万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

“文明の衝突”ではなく“文明と野蛮の衝突”では?

2017-07-23 15:17:17 | 国際政治
 イギリスのEU離脱、並びに、アメリカでのトランプ政権の誕生を背景に、サミュエル・ハンティントン氏が提唱した文明の衝突論が再び議論の俎上に上るようになりました。メディアでも盛んにリベラル派の知識人の見解が取り上げられ、“文明の衝突”を避ける道として、多様性を認める寛容の精神を読者に説いています。

 しかしながら、今日、国際社会が直面しているのは“文明の衝突”なのでしょうか。メディアに颯爽と登場してくる知識人は、何の疑いもなく異文明間の衝突を議論の前提に自説を展開しています。ところが、現実を直視しますと、今日の国際社会で起きている問題の多くは、異なる文明間の衝突ではなく、文明と野蛮との間の衝突に思えてならないのです。

 ここで確認すべきは、現代における“文明”とは何か、という文明の定義と判別基準です。今日において人々が安心して生きるためには、まずは、個人であれ、集団であれ、自他の主体性(存在そのもの…)の一般的な承認を要します。超越的な視座に位置する法によって、全ての構成主体が承認されなければ、統治上の価値とされる民主主義も、自由も、法の支配も、そして平等・公平も成り立たないのです。現代の文明は、主客両面における主体性承認を普遍的な制度として実現していると言うことができるでしょう。

 このような現代の文明の定義に照らしますと、“文明”の対義語としての野蛮”は、“他者の主体性の一方的無視”を意味します。イスラム教も共産主義も、異性(女性)の主体性の軽視や無視、異教徒や異なる階級の人々の主体性の抹殺を肯定している点において、“野蛮”に分類されると言えます。北朝鮮の政治イデオロギーである主体思想も、独裁者の主体性を絶対化する一方で、国民を含めた他者の主体性を認めない野蛮思想に他なりません。

 そして、現代の人類が直面している問題を“文明の衝突”と見なしているリベラル派の立場は、個人のレベルでは基本権や多様性の尊重を唱えても、集団のレベルでは、国家の主権や民族の自決権は容認していません。この意味において、リベラル派は、国家や民族(国民)の主体性を一方的に無視しているのです。否、国家の歴史や伝統、そしてこれらに基づくナショナリズムに対する排他性と迫害の容認においては、イスラム教や共産党などと然程の差はありません。もしかしますと、それは、“無自覚の野蛮”、あるいは、“隠れ野蛮”と称した方が適切であるかもしれないのです。

 異なるとはいえ、文明同士の衝突であれば、何れが勝っても文明は残りますが、文明と野蛮との闘いであれば、野蛮の勝利は文明の消滅を意味します。文明と野蛮の衝突と野蛮側の勝利こそ、人類文明の真の危機と言えるのではないでしょうか。

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6 コメント

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わかります!! (clover)
2017-07-23 23:09:43
先生はいつもちょっと難しい表現をされますが
今回は私にも「分かります!!」

.>“無自覚の野蛮”、あるいは、“隠れ野蛮”と称した方が適切であるかもしれないのです。

奴隷制や人身売買など、その最たるものですよね。
少し調べてみましたらWikipedeaにこんな記述が。


>聖書における関連部分[編集]

セムは黄色人種の祖、ハムは黒色人種の祖、ヤペテは白色人種の祖とする、通俗的解釈が存在する。


箱舟から出たノアの子らはセム、ハム、ヤペテであった。ハムはカナンの父である。この三人はノアの子らで、全地の民は彼らから出て、広がったのである。さてノアは農夫となり、ぶどう畑をつくり始めたが、彼はぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。カナンの父ハムは父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。セムとヤペテとは着物を取って、肩にかけ、うしろ向きに歩み寄って、父の裸をおおい、顔をそむけて父の裸を見なかった。やがてノアは酔いがさめて、末の子が彼にした事を知ったとき、彼は言った、 「カナンはのろわれよ。彼はしもべのしもべとなって、その兄弟たちに仕える」。また言った、「セムの神、主はほむべきかな、カナンはそのしもべとなれ。神はヤペテを大いならしめ、セムの天幕に彼を住まわせられるように。カナンはそのしもべとなれ」。(口語訳聖書 創世記9章18節-25節)


