三菱自動車が消える日

 三菱自動車が存続の危機に直面しているーー。

同社は過去何度か経営の危機に陥ったことがあるが、その度にダイヤモンドマークを冠した三菱グループに助けられてきた。
だが、今回はどうか。柳の下にドジョウはまだいるかどうか。
答えはノーだ。市場から三菱自動車の名前が消える日はそう遠くないだろう。

三菱自動車の問題体質


ユーザー視点がない三菱自


今後、一気に進むか業界再編成


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欲で変わる「二度目の仕事」〜作品に垣間見える作家の人生(2)

書き手の人生が垣間見える

 言葉は思考である−−かねがねそう考えている。
同じ言葉でも喋っている言葉より書いている言葉(文章)の方が相手のことがよく分かる。
それは時に人格や性格さえも窺わせる。
これが小説等になると登場人物に対する書き手の感情までが見えてくる(ことがある)。
それ故に引き込まれるように読み進んで行ったり、逆に途中で投げ出したくなるものもある。

 瀬戸内晴美の「美は乱調にあり」は後者に近い本だった。最初に断っておくが、ここで言っているのは瀬戸内寂聴氏のことではない。まだ寂聴になる前の瀬戸内晴美が書いた文章である。
 彼女が「美は乱調にあり」で大杉栄と関わる伊藤野枝の半生を書いたのは44歳の時。
当時、彼女は伝記小説と言われる分野ではすでに「田村俊子」「かの子繚乱」を書いていたが、「美は乱調にあり」は書き出しからして少し変わっていた。少し変わっていたというのは、一般的な伝記小説には見られない、執筆時の現代の取材過程に触れる所から入っているからだ。

 それはさておき、作者は小説の主人公にあまり好意的な印象を持っていないように感じ取れた。
中にはそうした小説もあるが、途中から主人公への愛が感じられるようになるものが多い。
だが、この作品に限って言えば、一貫して伊藤野枝への軽蔑、嫌悪感が作者に巣くっているようで、それが読者である私の心を苛立たせた。
 こういう場合は大概、途中で読むのをやめ放り出すのだが、それもなく読み終えたのは伊藤野枝への関心の方が勝ったからかもしれない。

 例えば書き出しに近い部分で伊藤野枝について次のように書いている。
「彼女の幼稚な詩や、固い文書で綴られた主観的な感想文や、小説以前の『小説らしきもの』に、何の魅力を感じることもなかった」
 「どうひいき目に見ても(略)野枝の文学的才能は大成したとはいえない。後には小説も翻訳も評論も一応ものしているし、文筆で結構稼いでいるけれども、彼女を一人前の作家と呼ぶには最後まであまりにお粗末な作品しか残していない」

 こうした手厳しい表現は最後まで緩むことがないが、手厳しいのは伊藤野枝の才能に対してだけではない。
むしろ、その生き方、大杉栄をめぐる三角四角関係を嫌悪している作者を感じる。
それは潔癖症から来る嫌悪感というものではない。むしろ自分と同じものを見る嫌悪感である。

 小説には作者の主観が入り込み、それが登場人物に反映される。時には色濃く、時にはさり気なく。
そういう意味では「美は乱調にあり」の伊藤野枝は瀬戸内晴美そのものである。
彼女がこれを執筆している当時、彼女自身が野枝と同じような生活を送っていた。
激しい不倫関係、三角関係の中に身を置きながら、執筆していたのである。
その思いが、自分に似た野枝の文学的才能や男との関係に厳しい目を向けさせていたのではないか。
その後、作家、瀬戸内晴美が出した結論は出家して男断ちをすることだった。

 両著ともに30〜40年前に書かれた作品である。だからこそ、その後の作者の人生と照らし合わせて面白い(失礼)。
猪瀬直樹、瀬戸内晴美両氏の「二度目の仕事」はかなり対極に位置したように感じられる。

