「ここの生徒達はよく挨拶をすると帰省の度に感心していたが、1年前のPTA新聞に校長の挨拶文が載っており、
生徒がよく挨拶をするのは校長の教育方針の賜物だと感じ、直接お会いしてそのことを伝えたくて」
「K校長先生はこの春転勤で他に異動されました」
「そうですか。どちらに異動されたのですか」
「それは個人情報ですのでお教えできません」
「えっ・・・」。絶句してしまった。
 そんなこと個人情報ではないだろう。教員の人事異動は毎春、新聞にも掲載されているし、用件も話しているのだから、
「校長も直接そういう風に言われると喜ぶと思いますよ」と言うならまだしも、相手はオウムのように
同じ言葉を繰り返すだけ。「個人情報ですから」と。

 こちらの質問に対し同じ言葉をただ繰り返すだけの人は近年増えている。
ただし、それは若い人によく見かける傾向で、今回のように年配の教師では珍しい。
いずれにしろ問題解決とは程遠い態度で、そこにあるのは責任逃れ。
もし、なにかあった時に上司や他から責められたくないという自己保身だ。
 いい話はなかなか耳に入ってこない。だからこそ、校長に会って直接伝えたかったが、
その女性教師と言い合っても仕方ないので、それは諦めた。

 それにしても個人情報保護法って一体何だろう。
いろんなところで、「ここで知り得た情報は○○以外には利用しません」などとよく明記されているが、
それを言葉通りに信じている人がどれぐらいいるだろうか。少なくとも私は全く信じていないが。

 銀行であれクレジットカード、アンケートであれ、なにかに記入すれば相変わらず数日後から1か月以内ぐらいに
どこかから何かしらの案内や電話が届くし、大量の会員情報が漏洩する事件は後を絶たない。
結局、個人情報云々は責任逃れの言い分けに使われる常套句でしかない。

 個人情報ももちろん大事だが、それ以上に情報開示の方を積極的に行って欲しいものだ。
そうすれば不正行為に対し追跡調査も出来るし、誰がどこで、いつ、個人情報を流したのかも究明できるというものだ。
ところが今、この国は逆の方向に動いている。その先に一体何が潜んでいるのか--。






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責任逃れの言い分けに使われる個人情報保護法(1)

 個人情報保護法が成立した時、これは「天下の悪法」--というのは多少大袈裟かもしれないが、
これで取材がやりにくくなり、情報が秘匿されていくだろうと思ったのは事実だ。
結果、今その通りになっている。
一方で情報公開が叫ばれながら、現実はそれに逆行する動きはますます強まっている。

 例えばいま話題の豊洲市場問題。本来、盛り土をするべきだったところに盛り土がされてなく、
おまけに地下空間から環境基準を上回るベンゼンやヒ素、さらには地下空間の大気から国の指針の
7倍に当たる水銀が検出された。
これらに対し、即座に健康に影響を与えるものではないと言われても、豊洲市場で扱っているもの
を食べたいと思う消費者は恐らく皆無だろうし、環境汚染の中で働くことに不安を感じない市場関係者もいないだろう。

個人情報を盾に情報開示を拒む

 とにかく次から次へといろんな疑惑が出てくる豊洲市場移転問題だが、問題の解明を遅らせて
いるものに都の情報秘匿があるのは誰の目にも明らかだろう。
役人の事なかれ主義、責任逃れ体質は何も今に始まったことではないし、都だけではないと言われ
るかもしれないが、仮にそうであってもそれでよしとして見逃すわけにはいかない。
やはり一つひとつ問題を潰していかなければいつまでたっても変わらない。

 さらに言うなら、そういう問題を見過ごしていくと逆に彼らの闇の中に取り込まれ、
ミイラ取りがミイラになってしまう。
そういう意味で小池都知事は今が正念場。ここで安易な妥協をし、落とし所など探るのではなく、
この際徹底的に膿を出し、透明な都政にすべきだ。
そのためにも情報公開をしっかり行ってもらいたい。

 ところが伏魔殿・都庁はそうやすやすと情報を公開しない。ひたすら隠すことで自らを守ろうとする。
豊洲市場の盛り土がされなかった問題の検証報告内容がそうだ。
10月6日に行われた都議会経済・港湾委員会の集中審議で、「ヒアリング内容が真実の究明には重要。
証言は公開できるのか」との自民党議員の質問(追求?)に対し、中央卸売市場の担当者は
「ヒアリングは行政監察手続きの一環で実施した。聴取を受けていることや聴取の発言は個人情報に当たる」
から公開できないと答弁している。

 ヒアリング内容を明らかにすると誰が何を言ったかという個人名が出てくるので、
それは個人情報だから明らかにできないというわけだ。
早い話、個人情報保護法を盾に事実の隠蔽を画策しているとしか言い様がない。

