水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

たまに御朱印を頂きつつ
デジカメ片手にゆるーり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

新城市 2 石座神社-2

2015-04-08 | ├ 愛知(ご縁・ ひとり)

 

石座神社つづき。

 

 

 

 

 

 

二の鳥居の手前、参道右手には境内社への道があります。

 

 

御神木のとなりが、摂社須波南宮社・天王社への参道入り口です。

 

 

では参道へ。

 

 

ゆるーく坂道がつづいています。

振り返るとこんなふう。

 

 

まさに神域。

 

 

 

距離的には大したことないんですが、
ちょっとした小山なんでやっぱ結構キツいわー(;ω;*)

 

 

高い木々に覆われた参道は、曇天ということもあってかなり薄暗い。

(これでも写真の明度を大幅に上げてあります。)

 

 

あ、やっと見えてきた。

 

 

須波南宮社・天王社

(御祭神:建南方刀美命=建御名方神)

 

 

薄い光のさす、物音ひとつしない山の中。

明るく開けた本殿境内と比べると、まさに陰と陽といったところ。

でもこの社から感じるのは静とか受とか暗ではなくて、その反対の「動」。

動という性質をもちつつ静かにそこに座っていらっしゃるというか。

 

 

社の前はちょっと開けています。

 

 

なんて事のない場所だけど、石座神社にとってここがとても大切な空間のような気がしました。

 

 

 

さて、実はこの石座神社のある場所周辺には「石座神社遺跡」なんてものがあったりします。

 

 

石座神社遺跡は今から約1700~1900年前(弥生後期~古墳前期)の集落遺跡で、
規模は東西約300メートル、南北約100メートル。

 

 

遺跡があるのは、ちょうど本殿の裏山のふもとあたりですね。

 

 

発掘調査により、
竪穴住居=約220棟、掘立柱建物=約10棟の遺構が確認されているそうです。

竪穴住居は、一辺が約5メートルの方形であるものが多く、
大半の住居が重複するかたちで確認されています。
(住居の建て替えや拡張などが繰り返された結果らしいです。)

また、丘陵の頂部には大型住居が密集する区域が存在し、
最大規模の住居は一辺が約9メートルにもなるんだとか。

 

 

土器、鉄製品のほかに、「破鏡」が出土していますが、
これは紀元前1世紀に中国で作られた「方格規矩四神鏡」という青銅製の鏡の一部で、
東日本の集落遺跡から出土した中国鏡として、貴重な出土例のようです。

この2センチ四方に割られた鏡には、四神「白虎」の文様の一部が描かれ、
紐を通すための穴が2ヶ所あけられている、いわゆるペンダントなのだそう。

 

 

はるか昔の暮らしや祭祀の光景を想像しながら仰ぎ見る雁峰山は
いっそう神々しく雄々しくみえました。

本当に来てよかった。

あちこちに神さまがいらっしゃるんだろうなぁと思えるような、神聖な空気がちゃんとある処。

山に守られた神社はいいですね。 心の洗濯できました。

(御朱印を頂きたかったのですが、神主さんご不在の神社のようで叶わず。)

 

 

ところで、この石座神社遺跡は当時の東三河における拠点的な集落であり、
同一丘陵上にある断上山10号墳に対応する豪族居館だったようなのです。

そんなこと言われたら、断上山10号墳に行ってみたくなるじゃないの。

 

 

てことで、神社でもお寺でもない、古墳めざして南下しまーす。

 

 

≪追記≫

石座神社の参道、 実はすんごく長いらしい。

 

 

上の写真は茶臼山駅からまっすぐ南、伊那街道(439号線)まで来たところで撮ったもの。

 

 

ここが石座神社への参道の入り口になるみたいなのです。

 

 

地図で見ると・・

 

 

直線距離で、なんと2キロもある。

 

さらに、ググってみるとどうやら古くは門前と呼ばれたこの場所から、
石座神社の北にある雁峰山までの約4キロ域が、当社の神域だったらしい。

4キロってどれぐらいよ?というと、
伊勢神宮なら、外宮(豊受大神宮)と内宮(皇大神宮)を直線で結んだ距離くらい。

おそるべし石座神社・・。

 

 

 

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