陛下、退位後は30年ぶり東宮御所へ…政府検討
1945年7月26日、連合軍は、日本国に対してポツダム宣言を発し、即時降伏を求めました。この時、日本国政府は天皇の地位、即ち、国体の護持が確約されていないとして同宣言の受託を拒否します。
同年8月15日に昭和天皇の玉音放送を以って同宣言の受託が表明されましたが、その間、突然のソ連参戦により満州から朝鮮半島にかけて日本人の多くが殺戮され、次いで原子爆弾が広島と長崎に投下されました。僅か半月の間に、数十万の日本人の命が失われたのです。甚大なる被害は国体の護持の代償とも言えますが、当時の日本人は、それでも昭和天皇に対して恨み事を述べたり、声高に糾弾する声は殆どありませんでした。こうした日本人の天皇に対する絶対的とも言える崇敬心は、第一次世界大戦敗戦時のヴィルヘルム2世の退位と比較するとよく分かります。ドイツ国内では、皇帝がオランダに亡命したこともあって、退位を惜しむ声は少なく、比較的混乱なく共和制に移行しましたが、日本国では、敗戦に打ちひしがれている国民を勇気づけるために全国各地を行幸した昭和天皇を、国民は熱烈に歓迎したのですから。
こうした当事の日本国民の天皇に対する格別の思いは、天皇が神話の世界を現代に伝える神聖なる存在であり、”神の子孫”と信じられていたからに他なりません。いわば、日本人の素朴な信仰心と自然に結びついていたのであり、天皇と国民との精神的な絆なこそが、国体というものであったように思えます。しかしながら、敗戦時に際して、”国体の護持”は約束されても、今になって考えても見ますと、当事の妥協は、”花を採って実を捨てた”ように思えます。今日、”神の子孫”とは思えない世俗の欲に塗れた皇室の姿を前に国民の崇敬心は薄まり、国民は、国体の護持のために払われた多大なる犠牲は何であったのか、自問せざるを得ない状況にあります。そして、”菊のカーテン”に隠されてきた事実が漏れ伝わるにつれ、皇室の存在そのものに疑問を感じる国民も増えてきております。
権威とは、多くの人々がそれを権威として自発的に認める時にしか成立し得ず、人々の心が離れますと、権威もまた消滅します。敗戦時のおいて護持された”国体”とは、結局は、国家における天皇の地位に過ぎず、当事の日本人の心の中にあった”国体”は、皇室の劇的な変質、並びに、内外の政治勢力が背後で蠢いた近代の幕開けにも遡る疑惑を前に、風前の灯となっているように思えるのです。
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1945年7月26日、連合軍は、日本国に対してポツダム宣言を発し、即時降伏を求めました。この時、日本国政府は天皇の地位、即ち、国体の護持が確約されていないとして同宣言の受託を拒否します。
同年8月15日に昭和天皇の玉音放送を以って同宣言の受託が表明されましたが、その間、突然のソ連参戦により満州から朝鮮半島にかけて日本人の多くが殺戮され、次いで原子爆弾が広島と長崎に投下されました。僅か半月の間に、数十万の日本人の命が失われたのです。甚大なる被害は国体の護持の代償とも言えますが、当時の日本人は、それでも昭和天皇に対して恨み事を述べたり、声高に糾弾する声は殆どありませんでした。こうした日本人の天皇に対する絶対的とも言える崇敬心は、第一次世界大戦敗戦時のヴィルヘルム2世の退位と比較するとよく分かります。ドイツ国内では、皇帝がオランダに亡命したこともあって、退位を惜しむ声は少なく、比較的混乱なく共和制に移行しましたが、日本国では、敗戦に打ちひしがれている国民を勇気づけるために全国各地を行幸した昭和天皇を、国民は熱烈に歓迎したのですから。
こうした当事の日本国民の天皇に対する格別の思いは、天皇が神話の世界を現代に伝える神聖なる存在であり、”神の子孫”と信じられていたからに他なりません。いわば、日本人の素朴な信仰心と自然に結びついていたのであり、天皇と国民との精神的な絆なこそが、国体というものであったように思えます。しかしながら、敗戦時に際して、”国体の護持”は約束されても、今になって考えても見ますと、当事の妥協は、”花を採って実を捨てた”ように思えます。今日、”神の子孫”とは思えない世俗の欲に塗れた皇室の姿を前に国民の崇敬心は薄まり、国民は、国体の護持のために払われた多大なる犠牲は何であったのか、自問せざるを得ない状況にあります。そして、”菊のカーテン”に隠されてきた事実が漏れ伝わるにつれ、皇室の存在そのものに疑問を感じる国民も増えてきております。