 こういう場合に個人情報保護を盾に情報を秘匿するのは間違いだし、個人情報保護法が適用されるとも思わないが、
この法が施行されて以後、あらゆる場面でこういうパターンに遭遇する。

 「個人情報ですので」。
これさえ唱えておけば、面倒なことに巻き込まれなくて済むし、あらゆる責任から逃れられると思い込み、
呪文のようにこれを唱える。特に公務員が。
その結果、おかしなことが起きる。不都合な事実だけでなく、好都合な事実まで伝わらなくなるのだ。

「あいさつは魔法の道具」と教えた校長

 以下は実際に私が経験したことである。
昨春、帰省した際、ポストにPTA新聞が投函されていたのを見つけた。
新聞と言ってもA4用紙の見開き程度の大きさの紙1枚で、そこに「平成26年度を振り返って」と題した1文が載っていた。
書いたのは地元校のK校長。以下、引用してみる。

 「元気に 笑顔で 一生懸命!」始業の式の日、160名の子ども達に一番に伝えた言葉です。
人生いろんなことがありますが、「元気に 笑顔で 一生懸命!」に生きたいと私も思っていますし、
子ども達にもこうあって欲しいと思っています。その時、がんばってほしいことを2つ話しました。
 1つは「気持ちの良いあいさつをしよう。」ということです。気持ちの良い挨拶をすれば、自然と笑顔になります。
笑顔が多くなればやる気が湧きます。やる気が湧けば色々なことが出来るようになります。
色々なことが出来るようになれば、自信がつきます。
自信がつけばもっと他のことにチャレンジしようという気持ちが湧いてきます。『あいさつは魔法の道具』です。(原文のまま。以下割愛)

 私の田舎の子どもはよく挨拶をする。道をすれ違った時に「こんにちは」と声をかけてくるのだ。
感心したのは車道を挟んで向こう側を歩いている子どもが挨拶をしてきた時。
道路の向こう側を歩いている人にまで声をかけるというのはなかなかできない。
中学生ぐらいになると、そういうことに気恥ずかしさを覚えたりもするから、なかなか声をかけられないものだ。



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進む、彼岸花による名所づくり

 秋は1年で一番楽しい季節である。少なくとも私にとっては。野や山に花が咲き乱れるし、やがて山が紅葉し、真っ赤に染まっていく。こうした変化は都会にいてはなかなか分からない。やはり田舎にいる方が身近に感じられる。
 私の実家がある田舎は陽が昇るのが遅い。朝靄に覆われ、陽が差し込んでくるのは9時過ぎだ。それで今日は天気と分かればカメラを車に積んで出かける。鳥取市、米子市、兵庫県庄原市、姫路市辺りまでは大体1~1.5時間で行ける。

 撮影が趣味といっても本格的な趣味人ではないから、動くのは天気がいい日の日中。いい写真を撮ろうと思えば朝早くとか夕方の斜光の方がいい。日中はピーカンといって光が真上から来るから写真に変化がないと言われる。
 でも、夜明け前から出掛けたり、雨でも出掛ける根性はない。所詮は日和見撮影。だから現地に着くのは大体12時近くなる。途中で腹ごしらえをすればいいが、取り敢えず撮影をし、その後で昼食をと考えるから昼食が2時。どうかすると3時近くになる。それでも店が近くにあればいいが、なにしろ出掛ける先が田舎だから店がなかったり、あっても昼食時間が終わってクローズということもよくある。

モグラを防ぐ効果もある彼岸花

 これからはコスモス、そして紅葉がきれいな季節になるが、この間までは彼岸花だった。例年なら彼岸花の追っかけよろしく、あちこちにカメラを持って出かけたところだが、今年は生憎の雨続き。カメラの出番はなし。
 ところで、いまでこそ花として愛でられている彼岸花だが、昔はというか、いまでも地方に行けば忌み嫌う人が結構いる。花の赤色が「毒々しい」とか、不吉な花、死人花などと言われ、コスモスなどと同じ花扱いをされないのは彼岸花にしてみれば言われなき不名誉、迷惑な話だろう。
 なぜ、こんなにきれいな赤色をした花が嫌われるのか。それにはいくつかの理由があるが、咲く場所にも関係ありそうだ。

 彼岸花は日当たりのいい乾いた土地より、日陰の湿地を好む。林の中や川の土手、田の畦などによく生えているのはそのためだが、ほかにも墓地(といっても見晴らしも日当たりもいい、現代の霊園ではない)等によく咲く。このことが彼岸花のイメージを悪くしているのだろう。墓地-彼岸花の赤色-死人の血の色を連想させるというわけだ。
 もう一つは毒がある鱗茎(球根)。子供の頃、彼岸花を折って持って帰ったりすると叱られたのはそういう理由だ。逆に鱗茎の毒を利用して植えて行ったのが田の畦で、モグラやミミズなどの地中動物からの防御に彼岸花の鱗茎を利用したわけだ。それがいま景観になり、目を楽しませてくれている。

