万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

衆議院選挙-“公約を守れ”は国民にとっては危険

2017-10-04 16:04:52 | 日本政治
「政党」のニュース
政治に対する信頼性が著しく低下している中、信頼回復のためには、“政党は、選挙に際して掲げた公約を誠実に守るべし”とする説があります。国民との約束は守れ、と…。しかしながら、この主張、真っ当なように聞こえて、案外、危険なのではないかと思うのです。

 第1に、一般社会の約束や契約との違いに基づく危険性があります。通常の約束や契約とは、その内容を双方が吟味し、全ての項目について納得した場合に成立します。当事者の双方、あるいは、一方に不満がある条項が含まれていたら最後、約束であれ、契約であれご破算となります。細かいところを詰め、双方が折り合い、当事者のどちらもが受け入れ可能な状態に至って初めて約束や契約は成立し、双方を拘束するのです。

この観点から“公約”というものを眺めてみますと、一般社会の約束や契約とは随分と違っています。“公約”の内容は、一方的に政党が作成したものであり、もう一方の当事者である有権者の要望や希望が入り込む余地が殆どありません。しかも、公約の項目の中には、有権者が受け入れ難い政策も含まれていながら、有権者の側には内容修正のために折衝を求める政治・行政的・司法的ルートもチャンスもありません。また、公約に記されていな政策分野があれば(意図的に空白にする場合も…)、政権与党への“白紙委任”にもなりかねないのです。

第2に、“公約”の誠実な履行が、民主主義の原則に反してしまうという問題があります。民主主義とは議論である、と称されるように、自由闊達な議論なくしては成立しません。議会に法案が提出され、様々な角度から内容が吟味され、修正を施しながら国民を資するより良き法案に作り上げてゆくのが民主的立法プロセスです。ところが、政党が掲げる“公約”を絶対視し、その実現が政権与党の使命ともなりますと、最早国会での議論は不要となります。否、“公約を守れ”と迫り、一文一句変えてはならないとしますと、議会で修正を加えること自体が不可能となるのです。議会不要論ともなりますので、独裁体制に、一歩、近づくことにもなりかねません。

また、第3点としては、投票率の低迷が続いていることに加えて、小選挙区制では死票が多く、当選者と雖も必ずしも有権者の過半数を越える票を得ていないことです。このため、政権与党による“公約”の誠実な履行とは、大半の有権者にとりましては、望ましくない政策の押し付けとなります。また、政党の掲げる“公約”が確実に履行されるということになりますと、投票率はさら下がることになり、政治家の正当性も失われることになるでしょう(選挙の成立要件を、投票率が50%を越えることとすれば、国民は、棄権によって“公約”拒否権を持つことができる)。

以上に述べたように、政党が杓子定規に“公約”を守ることには、見えざるリスクが潜んでいます。全てが国民本位で完璧な“公約”などあり得ませんし、議論なき民主主義はもはや生きた民主主義ではなく、現行の選挙制度は、政治と国民の乖離に拍車をかけているからです。こうした側面は、現行の民主的統治システムの限界でもあるのですが、今般の衆議院選挙では、どの政党の“公約”にも、評価し得る政策ばかりではなく、考え直してもらいたい、イデオロギー志向の強い、あるいは、海外勢力との約束が疑われるような政策等が混在しており、国民の選択が極めて難しい状況です。国民も政党も“公約”に内在するリスクを認識し、実際の政治プロセスにあっては、一般の国民から高い支持を得られうる政策造りに努めるべきではないかと思うのです。

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2 コメント

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Unknown (オカブ)
2017-10-04 17:58:20
倉西先生
いつもご指導ありがとうございます。
選挙における、政党の公約に関しては、まず、公約がなければ有権者には、直近の政治課題について有権者は、政党を選択する判断基準を失ってしまうという弊害があります。
そして第二に、先生ご指摘のように、"公約"についても十分な議会での議論と修正のプロセスがなければ、民主的な手続きではないとの弊害ですが、選挙で勝利した与党が、ある程度その公約の実現を担保しなければ、"公約"は絵に描いた餅になり、選挙という政治参加のプロセスに対する欺瞞になります。
第三に、政党あるいは候補者に投票するということは、その政党、あるいは候補者に"白紙委任"したわけではなく、彼らの公約には受容できるものと受容できないものがあるとの弊害があります。
もちろん、議会での自由な討論とその結果の政策の修正は民主的な手続きとして、必要なのであり、かつ少数派の意見も尊重すべきという昨今の通俗的主張にも沿う形になるのですが、それでは選挙結果という民主政治最大の政治参加者の意思表示とは何かという課題が浮かび上がります。
私は、先生ご指摘の点も含め、これらは間接民主制が包含する根本的な問題であり、今すぐの解決は無理にしても、時間をかけて本質的な解決が求められると思います。
一方で、選挙に準ずる政治参加の在り方、例えば有権者と候補者の距離の短縮化、いわば有権者がもう少し”濃い"候補者の支持者となり、自らの利害や要望を直接、候補者に伝えるような形にする政治参加の在り方も必要なのではないでしょうか?
現状、こうした政治参加ができるのは資金力がある"旦那衆"が主ですが、一般庶民も、圧力団体である"市民団体"に参加するという手段以外に、こうした政治参加が可能となる道づくりを、為政者も模索すべきだと思います。
オカブさま (kuranishi masako)
2017-10-04 19:23:46
 コメントをいただきまして、ありがとうございました。

 今日の選挙では、政治家のみならず、政策を選ぶというもう一つの選択を国民に課しております。政策のみならず、議院内閣制では政権の選択でもあり、さらに詳細に述べれば、その他にも、代表の選択、政党の選択、立法者の選択…なども重なります。多重選択となりますので、そもそも、制度設計からして無理があるのはないかと思います。現行の制度には、こうした問題点が山積し、今や、それが限界に達しようとしてるにも拘わらず、今日の政界は、政治家性悪説が信憑性を増すほど、国民を無視しております。公約の制度も、政治家が国民思いの善良な人物という前提にあってこそ機能するのですが、むしろ、悪用されている観さえあります。今日、国民が必要としているのは、統治システムの改革を提言する政治家ではないかと思うのです。

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