‥‥聖書はいろいろな解釈がされているようですが
この部分「野蛮派」にとっては、免罪符的な意味を
持つアリガタイお言葉なのでは、と思ったりします。

キリスト教をいろいろ勉強している人の話ですと
イエスは協会に行ったり献金をしたりはするなと
話していたらしいです。
後の人々が都合よく捻じ曲げて、今のキリスト教に
なったのだとか。

とんでもなく根が深いようです。
cloverさま (kuranishi masako)
2017-07-24 08:31:23
 本記事へのご賛同をいただきまして、ありがとうございました。

 今日、あらゆる宗教の教義や聖典、そして、思想というものを、少し離れた位置から見直してみる必要があるように思えます。権威によって支えられてはいても、本記事で記しましたように、現代の”野蛮”問題を考えますと、その根源は、過去における人類の精神や倫理観のあり方に求められる場合があるからです。人類が真の”文明”に向うには、今日、この問題(過去のあらゆる宗教や思想との対峙…)は避けて通れないように思えるのです。
野蛮な日教組 (ROM)
2017-07-24 18:05:20
『BBの覚醒記録』というブログにあったのですが、日教組、中村讓・中央執行委員長が、
「なんで日本だけを愛さなきゃいけないの。今はグローバルな時代だって。そうした時代の中で、じゃあなぜ日本だけを大切にするの。大相撲で、朝青龍や把瑠都は土俵に上がるな、ということ」
と言い放ったそうです。
これこそが、まさに先生のおっしゃる「野蛮」ではないでしょうか。

自国を愛し、主体性を認めることができて初めて他国の主体性を認めることができることを知るのが「文明」ということですよね。
本当に、こんなクズで野蛮な人間が教育の現場を牛耳っていることにおおいなる怒りと絶望を覚えます。
ROMさま (kuranishi masako)
2017-07-24 19:43:06
 コメントをいただきまして、ありがとうございました。

 今日のリベラル派は、もっともらしい言葉で他者に対して主体性を捨てるように薦めております。しかしながら、その意味するところは、結局は、個人であれ、国であれ、人類から自らを尊重する心や固有性を失わせ、自らが自由に支配できる”家畜化”することではないかと推測しております。日教組という組織は、人々を教育するのではなく洗脳するために存在しており、将来的には”調教”機関を目指しているのではないでしょうか。リベラル派の”野蛮”こそ、現代における人類の脅威の一つであり、職業組合としての一般的な活動範囲から逸脱している日教組も、組織の抜本的な正常化を図るか、解散させるべきなのかもしれません。
感謝 (ROM)
2017-07-24 21:17:46
先生、ご返信ありがとうございます。
ご丁寧なご返信によって、さらに理解を深めることができています。

寺脇などが堂々とメディアに露出している現状。
国連のSDGsといい、世界洗脳計画の前に非力な自分を感じて絶望します。
あと30年したら団塊左翼は死滅します。それまでできることはやっていきたいという思いだけがある、という日々です。
ROMさま (kuranishi masako)
2017-07-24 21:52:38
 こちらこそ、ご返事をいただきまして、ありがとうございました。

 かつて、教師は聖職とされ、人格者が就くもの見なされてきましたが、日教組は、教師を尊敬する精神風土を悪用しているとしか言いようがありません。そして、日教組をはじめとした洗脳教育活動は、共産主義の影響がしばしば指摘されている国連のみならず、全世界の諸国で実行に移されているように思われます。人々が、左派の人々が仕掛けている騙しの罠を見破らない限り、人類の未来は、閉ざされてしまうことになりましょう。黙っていますと”家畜化”されますので、野蛮なる世界洗脳計画は、何としても阻止しなければならないと思うのです。

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