権威とは、多くの人々がそれを権威として自発的に認める時にしか成立し得ず、人々の心が離れますと、権威もまた消滅します。敗戦時のおいて護持された”国体”とは、結局は、国家における天皇の地位に過ぎず、当事の日本人の心の中にあった”国体”は、皇室の劇的な変質、並びに、内外の政治勢力が背後で蠢いた近代の幕開けにも遡る疑惑を前に、風前の灯となっているように思えるのです。
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皇室に関する様々なマイナス情報が飛び交っておりますが、状況証拠からしますと、根拠のないフェイクニューズとも思えず、今日、皇室は岐路を迎えているように思えます。二年度に、政治志向の強い東宮即位となりますと、何か、良からぬ事態が起きてしまうような予感がするのです。
旧レジームなら神社に公費が入って潤っていたけど今はそうじゃない。で、日本国憲法の新レジームを憎む。政教完全分離だから。日本国憲法を順守する皇室も憎むわけだ。
しかし、お門違いなのだ。西洋も日曜礼拝に行く人は激減している。キリスト教会も財政難で苦しんでいるだろう。このままでは、神社には正月にコインをまきに行くだけになるだろう。宗教離れをしている先進国民にどういう役割をして神社が生き残るか、自分たちで考えることだ。
森友学園と神社とは、特に財務的には、全く関係がないのではないでしょうか。しかも、森友学園は、北朝鮮系の疑いがあり、全体主義教育を日本精神の名を語って実施しているに過ぎません。一般の日本人は、森友学園は、朝鮮半島系カルトの教育機関と認識していると思います。Unknownさまのコメントは、森友学園を神道と結びつけ、真の背景を隠す意図があるようです。
それよりも神社界は、旧レジームに戻ろうなどせず、現代人の宗教離れの中でどうするか考えたほうが良い。七五三もスタジオで何枚も写真を撮るから、神社ではお賽銭を放り込んで済ます。祝詞をあげてもらうのは、お金がもったいないと現代の若い夫婦は思っている。
なお、神社界につきましては、初詣、厄払い、結婚式、御宮参り、七五三、成人式、お葬式・・・など、年中行事と結びついております。国民の関心が高まれば、神社に足を運んだり、儀式として参加する国民も増えるのではないでしょうか。少なくとも、森友学園のようなカルト系とは一線を画すべきと思います。
近年、マスコミが真相究明に尻込みする不可解な事件が起きますと、必ずや、系や朝鮮系の団体の関与があるようです。しかも、両者は、どこかで結びついており、マスコミや政界においても隠然とした影響を保持しているように見えます。両者の関係を洗い出しませんと、一般の日本国民としたしましては、日本国内で何が起きているのか、分からなくなります。籠池理事長は、言動からしますと朝鮮半島系のようにも思えるのですが、何れにいたしましても、この事件が、朴大統領の弾劾に次いで日本国でも政権の転覆が試みられたとしますと事は重大ですので、仲間割れの勢力図や、どちら側が政治的に政権転覆を仕掛けたのか、国民には知る権利があると思うのです。。
ま、総裁三選がいけなかったのだ。あれじゃ、自民党のボスたちが怒る。真珠湾訪問の時、防衛大臣がまるでファーストレディのように出てきたのもいけなかった。
あれじゃ、大臣待ちの議員たち、やる気を失って、すでに自民党議員たちも倒閣モードだろう。竹下は「総理を侮辱した」と言って籠池を証人喚問したけど、内心は倒閣かな?そうなっている。二階は三選を推進したけど、褒め殺しさ。ベテランだからわかっている。
ま、北の陰謀などではなく総理の慢心が引き起こしたものだ。これじゃ、朴さんの後を追うだろう。議員辞職、離婚、さらに塀の向こうに落ちるか?私も想像できなかった幕引きのようだ。