 前者は「二度目の仕事」をしなければ文壇でさらに高い評価を得ていたに違いない。
たしかに物書きで得られる収入は「二度目の仕事」で得られた収入に比べるとはるかに少なかったかもしれない。
 杉田女史は「欲もあるわね。物欲、案外深いでしょ」と忠告したが、彼にあったのは物欲というより名誉欲ではなかったか。それとも両方だろうか。
物欲、名誉欲を持つこと自体は悪いことではない。
問題は「分を知る」かどうかで、そのことを彼はかつてヒーローだった人たちのその後の人生をインタビューすることで明らかにしてきたはずだが、人間やはり自分のことは見えなくなるものらしい。それだけに「足るを知る」ことが大事だろう。

 後者は仏門に帰依することでそれまでの愛欲の生活に別れを告げ、物質的には質素でも精神の充足を感じる生活を送り、より人々に知られる存在になっている。

 人間は欲深いもので、一つ手に入れればもう一つ欲しがり、それが手に入ればさらに欲しくなる。かくして欲は際限なく膨らみ続ける。
強欲資本主義と言われる所以だ。バブル経済が崩壊しても、ブラックマンデーに襲われても、喉元過ぎれば何とやらで、しばらくすればまた欲しがる。

 我々は一体どこへ行くのか、どこへ行こうとしているのかーー。






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欲で変わる「二度目の仕事」〜作品に垣間見える作家の人生(1)

 このところPCから距離を置いている。理由は前回触れたが、代わりに増えたのが手紙とタブレット。お陰でタブレットの長所、短所も分かってきた。
 前回触れたようにPCに比べればまだ入力に時間はかかるがフリック入力で文章も結構書けるようにもなったのは大きな収穫だった。

電子書籍をタブレット、スマホで読む

 もう一つの変化は電子ブックを読み出したこと。
いままでタブレット、いわんやスマホで本など読めるものかと考えていたが、これまた食わず嫌いだったようで試しに読んでみると結構読みやすく、遅読の私にしてみれば珍しく短期間で1冊読み上げた。

 読んだのは「下町ロケット」。きっかけはソニークラブから届いたポイント案内。それにはポイントの失効期限と、電子書籍で使えるポイント数が表示されていた。せっかくのポイントをムダにするのもと思い、取り敢えずポイント内で購読できる本を2冊購入。その1冊が「下町ロケット」で、もう1冊は浅田次郎の「柘榴坂の仇討」。

 言うまでもないが、いずれも小説。線を引きながら読んだり付箋を貼る必要がないから電子ブックでもいいだろう、どうせ無料だしと軽い気持ちで購入した。

 結果は当初予想した以上に読みやすく、「はまった」。
とはいえ10.1インチタブレットでは単行本を読む感覚に近く、どこでも気軽に読むというわけにはいかないから私の読み方には不向きだった。

 ピッタリなのは7インチサイズのタブレットだが、こちらは手放したので5インチサイズのスマホで読んだ。サイズ的にもちょうど文庫本を読む感覚で、就寝前の一時、スマホで読み進めた。続いて「柘榴坂の仇討」。こちらは短編なのですぐ読み終えた。

多才が故に落ちる罠

 で、さらに次に、は行かない。
ここで紙の本に戻ってしまった。
理由はない。ただ手持ちの文庫本も読んでおかなければと思っただけで、何冊か書棚から取り出した中で、猪瀬直樹の「日本凡人伝 二度目の仕事」を読むことにした。

 猪瀬直樹氏についてはいまさら説明の必要はないだろうが、先の東京都知事である。だが、それは彼の「二度目の仕事」で本来は作家。それもノンフィクションを中心とする作家である。なまじ政治に色気を示したばかりに晩節(?)を汚したが。

 こういう経歴を知りながら「二度目の仕事」を読むと実に面白い。
内容はインタビューで構成されており、最初の仕事で注目を浴びた人の、その後(現在の仕事)についてインタビューしているわけだが、なかなか突っ込みが鋭い。
よくそういうことを聞くよな、という質問もあるが、彼のインタビュアーとしての才能は素晴らしく、なまじ政治の世界に近付きさえしなければと、他人事ながら思ってしまう。