 秋の青空や黄金色の稲穂をバックに咲く彼岸花は「絵になる景色」で、都会の喧騒から逃れ、癒やしを求めたい現代人はそこに価値を見出してやって来る。
 かつては観光名所でもない自然環境が集客の材料になるなどとは思われなかったが、世の中が便利さ、効率一辺倒になると逆に人の手が入らない自然に価値や癒やしを見出す人達が増えてきたわけだ。
 棚田の風景や休耕田を利用して植えられたヒマワリやコスモスはいまではよく見かける光景になり、ヒマワリ祭り、コスモス祭りとして地域のイベントに組み込まれだしたが、彼岸花にはまだそこまでの役割が与えられていないように見える。ヒマワリやコスモス、あるいは桜並木に匹敵する程美しく、また集客もできるというのに、だ。

彼岸花の群生地は少ない

 それにはいくつかの理由も考えられるが、多くの人が群生した彼岸花を見ていないことも関係がありそうだ。実は彼岸花の群生地は全国で10数か所程しか存在しない。こういえば驚かれるかもしれない。いや、うちの近所にはいっぱい咲いている、と言う人は多い。ある時そう言われて半信半疑で出かけてみると、たしかに群生といえば群生だが幅5mぐらいの所に密集して生えていても感動は少ない。
 群生地は関東以北の方に多いが中国地方では広島県三次市吉舎(きさ)と岡山県真庭市川東公園が有名。ほかには鳥取県と島根県に1か所ずつ存在する。

 広島県三次市の彼岸花群生地の写真
 http://blog.livedoor.jp/kurino30/archives/2011-10-02.html

 岡山県真庭市の彼岸花群生地
 http://blog.livedoor.jp/kurino30/archives/52743353.html

 鳥取県は米子市上淀廃寺跡に数年前から地域の人達が彼岸花を植えていったようだ。今年、帰省していた折に足を伸ばしてみたが、三次や真庭の群生地を見ていた目にはあまりにも疎らでちょっとがっかりした。
 それでも後数年すれば数も増え、彼岸花の群生地として有名になるかもしれない。そうすれば周辺の遺跡巡りなどとセットで集客が期待できるだろう。すぐ側に第3セクター経営のレストラン、地域物産売り場、さらに温泉などがあるのもいい。

 島根県吉賀(よしか)町の彼岸花群生地は中国自動車道六日市ICから10分程の距離。個人所有の栗園の中に群生していたものを、いまでは地域の人達が手入れし、守ってきている。吉賀町には、彼岸花の群生地から県道をさらに吉和町方向へ行ったところにはカタクリの花の群生地もあるので、3月下旬頃には可憐なカタクリの花を楽しむこともできそうだ。

名所づくりに彼岸花を植栽

 福岡県宮若市は犬鳴川河川公園(市役所の目の前)に数年前から地域の人達が彼岸花を植えていき、いまでは土手の斜面一面を真っ赤に染め、地域の名所になっている。
 九州ではこのほかにも長崎県大村市・鉢巻山、佐賀県小城市江里の棚田、福岡県うきは市・つづら棚田などが彼岸花の観光名所になっている。後者2か所は棚田の畦に彼岸花を植えたもので、密集して生えている群生地とは異なるが、稲刈りが終わった後の棚田の風景として、自然の魅力を余すところなく作り出しており、シーズン中には多くの人が彼岸花を観に訪れる名所になっている。

 いずれも自然環境をうまく生かして、知名度アップに成功しているが、それが従来イメージの「観光」になっているかというと、物販等を含めた経済効果を上げているとは言い難い。もちろん、なんでもかんでも経済に結び付ければいいわけではないが、地域が持つ魅力を高めていく工夫は必要だろう。

 例えば岡山県奈義町。以前にも触れたが磯崎新氏がプロデュース・建築した奈義町現代美術館があり、バックには那岐山が雄大な姿を見せているし、田畑は広がり、広い蕎麦畑もある。自然環境を楽しむには最適な場所だ。
 ここに彼岸花の群生地があれば、奈義町だけで回遊性は高まる。稲田と彼岸花、蕎麦畑と那岐山に彼岸花の組み合わせ。さらに山野草をもっと増やしていけば1年中季節の花と景色を楽しめる地域になる。また最近ブームのトレッキング、あるいは那岐山登山などと組み合わせればかなりの集客が図れるはず。
 このように地域が持っているポテンシャルは大きいのに、地域の人々がその宝物に気付いていなかったり、あるいは従来通りの箱物建設、利便性を求めるからうまくいかない。結果、中途半端なものばかりになる。彼岸花でもコスモス、ヒマワリでも中途半端な数では人は呼べない。
 盆栽、箱庭発想ではなく、雄大な自然を生かすことだ。見渡す限りの○○。それもよそでもよく見かける○○ではなく、よそにはあまりない○○がそこで見られれば人は自ずと集まってくる。奈義町はそれができる土地を持ちながら、箱物を造っていくから全てが中途半端になる。いま人を呼べるのはコンクリートの箱物ではなく、自然そのものである。

