水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

農業センター しだれ梅まつり2016 -2

2016-03-12 | ◆縁ある処(名古屋市)◆

 

しだれ梅まつり、つづき。

(その1

 

 

 

 

 

 

はい、まだまだ梅の写真が続きます。

 

 

 

 

 

気付けばもう3月。

寒暖差の激しかった冬もそろそろおしまい。

これから花と緑のいい季節になりますねー。

 

 

平針のしだれ梅まつりと、江南の桜まつりは毎年はずせません。

 

 

平針には、針名神社と梅を目当てに年に一度は必ず来るんですが、
何より、ここを含め周囲一帯が先祖一族の土地だからということが
一番大きな理由です。

 

 

毎年、
ここにいた先祖のことを考えながら園内を歩きます。

神社もお寺も、ほんとに心地良くて大好きです。

 

 

水が合うっていうのかな。

 

 

ばーちゃんちに帰ってきました

みたいな感じね。

 

 

 

来るたびに癒される。

 

 

 

平針といえば、愛知県運転免許試験場の所在地でもあります。

 

 

多くの市民にとっては、ひらばり=運転免許試験場で、
「ひらばり落ちたー」と言えば、免許取得の試験に落ちたことを意味します。(笑)

 

 

これ書いててふと思い出したけど、
試験場のそばに「平針の里山」があって、何年か前に環境破壊なんかの問題になってたっけ。

 

 

河村さん(名古屋市長)も色々と手段を講じてくれて、
市民からの訴訟問題にも発展してたけど、
結局開発されて、里山は無くなっちゃったんだよね。

 

 

人が増え、時代が変われば、野山は姿を消す。

 

 

仕方がないとはいえ、寂しいね。

 

 

自分も時代の恩恵にあずかって生きてるわけだから、
偉そうなこと言えないんだけどね・・

 

 

 

 

現在の繁栄ぶりからは想像できませんが、
1600年はじめ、平針村は戸数わずか16戸の小さな村でした。

 

 

1612年に家康の命により平針宿が作られると、
村長はじめ16戸は、
当初の地、元郷(本郷)と称された現在の平針1丁目から、
平針4丁目あたりへそろって移動します。

その際、住人とともに針名神社も移ってきました。

 

 

 

庄屋となった村長には苗字帯刀が許され、姓を公に名乗ることが許されます。

 

 

この庄屋はもと上杉家の浪人の子孫でしたが、
跡が絶えため、桶狭間での今川義元の残党が養子となって継いでいます。

 

 

 

何もなかった場所に人が住み、
野山を切り開き、開墾し、豊かになっていく。

人が増えすぎれば、自然と共存することも難しくなり、
前述の開発問題にもなってしまう。

 

 

難しいね。

 

 

 

 

今回はかなり時間があったので、
いろんなことを考えながら園内をまわり、梅を愛でておりました。

 

 

 

 

また来年も行くからね~

 

 

 

 

 

 

 


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