 好事、魔多しとはよく言ったものだ。足るを知っていればと思うが、他人のことは見えても自分のことは見えないものだ。人の欲望は際限ない。

 文中でそれらしきことにも触れている(指摘されている)のに、いざ自分のこととなるとやはり先人と同じ失敗をしてしまうようだ。

 ちょっと引用してみよう。その項のタイトルは「占い師−−婦人国会議員第一号 杉田馨子(けいこ)女史の戦後民主主義の方角」

 杉田 あなた、財運はあるわね。
 猪瀬 そうお! おカネ貯まる、ハハハ。
 杉田 貯まるっていうよりもね、ウフフッ、遺産をもらう可能性のある星なのね。
 猪瀬 ハッハッハッ。あんまりカンケイないけどな。
 杉田 わかんないわよ。だってねえ、遺産たって親の遺産とは限らないのよ。
 (中略)
 杉田 欲もあるわね。物欲、案外深いでしょ。
 猪瀬 ない、ない。
 杉田 でも出てんのよ。ま、とりあえず注意するってことは、あまり手を広げないことね。現状を充実させるようにつとめることね。それから、そうですね、東南とか東北ね、あなたが寝泊まりしてるところからの。そこからのいろいろなうまい話を持ってくる人があるでしょ。初めての対人関係は注意すること。

 上記インタビューが行われたのは1983年11月だから、いまから32年余り前。当たるも八卦当たらぬも八卦の世界だからと一笑に付すこともできるが、果たして杉田女史は見抜いていたのだろうか。とりわけ「あまり手を広げないことね」という女史の指摘は、その後の彼の人生を見ていると諫言だったように思えるが・・・。

 このインタビュー中、彼は二度に渡って自分に女難の相があるか尋ねているから、当時から色気はあったのだろう。
 もし、女史の諫めを聞き、政治の世界などに色気を示さなければと思うが、それは後の祭りというか、他人の要らぬお節介かもしれない。

 もう1点気になるのは彼の多少横柄とも思えるような質問の仕方だ。年長者には敬語とまではいわなくても、普通はもう少し丁寧な言葉遣いをするだろうと思うが、それがない。この本を彼が上梓したのはまだ40歳前である。そんなところに引っかかる私がおかしいのかもしれないが。



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WiFiタブレットを使い倒す(3)

ネット非接続でもPCとの同期

 本稿はタブレットとPCの両方で書いているが、こういう場合に問題になるのが文書データの同期を図れるかどうか。

 タブレットの弱点は端末内部の記録容量(ストレージ)が少ないこと。
モバイルPCなら容量300〜500GBのハードディスク(HDD)を内蔵しているが、タブレットだとストレージが16GBか32GBというところだ。
 外付けのmicroSDカードにデータを保存できるようになっているものも多いが、それでも32GB。多くても64GB。大容量SDカードがまだないということもあるが、PCに比べると記録容量は圧倒的に少ない。

 もともとタブレットは単体(スタンドアローン)ではなく、ネット接続下で使うことを前提に作られているから、それでいいのかも知れないが困ることもある。特にWiFiタブレットはネットに接続できなければ「ただの板」にほかならない。

 とはいえ、日常使いで困ることはなかった。私の場合は持ち歩いて使うことがなかったからである。
 ところが、2月下旬に母がグループホームから病院に移って以降、毎午後、病室に行き母の側で過ごすのが日課になった。そうなると空き時間(母が眠っている時間)を考えタブレットを病室に持ち込むようになった。
 以前ならモバイルPCなのだが、母が眠っている時間といっても、眠ることもあるし、ずっと起きたままのこともあり、目を覚ました時に即座に対応できるという面でもタブレットの方がよかった。
 すでに医師からは「もうできることはありません。後は看取りだけです」と言われていたので、容態が急変した時、PCを開いているとモタモタしてしまうが、タブレットなら放り投げるだけでよかったということもある。

 しかし、ネット非接続環境でタブレットを使おうとした突端、データを保存して持ち歩けないというタブレットの弱点が大きく立ちはだかった。

 いままではデータをDropboxやOneDriveといったクラウド上に置き、PCやタブレットでアクセスしていたから、WindowsとAndroidでも問題なくデータの同期が図れていた。

 だが、LAN環境がなくなるとWiFiタブレットは使えない。
もちろんコンビニに行けば無料WiFiが使えるが、そこで原稿を書くわけにはいかない。
またスマホでネット接続して、テザリングでタブレットを使うという方法もあるが、そんなことでSIMのデータ容量をムダにはしたくなかった。