 *本稿は2016年10月5日に「まぐまぐ」から配信したもの)

 *「まぐまぐ」内の「栗野的視点」→ http://archives.mag2.com/0000138716/20161005171140000.html






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犯罪の背景に潜む潔癖症

 犯罪の動機は欲と怒り--これが従来の定説だった。
ところが近年、これでは説明できない犯罪が増えてきた。いわゆる自殺願望的殺人、殺人目的的殺人というやつだ。
だが、それらは内と外との境界のあいまい化、内界の外在化の結果だとは以前書いた(栗野的視点No.549)。
 しかし、それらのいずれにも当てはまらない犯罪が現れだした。
相模原殺傷事件がその代表である。犯人は老人施設に勤務する介護師。
老人施設で入居者への虐待や殺人例は過去にもあったが、それらと相模原殺傷事件が大きく異なっているのは大量殺人ということだけではなく、その動機である。

優生思想の下で行われた犯罪

 老人施設入居者への虐待が鬱憤ばらしだったり、仕事の苦しさからの逃避的殺人だったのに対し、相模原老人施設の大量殺人は「歪んだ正義感」「優生思想」による殺人だとする見解が多く見られた。
 たしかに殺人犯の植松聖自身「ヒトラーの思想が2週間前に降りてきた」と緊急措置入院中、病院のスタッフに話している。また「障害者は不幸を作ることしかできません」と大島理森衆院議長宛の手紙にも記していることから、犯人がヒトラーの優生思想になんらかの影響を受けたのは間違いないだろう。

 ヒトラー・ナチスはゲルマン民族(なかでも「金髪碧眼のアーリア人」を最優秀と考えた)こそ優れた人種で、それ以外は劣等種と見なし、ゲルマン民族が支配すべきであると考え、そういう政策をとった。
被支配人種とされたのは有色人種はもちろんだが、「金髪碧眼のアーリア人種」以外の白人種も含まれる。
かくしてナチスはユダヤ人を下等人種として大量虐殺へと走った。

 見逃してはならないのはナチスが弾圧・断種を行ったのはユダヤ人だけではないということだ。
彼らが劣等種と考える人間、その中にはロマ(ジプシー)や障害者も含まれ、彼らもユダヤ人と同じように強制収容所施設に送られ大量に虐殺されたのである。

 もう一つは優生思想はなにもナチスの専売特許ではない

           (略)

「異物」を排除する社会の怖さ

 内向き社会は集団内の異物排除に向かう
 見た目の違い、考え方の違いを認めない。
少しでも違うと「感じる」ものに対しては集団で排除に向かう。

 今回の殺傷事件が社会に大きな驚きを与えたのは間違いないが、その背景に思いを致す時、もっと寒々しいものを感じる。

           (略)

潔癖症とホームレス殺人の関係

 殺人事件の背景に見え隠れするのが潔癖さを求める社会の存在
少しでも身なりが悪い人を見ると「ああいう人に近付いてはダメ」「汚い」と言われる。
子供の頃からそう言って躾けられると、人を差別するようになる。
身なりが悪い人、貧乏人をバカにするようになるだけでなく、そういう(そう見える)人を自分と同等の人間ではなく、野良犬や野良猫と同じだと考えるようになる。

 「汚い」「下等な動物」だから石を投げても、棒を持って追いかけ殴ってもいい。
「生きる価値がない」ものは排除してもいい、と考えるようになる


           (以下 略)




 ☆全文は「まぐまぐ」内の下記「栗野的視点」ページから
  http://archives.mag2.com/0000138716/20161012110518000.html


 「栗野的視点」はリエゾン九州のHPにも収録しています。








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My favorite things ~ Tablet stand


