水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

たまに御朱印を頂きつつ
デジカメ片手にゆるーり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

新城市 1 竹生神社-2

2015-04-04 | ├ 愛知(ご縁・ ひとり)

 

竹生神社つづき。

 

 

 

 

 

拝殿の右手には、ふたつの境内社がありました。

 

 

二宮神社(右)

八幡神社(左)

 

 

そして、となりには石祠が8つ。

 

 

背の順に並んでいるのが何とも微笑ましいんですが、
合祀によって集まった末社的なものなのかなぁ。

 

あ、左から3番目だけ空気ちがう。

なんかいらっしゃる感がすごいです。

 

 

この石祠たちを見た途端にぐっと胸にこみ上げて来るものがあり、
涙が出てきてしまいました。

神社で泣いたの初めてです。

哀しいとか辛いとかじゃなくて、
あーようやく来れたんだっていう感覚。

懐かしいような嬉しいような、理由は全然わかんないんだけど、たまんない感じ。

 

 

ご先祖さん一族が、遥か遠い昔にこの辺にいたのは分かってるし、
合祀された神社で代々宮司をしてたから、たぶんそれもあるんだろうけれど。

それにしても何で、この名もなき石祠なのか。

 

 

一方、拝殿の左側にはこんな通路が。

 

 

くぐってみると・・

 

 

 

まず見えたのは、護国神社

 

 

そして、隣にはずらっと並んだ境内社の数々。

 

 

 

荒羽々気神社(右)

多賀神社(左)

 

 

みんな小さな注連縄が掛ってますが、風に飛ばされたのか下に一つ落ちていたので
よく見ると、荒羽々気神社には掛ってません。(ひとつ上の写真参考)

なので、畏れ多くも掛けさせていただきました。

 

 

右から3番目はアップでとり忘れてしまったのですが、たぶん別山社

4番目が伊雑神社

 

 

5番目は若宮社

6番目は稲荷社

 

 

7番目、いちばん大きなのが国玉天神社

(こちらも注連縄がなかったのですが、周囲に見当たらず。)

 

 

国玉天神社(久玉大明神)は、
513年、当地切開の折に杉山字阿賀地に大国玉命を奉祀したのが始まり。

1573年の兵火により、杉山字荒井(ちょうど荒井古墳のある場所)に再建されています。

この国玉天神社を、1192年に一族の氏神と定めて以後、代々宮司をしていたのが、
父方傍系のご先祖さんでした。

 

(左の、木がワサワサしたところが竹生神社のあるところで、画像の中央あたりが阿賀地。)

 

 

8番目は素戔嗚社

9番目は鷺田社

 

 

10番目は諏訪神社

合祀が繰り返されたことにより、摂社や末社が増えたんですね。

 

 

 

 

こうして見ると、圧巻です。

 

 

 

境内社側から、拝殿、本殿をのぞむ。

 

 

ずっと来たかった竹生神社。

 

 

私情は別にしても、とても素敵な神社です。

長居したいを通り越して、ここに住んでしまいたいと思うほど。

 

 

からだの中心から、絡まったものがすーっとほぐれていくような、
色んなものがクリアになっていくような感覚が続いてた。

自分にとって、ものすごく相性のいい場所なのだとおもう。

出来ることなら、もっと滞在していたかった。

 

帰りたくない気持ちをおさえ、神域をあとにします。

再び、歩いて新城駅へ。

 

 

ここからバスに乗り、石座神社へ向かいます。

 

 

 

ジャンル:
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