 結局、ネットに接続していなければタブレットは「ただの板」である。スタンドアローンでは使えない。
 一度はそう諦めたが、その後、調べているうちにネット接続環境になくてもやりかけの仕事を継続できることが分かった。

 その方法とはこうだ。私の場合は文章を書くのにWindowsでは「秀丸(ひでまる)」、Androidでは「Jota Text Editor」というエディターを使っている。
これらを使ってクラウド上にある文書を引き続き作成・編集・保存できればいい。

 試したところクラウド上の文書が読み込めたものとそうでないものがあり、すべてのデータが読み込めるわけではないことが分かった。
 その差は一度データをタブレットで読み込んでいるかどうかで別れた。要は一度読み込んだデータはクラウド上だけでなく本体にも保存されるから、それを読み込んでいるわけだ。

 次に読み込み編集もできたが、保存できないことが分かった。
これでは結局使えない。

 さらに色々試していると、DropboxにもOneDriveにもオフラインで使えるようにする設定があることが分かった。

 例えばDropboxの場合、Dropboxを開く→ファイル一覧が表示→編集したいファイルの右端にあるマークをタップする。



 するとファイル名が表示され、その下に「このアプリで開く」「名前を変更」「コピー」などが縦に表示される。
一部下の方に隠れて見えないものもあるが、その場合は上にスライドしてすべてを表示させると、下から2番目の所に「オフラインアクセス可」というのが見える。

 表示された時はグレー(オフ)になっているが、そこをタップしてオンにする。
これでオフラインでも編集・保存ができるようになる。

 OneDriveも同じように行えばOK。言葉が「オフラインを維持」に替わるだけで、ここをタップしてオンにするだけだ。

 以来、PCで文書を書く場合、常に作成中のファイルを「オフラインアクセス可」にしている。
 かくして、いとも簡単にデータの同期が図れるようになり、タブレットの出番が増えてきた。






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WiFiタブレットを使い倒す。(2)

フリック入力が結構使える

 そんなわけで結局アンドロイドの方を買ったわけだが、買い替えた理由はキーボード。
 実は10数年前から左手小指が腱鞘炎で伸びなくなり、いまでは左手でまともに使えるのは人差し指だけ。
他の指は曲がったままで伸びない。そのためQWERTYキーボードを打つのが苦痛で、他の入力方法、例えば紙に手書きしたものをデジタル変換する方法や、音声入力、かな入力方式等々を色々試してみたが、どれも一長一短。

 入力の速さでいえば、やはりキーボードに敵わないが、指への負担を考えるとQWERTY入力より打鍵数が少ない、かな入力方式の方がいい。
ただ新たにキー配列を覚えなければならないのが多少のネック。
でも、それはなんとかなりそうだった。

 ところが未だかな入力方式はものになってない。
というのも、文章を書く時は思考を妨げないスムーズな入力が必要で、この点でどうしても長年使い慣れたQWERTY入力には敵わず、かな入力でたどたどしく入力しているうちに、ついイライラしてQWERTY入力に戻してしまう。
そのため、いつまでたってもかな入力のキー配列が覚えられないのだ。

 ところが、指が伸びなくて日常生活に支障が出はじめたのと、それに伴う入力ミスの頻発で、キーボードによるQWERTY入力を他の方法に変え、これ以上指への負担をかけないようにする必要に迫られてきた。

 そこで物理的キーボードがないタブレットをPC代わりに使えないかと考えたが、問題は相変わらず入力方法。
ソフトキーボードも左指を使うことに変わりはないが、スマートフォン(以下スマホ)などでよく使われているフリック入力なら右手人差し指だけでよさそうだったので、この方式を試してみることにした。

 フリック入力はタッチパネルでの文字入力操作の一つであり、入力文字画面をタッチすると、その文字の四方に別の文字が表示されるので、指を滑らせて入力したい文字を選ぶ方式である。
 文章でこう書くとなにかややこしい方法のようだが、ケータイの文字入力画面を思い浮かべてもらえばいい。
ケータイの場合は数字と一緒に「あかさたなはまやわ」という50音の頭文字が表示されているが、その画面から数字を消した形になっている。



