しだれ梅まつり、つづき。
(その1→●)
はい、まだまだ梅の写真が続きます。
気付けばもう3月。
寒暖差の激しかった冬もそろそろおしまい。
これから花と緑のいい季節になりますねー。
平針のしだれ梅まつりと、江南の桜まつりは毎年はずせません。
平針には、針名神社と梅を目当てに年に一度は必ず来るんですが、
何より、ここを含め周囲一帯が先祖一族の土地だからということが
一番大きな理由です。
毎年、
ここにいた先祖のことを考えながら園内を歩きます。
神社もお寺も、ほんとに心地良くて大好きです。
水が合うっていうのかな。
ばーちゃんちに帰ってきました
みたいな感じね。
来るたびに癒される。
平針といえば、愛知県運転免許試験場の所在地でもあります。
多くの市民にとっては、ひらばり=運転免許試験場で、
「ひらばり落ちたー」と言えば、免許取得の試験に落ちたことを意味します。(笑)
これ書いててふと思い出したけど、
試験場のそばに「平針の里山」があって、何年か前に環境破壊なんかの問題になってたっけ。
河村さん(名古屋市長)も色々と手段を講じてくれて、
市民からの訴訟問題にも発展してたけど、
結局開発されて、里山は無くなっちゃったんだよね。
人が増え、時代が変われば、野山は姿を消す。
仕方がないとはいえ、寂しいね。
自分も時代の恩恵にあずかって生きてるわけだから、
偉そうなこと言えないんだけどね・・
現在の繁栄ぶりからは想像できませんが、
1600年はじめ、平針村は戸数わずか16戸の小さな村でした。
1612年に家康の命により平針宿が作られると、
村長はじめ16戸は、
当初の地、元郷(本郷)と称された現在の平針1丁目から、
平針4丁目あたりへそろって移動します。
その際、住人とともに針名神社も移ってきました。
庄屋となった村長には苗字帯刀が許され、姓を公に名乗ることが許されます。
この庄屋はもと上杉家の浪人の子孫でしたが、
跡が絶えため、桶狭間での今川義元の残党が養子となって継いでいます。
何もなかった場所に人が住み、
野山を切り開き、開墾し、豊かになっていく。
人が増えすぎれば、自然と共存することも難しくなり、
前述の開発問題にもなってしまう。
難しいね。
今回はかなり時間があったので、
いろんなことを考えながら園内をまわり、梅を愛でておりました。
また来年も行くからね~