 10.1インチサイズのタブレットを使っているが、テーブルに置いたまま使っているとどうしても俯くことになり

首が痛くなるのと、もう一つは天井の蛍光灯が映り込むため少し傾斜をつけたいと思っていた。

初めの頃はちょっとした高さがあるものをかませて傾斜をつけていたが、バッグに入れて持ち運びもできるコンパ

クトな物はないかと考えていた。

スタンド兼用のタブレットケースは売っているが何千円も出して買おうとは思わないし、すでにケースだけなら

持っているから、純粋にスタンドだけが欲しかった。

ヨドバシカメラに寄ったついでに色々見ていると隅の方にタブレットスタンドが何種類かぶら下げられていた。

高い物は3,000円近かったが、そこまでの金額を払うつもりもなく、できれば1,000円まで。

そう思って物色していると、ほぼ希望通りのスタンドを見つけた。

それがサンワサプライ(上の写真)の商品。

サンワサプライはPCの周辺機器を作っている会社で、よく知っていたし、造りもしっかりしていたから気に入った。

1,272円という価格も気に入り、早速購入。

以来、My favorite thing(私のお気に入り)になり、毎朝、ネットで新聞を読む時は必ずこのスタンドを立てて

使っているし、外出時には折りたたんで持ち運んでいた。


 ところが、つい10日程前、ダイソーの前を通りかかったので何気なく寄ってみ、それとなくいろんな物を見ていて

ケータイコーナーで小さなスタンドがぶら下げられているのを発見した。

最初はスマホ立てだろうと思った。

実際、スマホを立てるのにちょうどいい大きさだったし。

だが「タブレットスタンド」と明記してあるではないか。

こんなに小さくてタブレットが立つのか。

でも7インチタブレットぐらいなら大丈夫かもね。

第一、100円だから仮に失敗してもまあ惜しくはないしなどと考え買った。

帰宅後使ってみると、さすがに10.1インチタブレットを縦に使うのは多少厳しそうだったが、7インチタブレットには

十分使えた。

折りたたむとサンワサプライのスタンドよりうんと薄くてコンパクト。

これで十分ではないか。

最初に100均で見つけていればと後悔したが、サンワサプライのスタンドは立てたまま文字入力もできる耐久性がある

ので、それはそれでまあいいかと納得。

それにしても100均には随分使える物があるのだと改めて納得。

いまでは両スタンドともお気に入りMy favorite thingsになり、毎日使っている。

100均スタンドは7インチタブレットとスマホスタンド専用にして。









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環境異変、犯罪異常の背景に磁場の反転現象が

 Uターン台風に35℃超の猛暑日の連続。
突然、バケツをひっくり返したように短時間に激しく降るゲリラ豪雨。
あっという間に水が溢れ、押し寄せてくる洪水被害に、頻発する地震や竜巻・・・。
 地球はどうかなってしまったのではないかと思ってしまうが、異常なのは自然界だけではない。
当たり前のように行われるセクハラ犯罪に億単位の着服・横領をする輩がいるかと思えば、ストーカー殺人、通り魔的無差別殺人や身勝手な自殺願望殺人を平然と行う者、さらには奇妙な正義論をかざして大量殺人を平然と行った犯罪者など、自然界より人間界の方がよほど異常かつ狂っているのかもしれない。また親殺し、子殺しを含む家族殺人が増えているのも近年の特徴だ。

 なぜ、人の生命は鴻毛よりも軽い存在になってしまったのか。
その背景に「内向き社会」「内外の境界の消滅」「内界の外在化」があるとは「栗野的視点(NO.549):社会の内向き化がもたらす危険性」で書いたが、今回はもう少し異なった視点から環境や生態系(人類)に影響を与えているものを見ていこう。

温暖化で紛争、暴力、犯罪

 地球温暖化が様々な分野、例えば人類の存在等にも影響を与えているというのは近年ではすでによく知られていることであり、温暖化が紛争、暴力、犯罪の原因にもなっている。
 なぜ温暖化が紛争や暴力、犯罪を生むのか。
それは次のような理由からである。
温暖化により砂漠化が進めば、その土地で生息できる動植物(人類を含む)は減る。
生物は残った食物を奪い合うか、よその土地に移動するかしかない。
しかし、よその土地に移動すれば、その土地を縄張りにしている動物や先住民との間で縄張り争いや食物の奪い合いが始まる。いずれにしても紛争は増えるというわけだ。

 これは過去のことでも未来のことでもない。いま、現実にヨーロッパで起きていることでもある。
イギリスは移民受け入れを拒否したし、ヨーロッパのほかの国々も難民の流入を防ごうとしている。またアメリカではトランプ大統領候補がメキシコとの国境沿いに巨大な壁を作ると宣言している。

 かつて栄えた、その時代の最も進んだ社会、例えばマヤ文明やクメール王朝が衰退し、歴史から忽然と姿を消したのは気候変動による長期間の干ばつや豪雨が影響し、そこに政情不安と紛争が加わったからだと唱える説が最近注目されている。
 干ばつや豪雨は食物の育成・収穫に直接関係するだけでなく、過去の歴史の分析から、気温や降水量のわずかな変化が紛争(国家間に限らず、殺人やレイプといった個人間の攻撃も含む)のリスクを増大させていることが最近の研究で明らかにされつつある。