 ケータイの場合は「え」を入力するためには「あ」のボタンを4回押す必要があるが、フリック入力では「あ」のボタンをタッチすると、その四方に「い」「う」「え」「お」の文字が表示される。「え」は「あ」の右横に表示されるから「あ」をタッチした指を右に滑らすだけで「え」が入力できる。

 この入力方式を使いはじめてまだ間がないので、入力スピードはキーボードに敵わないが、多少のスピードダウンさえ我慢すればそこそこ使える。

 この入力方式の利点は特別なキー配列を覚えなくても済むことだ。またケータイやスマホと同じで1文字、2文字入力すると、その文字で始まる単語がいくつか連想表示され、その中から選ぶだけで文字入力できる。
 そういう意味ではキーボード入力より楽で速いともいえる。これならいままでPCが苦手だった中高年でも簡単に文章が書け、まさに中高年にこそピッタリの端末といえるだろう。



NEC Direct(NECダイレクト)
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WiFiタブレットを使い倒す。(1)

 いままでタブレットを多少バカにしていた。パソコン(PC)に比べると、あんなものはインターネットの閲覧とメールの送受信程度にしか使えないだろうと考えていたからだ。実際、私自身の使い方がそれにほかならなかった。
 ところが最近、案外使えると認識を新たにした。とりわけ中高年にとってはPCよりタブレットの方が便利だと。

タブレットは中高年向き

 タブレットの利点は

1.スイッチオンですぐ使えること

2.キーボード、マウスが不要なこと

3.軽量コンパクトなため利用場所を選ばないこと

4.比較的安価なことだ。

 しかし、これらはメリットであるとともにデメリットでもある。
特に2と3の項目は。キーボードやマウスが不要だと本体も設置スペースもコンパクトで済み、それがタブレットの大きな魅力でもあるが、こと操作性という点では著しく不便だ。

 文書等の閲覧には便利だが、文書を書くという点ではPCにはるかに及ばない。
コピーや貼り付けという作業一つとってもPCのようにはいかない。その操作だけでPCの何倍かの時間がかかる。
 それなら外付けキーボードを利用すればいいようなものだが、それではタブレットの魅力が半減する。また外付けキーボードを付けるぐらいなら11インチサイズのモバイルPCの方がいいということにもなる。

 3の軽量コンパクトを実現するために犠牲にされた部分も多い。
タブレットは基本的にインターネットに接続した状態で使うことを前提に作られているから、ネット未接続状態ではまず使えない(役に立たない)。データ等の記憶容量も少ない。

 早い話ネットに接続してなけれぱ「ただの板」で、PCと同じようには使えないし、PCの代わりと考えてはいけない。
 にもかかわらず、なぜ中高年にはタブレットがいいのか。

 私自身がタブレットを使って分かったことだが、この端末は閲覧向きだということ。
インターネットの画面を見たり新聞や電子ブックを読んだりするには便利なことこの上ない。

 軽くてコンパクトだから、どこにでも持ち運べるし、スイッチを入れればすぐ画面が出てくる。PCのようにスイッチを入れてから画面が出てくるまでしばらく待たされるということがない。

 私が最初に使ったタブレットはNexsus7。これは名前から分かるように7インチサイズ。片手で持つのにちょうどいい大きさで、持ち運びが苦にならない。
 言い換えればモバイルにピッタリということだが、生憎私の場合は外に持ち出して使うことはないから、もっぱら自宅専用。

 主な使い方はメールのチェックとインターネットの閲覧。
そしてこれが中心だが、新聞の閲覧である。

 新聞は紙をやめて、もっぱらタブレットを使い、ネットで読んでいる。各紙の専用アプリを使えば紙の新聞と同じ形で読めるので、パソコンよりはよほど読みやすい。かくして毎朝、タブレットのお世話になっている。まあ言ってしまえば、新聞を読むためにタブレットを使っているようなものだ。

 その程度の使い方しかしないならわざわざタブレットを買う必要はなかったのではないかと言われれば、その通りだろう。ちょいと興味本位で買ってしまったというのが正直なところ。これが2万円も3万円もしたなら買ってないが、1万6000円台になっていたから、この価格なら買って損はないだろうと、安物買いの錢失いになる危険性を承知しつつ買ってしまった。

