イコールの橋 くれはやし・しゅん

生きていくことの大切さを多くの若者に伝えたい!
そして、一緒に平等の橋を渡りたい・・・。

相原一博牧師を悼む

2011年01月06日 | 身辺雑記篇

日本基督教団波佐見教会の

主任牧師を務めていた

相原さんが逝去されました。

享年、60歳。去年の6月に還暦のちゃんちゃんこを着たばかりだというのに。

1月3日、急変を聞いて、私は久留米の新古賀病院6階に駆けつけた。

家族の方とも話をして、相原牧師の右手を握り、お別れを心の中で言いました。

3時間ほど病院にいて、自宅に帰っていたときに、

息子の聡くんから電話があり、相原牧師が、午後5時59分に召天されたことを

聞くにつれ、牧師との淡いようでこゆいような交際を振り返ったのでした。

私どもは、いまだ大牟田で、障害者解放運動という名前すらつけられないような時代に、

日本基督教団大牟田正山町教会の納骨堂の一角をお借りして、夜遅くまで

大牟田障害者応援センター(略して、SOS)を立ち上げるための準備の会議を

毎日といっていいほど、相原さんに甘えて、教会でしていました。

そのときも、説教の準備などがあり、牧師はただただ、黙って、若い私たちの

成り行き任せの論議を、温かく見守ってくれていました。指図などは一切したことはなく、

障害者の諸君の介護を一生懸命に、しておられた記憶のみが残っています。

奥様のミチコ夫人も、そのような旦那さまの働きに共感して、温かく、陽気に私たちを

包んでくれていました。大牟田の障害者解放運動は、まさしく、あの大牟田正山町教会の

納骨堂から出発したのです。これは歴史的にきちんと、おさえておかねばならないことです。

重度健全者の私が、いなくなれば、そのことは恐らく風化するでしょうが・・・。

あのころ、同じ気持ちで働いていた仲間は、きっと、そのことに共感をして

うなずいてくれると、私は思います。相原牧師がいたからこそ、大牟田の障害者解放運動は

発展して、深化したのはまちがいないのです。それは相原さんという、反権力の気持ちの強

い、ひとりの、アナーキーな牧師がいたからなのでした。

相原さんからは、学びよりも何よりも、多くの人を紹介してもらいました。

1,生命山シュバイツアー寺の古川泰龍さまご家族

2,砂田明という、ひとり芝居の名優。

3,田川の林えいだいさん

4,金田町のカネミ油症を闘う犬養光博牧師

5,水俣 遠見の家

6,水俣 浮雲工房

7,フィリッピン民衆の歌・・・アンバヤンコ

その他、忘れているものがたくさんあるが、すべて、反戦反核平和の旗印の下で

体を張った祈りをしてきた相原さんが、残してくれたものは数知れないものがあります。

・・・・また折りにふれて、思い出したものは、ここに書いていこうと思います。

 

追悼句

天国でも愛の原っぱ疾駆せよ(流夢) 

 

 

 


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
感謝 (聡)
2011-01-08 13:09:37

ありがとうございました。

相原家一同
追悼 (奥園 進)
2011-01-08 17:59:35
初めてこのブログを拝見しました。
相原牧師のことをこのように記録していただいて感謝します。残されたご遺族の皆様に慰めと平安とを祈るばかりです。

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