 日本列島はすでに亜熱帯気候の様相を呈し、南方植物の北への分布が広がりつつある。
東北地方では従来の稲種の発育不全が見られるようになりつつあり、気候上昇に耐えられる新種の開発を急いでいる。
 このように作物の分布図が全体的に北に移動しつつあるだけでなく、この5、6年、海の生物に異変


太陽の磁場に異変

 太陽では11年ごとに北極と南極の磁場が入れ替わる、極の反転が起きていることは天文学者の間ではよく知られた事実だが、この反転現象に異変が

           (以下 略)

地球の磁場も逆転

           (以下 略)




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葬儀について考える~小規模葬が増えている


 <写真:まるで自宅のリビングに家族、親族が集い、故人を偲ぶような雰囲気の式場>

 人生の一大セレモニーと言えば結婚式と葬儀だろう。
かつてこの二大セレモニーは似通っていた、規模の面でも金額の面でも。
だが、この両セレモニーは共に縮小傾向にある。結婚式は若者人口の減少で数量的に。
 一方、葬儀は件数は増えているが、規模が小さくなっている。以前のように大人数が自宅や葬祭場に参列して行う形から、親しい身内や家族だけでこじんまりと行う形態が増えている。
 呼び方は「家族葬」「リビング葬」「密葬」「1日葬」「直葬」など様々だが、共通しているのは参加人数の少なさと、比較的少ない費用で実施できる点。
ただし、費用的には必ずしも安くできるわけではないので、家族葬=安上がりと考えるのは間違いだろう。

 ところで結婚式と葬儀の決定的な違いは何だろうか。
違いは色々あるが、大きく違うのは前者は準備期間があるが、後者にはない(期間が短い)ということだ。
そのため葬儀はほとんど葬儀社の言いなり、出し値で決まるところがある。
結婚式のように事前に時間をかけて式場を見て回り、見積もりを取り、決めるという余裕がない。
バタバタと半日から1日の間に何もかも決めなければならないからだ。
 私自身、15年前に妻の葬儀を行った時はもうてんてこ舞いだった。
それまでに父の葬儀の経験があるとはいえ、父の時は田舎の実家で行ったから、親戚連中や地域の人達が皆段取りをし、手分けして手伝ってくれたので喪主は何もしなくてよかった。
 ところが妻の場合は葬儀社の手配(亡くなった直後に探した)から、関西方面から参列する親族達の宿泊場所まで手配しなければならず、とにかく大変で、それこそ悲しみに浸る暇もなかった。
 そこで今回は昨今増えている小規模葬について、私自身の経験を交えながら考えてみたい。

直葬も増える傾向に

 母が亡くなったのは今春3月下旬だが、それまではグループホームで暮らしていた。
それが医師から、いつ急変してもおかしくない状態だから入院した方がいい、と告げられたのが2月半ば。
 入院して3日目に担当医師から、投薬効果(腎不全)が出ない、もうすることはない、点滴も本人が苦しいだけだから外そう、後は看取りだけ、と告げられた。
残された時間は数日以内、いまの内に会わせておきたい人がいれば会わせておくようにとまで言われたが、それから丸5週間、母はベッドにこそ寝かせられていたものの、普通に会話ができ、食事も亡くなる3日前までできていた。

 私は妻の時の経験から入院後約1週間と考えていたが、1週間を過ぎても母の容態は変わらない。
食事もしっかりするし、会話も普通にできていた。
この段階では医師の判断ミスを疑ったほどで、転院を検討したぐらいだ。
それでも冷静に考えれば、回復して元の生活に戻れるわけはない。
とすれば、残りの時間を一緒にどう過ごすかしかないと考え、毎日午後2時頃から6時過ぎまで病室で過ごし、最期は私が見守る中、突然呼吸が止まった。

 医師から見放されながらも4週間以上も話が普通にできる時間的余裕があったことがよかった。
助走期間というか、葬儀について考えられたからだ。
合間を縫ってパートナーと2人で葬儀社の見積もりを取り寄せ、何か所かには足も運んで具体的なことを尋ね、そこのスタッフと話もした。
 そうすることで違いも見え


           (中 略)

エレベーターが問題

家族葬が急増の背景

新カテゴリーのリビング式場


           (以下 略)




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デル株式会社

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ストリートビューで考えること

 人は様々で、デジタルを喜ぶ人がいれば感心する人もいる。
その一方でデジタル社会を警戒する人もいる。
私は後者のタイプだが、デジタル嫌いのアナログ派ではない。
デジタルに接したのは決して遅い方ではない。
 