 新聞専用程度にしか使ってなかったタブレットなのに数か月前、なぜか10.1インチサイズのタブレットをまた買ってしまった。それもアンドロイドのを。
 実はこの時Windowsタブレットを考えていた。同じアンドロイド系を2つ持っても仕方ないし、Windowsタブレットならパソコンとの親和性がいいからだ。ただ色々調べると操作性等でアンドロイドの方に分があった。外付けキーボードを使わなければ特に。






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毎日新聞社、西部本社版紙面を無料公開

 熊本地震の被害状況が拡大している。

毎日続く余震で自宅や屋内にいる危険性を感じ避難する人達が増えている。

多くは体育館その他の共同避難場所で過ごしているようだが、プライバシーや寝る場所の確保が難しいとの理由などから車中で寝泊まりしている人も増え、20万人近い人が避難生活を余儀なくされている。

 被災地への支援は様々な形で行われているが、1に食料等生活必需品の支援だが、情報不足も過去の震災被害現場でよく指摘された。



 こうした状況を鑑み、毎日新聞社は本来有料版のデジタル紙面を無料公開した。

ただし、無料で読めるのは九州地区をエリアとする西部本社版のみだが、この英断に拍手を送りたい。

現在、全国紙で紙面を無料公開したのは毎日新聞だけのようだ。

ネット接続環境という状況はあるものの、毎日新聞ビューア・アプリを使えば西部本社版紙面の朝刊・夕刊が無料で読めるようだ。

 個人的には以前から有料購読していたが、無料公開されたことに今日気付いた。
もしかすると数日前から無料公開していたのかもしれないが、恐らく今日からではないかと思う。

 こういう支援の形も大いに評価したい。

[追加]
 毎日新聞西部本社版の無料公開は残念ながら5月9日朝刊までで終了になった。
 せめて1か月は続けて欲しかったが・・・
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今からでも遅くない、地震対策ーー家具転倒防止装置




 家具転倒防止装置「田尾さん」の簡易パッケージ版

2個で1対になっています。

上の1個は爪が下に伸びた形。

地震で揺れる度にこの爪が下に伸び、取り付けられた家具等を後ろに傾け、転倒するのを防いでくれます。



 家具にセッティングした形

実際に設置する場合は2個は家具の左右端に近い所に取り付けます。

左はカバーを取り外したもの。

家具の前面に取り付ける場合、このようにカバーを取り外して付け、

取り付けが終わった後にカバーをかぶせます。

 家具等への取り付けは基本的にはビスで固定だが、

家具等に穴を開けたくない場合や金属面への取り付けは

両面テープで接着できるようになっています。

 一応、両面テープは最初から付いていますが、より強力なタイプの両面テープに取り換え、

家具等へ取り付けた方が安心でしょう。




 パッケージ版


 九州でこれほど大きな地震はかつてあっただろうか。
被害はどんどん拡大しているし、地震がおさまるまで数か月かかるかも分からない、とまで言われている。
直下型地震の恐ろしさを知らされるとともに、いまさらながらに活断層を軽んじられないと思い知らされた。
地震、雷、火事・・・という言葉があるが、今夜は雷雨まで襲ってくるという。
なんとも無慈悲。
自然にやさしさ、思い遣りの気持ちはないのか。

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セブン−イレブン鈴木会長引退会見の違和感(3)

 まあ、これだけで結論を出すのは早すぎるだろう。では次の事実をどう考えるだろうか。
 康弘氏は新会社の社長に就任するとともにHDの執行役員にもなったのである。さらに14年12月、新設の最高情報責任者(CIO)に就任。

 繰り返すが、それまで右肩上がりの業績を上げてきたわけでもないのに、吸収合併された企業のトップにいきなり「抜擢」されたばかりか、その親会社の執行役員、最高情報責任者になったのだ。しかも最高情報責任者ポストは新設されたものだから、彼のために用意されたといってもいいだろう。

 客観的に見て、これを親の七光りと言わない人がいるだろうか。恐らくいないだろう。
 となれば、その先に見えるものは何か。どんなに鈴木氏本人が引退会見の席上で否定しようと、世襲を目論んだと勘ぐられるのは仕方ない。創業者でも大株主でもない、社員からのし上がった人物が世襲を目論んだとすれば一大事。創業者であり大株主の伊藤名誉会長が鈴木氏の人事案に賛成しなかったのは容易に想像がつく。

