日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

成田方面への旅(1) 龍角寺古墳群

2014-09-06 01:02:32 | 古墳時代
ごぶさたしてしまいました。
ここを更新しない間に、春、夏が過ぎ、秋に入ろうとしています。まだ暑いですが、日差しの角度などが秋らしくなってきました。

ここではちょっと春に戻って、房総・成田方面で見てきたものをご紹介します。

千葉県の成田方面へは、私は江戸時代の義民・佐倉宗吾が好きなので、宗吾霊堂(東勝寺・真言宗)によくごあいさつに行きます。しかし、自宅からだとかなり遠く、行って帰って来るだけで半日がかりになります。
千葉は広いなあ、と、つくづく思います。こちらには国立歴史民俗博物館があるし、ちょっと電車で足をのばしてお出かけ、という時になかなかいい方面です。

他にもいろいろ見どころがあるのですが、日帰りではなかなか回りきれない、成田山新勝寺はいつも素通りで一度も行ったことがない、という状態でしたので、気軽に成田方面に1泊旅行してみることにしました。

千葉県立「房総のむら」は、日帰りではなかなか難しそうだと思っていたので、まずここに行きました。「房総のむら」へは、JR成田線安食駅からバスで8分。

ここは体験博物館と称しているように、勾玉作りや米作りなどさまざまな体験ができます。今回は体験が目的ではなく、この頃古墳が気になるので、ここにある古墳を見に行くこと、それから江戸時代の街並みが再現されているのでそういったものを見に行くことが目的でした。

ここではまず、龍角寺古墳群を紹介します。
「房総のむら」の中の「風土記の丘エリア」に龍角寺古墳群があります。 全部で114基のうち、敷地内には78基が保存されているとのことです。かなりの数です。バスの車窓からもいくつか見えました。

その中でも105号墳にあたる岩屋古墳(国史跡)は、一辺約78m、高さ約12mの全国最大級の規模をもつ方墳とのこと。日本第2位との情報(『古墳に秘められた古代史の謎』大塚初重監修 宝島社 2014)もありますが、1位がよくわかりません。



行ってみると、方墳といっても角ばってはおらず、なだらかな小山という印象でした。お墓ですので上に登らないでくださいという掲示があったので、登りたかったけど登りませんでした。



横穴式石室の入り口を見ることができます。



古墳時代末期のものとみられていますが、副葬品が全く出土していないため詳細な特定は困難とのことです。



古墳の被葬者についてですが、この龍角寺岩屋古墳の他、栃木県壬生町の壬生車塚古墳(径80mの円墳)も、7世紀前半から中葉に作られており、この前方後円墳造営停止後に造られた関東地方の大型方墳や円墳は、いずれも国造制の国を単位に一か所だけで造営されているらしく、このことから、これらの大型方墳や円墳は、新しく国造に任じられ、その地域の支配をゆだねられた首長の墓であろう、と白石太一郎氏は述べています(『考古学と古代史の間』筑摩書房2004)。

105号の岩屋古墳から少し歩いた所に、第101号古墳があり、ここでは、発掘調査に基づき、古墳が造られた当時の様子が復元されています。楯を持つ武人や猪、犬、馬、水鳥などを含め約100体の埴輪が並んでいます。春の陽光の中、埴輪が並ぶ様子は、なかなか楽しいのどかな雰囲気でした。







『風土記の丘資料館』でもさまざまな展示がされていて一見の価値があります。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。