 初めてパソコンを買ったのはNECの98シリーズで、OSがMS-DOSの時代だった。
それまでもワープロ専用機(当時30万円近かった)で原稿を書いていたが、パソコンを買ったのは商業データベースに接続するためだった。
 当時、フロッピーディスクといえば8インチサイズで3.5インチはまだ出始め。
当然、パソコンも8インチのフロッピーディスクが主流だったから、私が3.5インチに対応したパソコンを買うと言った時、当時パソコンに詳しい人間からは半ばバカにされたものだ。
それでも絶対小さい方がいい。小さい方がやがて主流になるはずと考え3.5インチ用パソコンを買った。
 この選択は後に正しかったと分かり、私がパソコンを買って数年もたつとフロッピーディスクの主流は8インチから3.5インチに移って行った。

 ガジェット好きで、以来色々なデジモノを買ってきたが、この頃はむしろデジモノにある種の警戒感を抱くようになってきた。
デジタル社会はある意味丸裸と同じで、プライバシーはない社会と考えた方がいい。
街を歩けば防犯に名を借りた街頭セキュリティーカメラその他で撮影されているし、家の庭や、どうかすると室内で寛いでいる様子までgoogleによって撮影されている。
 それなのにこうした状況(プライバシーがない状態)を喜んでいる人たちもいる。
「アマゾンって偉いよね。こちらの趣味が分かっていて、読みたい本を自動的に提示してくれるんだよ」
「Facebookってスゴイですね。もう10数年会ってなかった友人を教えてくれたんですよ。この人は友人ではないですかって」
 彼らが喜々として話すのを聞き、私は逆に恐怖を覚えた。
ネットに接続している限り情報は常に筒抜けになり、誰かによって私の交友関係も、読書の趣味も、何を買っているか、休日にはどこに行っているかまで全て把握されている。
 こうした情報を「アマゾンやFacebookは親切」と喜ぶ趣味を私は持ち合わせていない。
逆に不気味さを覚えてしまう。

 スノーデン氏によるまでもなくgoogleは常に人々の行動を監視する役の一端を担っているが、googleの車が1日中通りの表と言わず裏と言わず、車が走行可能ならどんな細い道でも走り回り、360度周囲を撮影しまくっている。
しかも断りもなく自動撮影しているものだから、たまたまgoogleの車と擦れ違っただけで、ストリートビューに写り込んでしまい、全世界の人間に見られることになる。
歩行姿だけでなく、庭で花いじりをしている姿も、ステテコ1枚で水撒きしている姿も、時には大あくびをしている姿さえ写されてしまうのだ。

 たまたまスーパーに駐車した時、前からgoogleの車が入ってきた。
見るとランプが点灯しているし、エンジンはかかったままだ。
こんな所で写されたんではたまらんと、ドライバーに「いま撮影しているか」と尋ねると、「いや、いまは撮影していません」との返事。
どうやら昼食弁当を買いに寄ったみたいだが、ドライバーがいなくなってもエンジンはかかったままだ。
これで「撮影していません」と言われても、その言葉を100%信じる訳にはいかない。

 現段階では車が走り回って撮影するというアナログ部分が残っているが、やがて近い内にドローンを使って空中撮影に変わるだろう。
そうなるともう塀も囲いも何の役にも立たない。
家の中まで覗き見られることになる。




NEC Direct(NECダイレクト)LAVIE Direct HZ

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流通小売りの現場が変だ(3)~内向きの姿勢を正せ

内向きの姿勢を正せ

それにしても最近目に付くのは基本の「き」の字ができてないというか、疎かにしたが故に発生するミス。
ちょっとひと言添えさえすれば防げるのに、それを怠たったが故にミスになり、それがクレームにつながる。
あるいは問題を自分達のセクションだけで隠し全社的な問題として対処しなかったが故に後に大問題になり取り返しがつかなくなる。

 要はミスやトラブルに対する捉え方、それを後ろ向きの非生産的な問題と捉えるのか、早い段階で対処した方が逆にコストダウンにつながる生産的な問題と捉えるのかの違いだが、全社的な問題にはしたくない、できれば自分あるいは自分達のセクションだけの問題として密かに処理したいと考えるから隠す。
隠して事なかれとするから発覚した時は大問題になる。

 結局そこにあるのは内向きの姿勢。
いま、この瞬間さえ逃れればいいと考える刹那的な姿勢が、この世を覆っている。

 三菱自動車の燃費不正問題も2005年に新人社員が不正行為をやめるよう提言していたにもかかわらず、当時の上司、幹部達が処理せず頬かむりを決めたから、いま屋台骨を揺るがすほどの大問題になった。
もし、あの段階で不正をやめ、全社的な見直しをしていれば日産自動車の傘下に入らずに済んだかもしれない。