ご都合主義的な「資本と経営の分離」

 鈴木氏が多弁に説明し、HDの顧問を務める後藤光男氏(81歳)と佐藤信武氏(77歳)の両古参幹部が補足説明をしようとも部外者にはなんとも理解できないセブンイレブンのトップ交代人事。鈴木氏の引退会見の内容もさることながら、説明会場に首を揃えた面々が揃ってお年寄りなのも奇異に映った。
 コンビニエンス業界は流通業の中では若い業態である。すでに1線を退いた人々ではなく、次世代を担う若い世代が居並んで説明するならまだしも、80歳前後のロートル達の説明では繰り言にしか聞こえず、ますます今回の引退劇の真相を見えなくしている。

 それはそれとして鈴木氏の繰り言、いや失礼、説明で資本と経営の分離が言われている。井坂氏解任人事案の理由とは直接関係ないことであり、唐突な印象を拭えないが、これも先の「獅子身中の虫」発言同様、鈴木氏自身が納得できない個人的感情があったのだろう。以下、その部分を引用してみる。

 「くどくなりますが、私は資本と経営の分離を言ってきました。今、伊藤家の資本そのものは全体の約10%で、そのこと自体は経営に大きく影響するようなものではありません。けれども私は小売業、なかんずくフランチャイズビジネスについて考えると、そのあたりをきちっとしておかないといけないと思っています。その見本を作ることが大きな使命だと思っていますし、何もそれはセブンイレブンだけの問題ではなく、日本のコンビニを総反対された中で作ってきたという私の使命からしても、資本と経営の分離をきちっとすることが、重要だという思いがあったからです」

 納得。このこと自体に異論はない。その通りだと理解する。ただし、今回の騒動発端のセブンイレブン社長交代人事案否決の最後のトリガーが伊藤名誉会長の反対表明だったことを考え合わせると、その通りと一般論で頷くわけにはいかない。
 資本と経営の分離の大原則に従い、オーナーは経営(今回の場合は人事案)に口を挟むな、と言っているように聞こえる。

 とにかく、この人物、一言多いようだ。「お恥ずかしくて申し上げられない」とか「くどくなりますが」と断りながら、くどくど、ネチネチとよく語る。そのくせ肝心な人事案提出の理由についてはあやふやなまま語らないが。

 早い話、会社を私物化したかったとしか思えない。でなければ社外取締役2人を加え4人で構成される「指名・報酬委員会」で5時間も議論し、賛成に至らなかった人事案を取締役会に再度提案するなどという強引な手法を取る理由が見当たらない。

 俺が言うことに反対するはずがない、と考えていたのが案に相違して5時間も議論を尽くすことになり、最後は折れてくれるどころか、最後まで決着がつかず、挙句の果てには取締役会に強引に諮ったところ、ここでもよもやの否決。「ブルータス、お前もか」の心境だったのではないか。

 「資本と経営の分離」という言葉をこのような形で使うべきではないだろう。むしろオーナーでもないのに、長期に渡って君臨し続けた自身の姿をこそ恥ずるべきだったのではないか。






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セブン−イレブン鈴木会長引退会見の違和感(2)

 在任期間の長さを問題にするなら鈴木会長の在任期間はどうだろう。鈴木氏がセブンイレブン社長に就任したのが1978年、同会長には1992年に就任しているから、社長時代から考えれば37年余り。会長時代から数えても23年余りトップとして君臨しているわけで、自らの在任期間を問題にしないのは明らかに片手落ちだ。

 鈴木氏はオーナー経営者ではない。にもかかわらずこの在任期間は問題だろう。それとも業績を上げてきた実力者だから許されるのか。もし、そうだとすれば井阪氏の場合にも同じ判断基準が適用されなければならない。

 こう見てくると、鈴木氏が井阪氏に退任を迫る根拠が非常にあやふやなことに気付く。仮に「君は7年もセブンイレブンの社長を務めてきたから、ここらで後進に道を譲り給え。私も長年、会長職に留まり過ぎたので、この際退任する」とでも言うならば、退任が遅すぎたきらいはあるが、それでもまだ筋が多少通る。
 だが、そういう流れでもなかったようだ。とすれば本当の理由は何なのか。


多弁は真の理由を覆い隠す

 鈴木氏の引退会見が異常なのは既述したように古参幹部に援護射撃を頼んだことと同時に、多弁すぎることだ。むしろ女々し過ぎるほどで、くどくどと経緯を事細かに話している。そして話せば話すほど、なぜ、井阪氏を辞めさせることにそこまでこだわるのか、もっと別の理由があったのではないかという疑念を生じさせる。

 今回の引退会見を見聞きした人に、そのような疑念を生じさせたこと自体がすでに失敗であり、鈴木氏を名経営者という名声から遠ざけることになるだろう。

 それにしても話の内容がくどい。まるで自身の方が引退を迫られたような感じを受ける。
 くどいのは話だけでなく、井阪氏に退任を迫ったやり方にもくどさというか、執拗さを感じる。セブンイレブンとは直接関係ない井阪氏の父親にまでアプローチし、息子に辞めるよう説得を頼んでいるのだから尋常ではない。

世襲画策を疑われた背景

 鈴木氏の会見で気になる箇所、奇異に映った箇所がいくつかあった。一つは「お恥ずかしくて申し上げられないけれど、獅子身中の虫がおりまして、色々なことを外部に漏らしていたのは事実です」と語った部分だ。

 「獅子身中の虫」って何? 井阪氏解任の件を創業者であり大株主の伊藤雅俊名誉会長に連絡した人物のことだろうか。「お恥ずかしくて申し上げられない」なら喋らなければいいと思うが、なにかよほど個人的感情があったに違いない。
それにしても、この一言は全くの余分。この一言で過去の名声を自ら地に落とした。

 今回の井阪氏辞任要求の背景に、鈴木氏次男への世襲画策があった−−そう勘ぐる向きは結構多いようだ。実際、株主である米投資ファンドのサード・ポイントは3月末に「人事案は鈴木氏が次男康弘氏(51)を後継にするためだ」と批判する内容の書面をセブン&アイ・ホールディングス(HD)に送っている。

 これに対し鈴木氏は引退会見の席上、記者の質問に対し次のように述べている。
「何で息子の話が出てくるのか分かりません。社内でも飛び交っていると聞きまして、ビックリ仰天なんですよ。そんなことを言ったことはありませんし、息子もそんなことを考えたことはないと言っていますし、ましてやセブンイレブンに直接タッチしたことがありません。技術屋ですから、そんなことは考えていません。それなのに、まことしやかに社内で言われているのは、いかに私の不徳の致すことかと思っています」

 この言葉を額面通りに受け取る人は本人以外にいないのではないか。なぜなら、この噂は1年前から囁かれているからだ。火のないところに煙は立たず、と言われるように、これを根も葉もない噂と一笑に付すには少し無理があるかもしれない。

 そこで鈴木氏の次男、康弘氏のセブンイレブングループ入社前後の経歴を見てみよう。
 1999年8月、書籍のインターネット通販会社イー・ショッピング・ブックスを設立し社長に就任。
 2009年12月、セブン&アイHD傘下に入り、セブンネットショッピングに社名変更。
 14年3月、セブン&アイHDの中間持ち株会社セブン&アイ・ネットメディアがセブンネットを吸収合併。康弘氏、社長就任。

 企業動向に詳しい読者の中にはこの段階で「おやっ」と思われるに違いない。そう、吸収した側ではなく、吸収された側の社長が吸収合併されてできた新会社の社長に就任したのである。

 一般的には吸収した側が社長に就任することが多い。ただ、今回のようなパターンもないわけではない。ただ、超低空飛行を続けていた会社の社長が新会社の社長に就任する例はないか、あっても極稀だろう。

 業績が悪化している会社のトップを新会社のトップに据えて指揮を任せてうまくいくと考えるのはよほどのお人好ししかいないだろうから。そういう意味では当時のセブン&アイ・ネットメディア、あるいはHDはよほどのお人好しだったのだろう。でなければ、なにか遠慮しなければならない事情でもあったのだろうか。







つらい花粉の季節にこれ!
人気テレビ番組紹介で欠品続出した特許取得の「北山村産じゃばら」
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