 ミスや事故の大半は基本を怠ることから発生する。
先頃、長崎バスで乗務前の呼気検査で基準値を超えるアルコール分が検出されたが、この運転手、あろうことか家族を呼び、その家族に再検査の際、身代わりで検査を受けさせパスしてバスを運転していたという。

 乗客を乗せた飲酒運転バスが走っていたわけで、聞くだけでも恐ろしいが、問題は同社の体質である。
二度目の呼気検査の際、立ち会いの検査官が身代わりを知りながら、そのことを黙認していたのだ。

 さらに同社は前7月にも別の運転手が呼気検査の際、後輩を身代わりにして検査を受けさせ、酒気帯びのまま乗務していた問題が発覚したばかり。
ここまでくると身代わり検査は日常的に行われていたとしか言いようがない。

 しかも、この種の問題は全国の公共交通機関で起きているから恐ろしい。
「見つかる奴は運が悪い」「見つからなければそれでいい」という考えが横行している。
ここまでくればルールも倫理もなきに等しい。

 代わりの運転手がいない、人員に余裕がないから多少問題がある人間でも乗務させざるを得ないでは、乗客はたまらない。
大型バスは経験不足で乗務できないと言ったにもかかわらず運転させられ、死傷者を出したスキーバスもあった。
いずれも基本をきちんと守りさえすれば防げた事故だ。

 コストダウンしなければ受注競争に生き残れないと言うなら、それを逆手にとって情報発信してみてはどうだろうか。
 事故率ゼロとか、運転手の乗務履歴、メンテナンス履歴の公開で安全性をアピールするとか。
 コスト以外の競争をすることで、コスト競争による負のスパイラルから抜け出す方法を探ることも重要ではないか。

コスト削減で人も企業も余裕がなくなる

 「お・も・て・な・し」は外国向けのPRだとしても、一体いつ頃から日本のサービスは消えたのか。
なんでもコスト優先になり、メカニカルサービス部門の人員削減、メンテナンス部門は地方都市から軒並み撤退している。

 例えば福岡市を見るだけでもパナソニック、シャープ、キャノンなどはかつて置いていたメンテナンス・サービス部門を廃止している。
カメラメーカーでは最後までニコンがショールーム兼サービスを駅前に置いていたが、それも廃止。
当然、シワ寄せはユーザーに来るわけで、カメラ本体の内部クリーニングのようなことでさえ本社のメンテナンス部門まで送らなければならず、本来なら1時間もあれば余裕で終わるメンテナンスが数日間を要するようになった。

 さらに深刻なのが人員削減の影響で、どの部門も余裕がなくなり自分の仕事、目先の仕事しかできなくなっていることだ。
目が外に向かない上に、社内教育、サービス教育は削られるか、形だけのものになっている。
事故が起きると必ず「教育を徹底」と言うが、そこにコストをかけるよう体制を見直さないと、単なる教育だけで直るものではない。

 その点、小売業の方はまだ教育効果が出やすい。
実は先の明太子販売店の前に車を止めた時、雨が降っていた。
小降りならそのまま店内に駆け込むのだが、さすがに傘なしでは濡れてしまう。
店内から手持ち無沙汰にこちらが車を止めるのを見ている販売員がいた。

「ああ、これが帝国ホテルなら傘を持ってすぐ来るのだろうが、ここではそこまでのサービスはしないだろうな。すれば感動するのだけど」

 そんな会話を2人でしながら傘を取り出し車から降りて店に入った。
店の前に車を止めれば自店に来る客だと思わないのだろうか。
結局、店内の誰もが客とは店という境界に一歩足を踏み入れた人という概念を持っているからだろう。

 イオンも似たり寄ったりというか、客に対する警戒心は同店の方が強いかもしれない。
上記の件について店長宛に優しくお手紙を出しておいたところ、店長から私の指摘通りで「すべては弊社のミス」で「これを機会に、従業員一同お客様に接するマナーを再教育いたして参ります」という手紙が届いた。

 まあ昨今、客からの苦情に一々対応して顧客サービス担当課長が出向いていると、相手がとんでもないクレーマーで何を要求されるか分からない、だからこれで良し、一件落着としようという気持ちはよく分かるし、それが正しい対応かもしれない。

 ただ、私が逆の立場なら、せめて割引券の1枚でも同封しただろうと思う。
割引券というのは店で買ってもらわなければ使えないのだから、店にとっては損失にならず、客は喜ぶ両得の手ではないか。

 苦情や注意をしてくれる客を店のフアンと考えるのか、厄介なクレーマーと見るかで対応にこれほどの違いが出るか、昨今小売業は客を「顧客」ではなく「固客」と呼び、客の囲い込みに熱心だが、結局それらは文字の上だけのことのようだ。
ほんの少し視点を外に向けさえするだけでいいのに、内側にしか向いていないから見えるものも見えなくなる。







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