(前略)日記。

その日考えたことを適当に感情に任せて書きなぐる。理論理屈がおかしいのはデフォですので気にしないでください。

ホテル・ルワンダ

2006-01-25 22:32:00 | Weblog
さてさて、土曜日に見てから今日まで書こう書こうと思いつつ手をつけてなかった「ホテル・ルワンダ」(http://www.hotelrwanda.jp/)感想を逝きますか。

ルワンダ虐殺を知らない方は(http://ja.wikipedia.org/wiki/ルワンダ紛争)を見た上でお読み下さい。

あと、大体いいたい事は、同時に見に行った俺の友人が書いちゃってるんでリンクしちゃっておきます。
http://blog.goo.ne.jp/doriheko0205/e/bd9f5fbf0f7d369a127f4d320d38ce26

たった100日で100万人(ルワンダ人50人に一人)が虐殺された、1990年代最悪の「ルワンダ大虐殺」の中、1000人の命を救った高級ホテル支配人の手記をもとに作製された映画。
日本公開が長らく待たれるも、「採算が取れない」と配給する会社が無く、公開を求める署名運動の末にやっと公開決定した作品でして、ジェノサイド物(シンドラーのリストとか、キリング・フィールドとか)スキーな私は、公開前から「今年最初の映画はコレじゃ!」と意気込んでおったわけですよ。たとえ某有名電波がこの映画を絶賛してる事に一抹の不安を覚えようとも!

で、見終わった後の俺。

暗い映画館の片隅で、湧き上がる頭痛と無力感で頭を抱えながら
「ア゛ーア゛ーア゛ーア゛ーア゛ーア゛ーア゛ーア゛ーア゛」
とうめき続ける。
見て後悔ってワケじゃないんですけども、言葉にならない感情というか、ただただ気分が激しく沈んで感動も鬱も超越した所に精神が吹っ飛んじゃったわけですよ。

虐殺そのものが書かれてるわけじゃないですし、主人公が家族を救えた事は一応ハッピーエンドに入るんでしょうけども、「100万分の1000」という誤差にも等しい人数しか救えなかったわけで。
助かった1000人の後ろに居る100万人の被害者やいまだ難民キャンプで飢えと餓死の間を彷徨ってるようなアフリカ人を思うとどーしようもない無力感が襲ってくるんですよ。
今、俺が日本に居て、幸せとはいい難くとも普通に飯を食って2chしながら笑って、煙草吸いながらコーヒーを飲めるような環境にさえ罪悪感を背負ってしまうような。

もう、こっからは見て無い人は置いてけぼりで進めます。

この映画のテーマの一つは間違いなく「見捨てられた大陸、アフリカ」でしょう。
平和軍がルワンダ民兵に襲われて、軍事介入軍が出動します。
主人公ポールは軍事介入軍が虐殺を行なうフツ族を排除するものと喜んでいたら、「ルワンダに居る先進国人」を救出する事だけが目的で、目の前で虐殺進行中なのに一切手出しせずに任務遂行したら帰還してしまうシーンなんて象徴的ですね。
資源も人的資材もろくに無いルワンダに軍事介入するだけ金の無駄ですから。
BHDで有名になった「ソマリア事件」の二の舞を避けたがったという理由もあるんでしょうけども。

ここで、平和維持軍の大佐が
「キミたちは『ニガー』でさえない、アフリカ人だ」
「大国はキミたちアフリカ人を見捨てたんだ!」
と吐き捨てるシーンで、もう、俺はノックアウト。
「この映画を鑑賞してる諸君!所詮キミらもアフリカ人なんてどーでもいい存在なのだろう”!」と問い詰められてるようで。

まぁ、正直な話、この映画を見た後でも、リアルタイムでのアフリカ情勢なんてどーでもいいわけですよ、私にとっては。
というか、ただの一介の学生でしかなく、金も無く、自分一人救えないような無力な男にはアフリカどころじゃないってのが本音で。せいぜい心を痛めて厭世感に浸るのが関の山。
そんな状態がまた嫌で心は深く沈むのです。

しかし、アフリカに介入する事が全てを解決するかといえば、アフリカ総植民地時代の300年の重みはもはや矯正不可能に近いところまで来てるわけですから。それこそアフリカ大陸から人が消えるまで問題解決が行なわれる事がないでしょうねぇ、などと刹那的な考えが一番リアルだなあぁと。
大国が下手に介入したところで、泥沼の民族争いに延々と足をとられて利益も何も無くただ軍事費の無駄遣いになるのも理解できちゃうんです。
(それでも、泣き叫ぶ人民を前に冷静に撤退しちゃうのは感情的に納得しにくいですけども。

等と延々書いたらもう止まりませんが眠いし余りにもまとまりが無いので途中放棄させていただきます。

明日にまた手ごろに書き直すか・・・。
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髭と髪とグレイのサンバ

2005-11-20 01:30:49 | Weblog
私の悩みは毛が濃いことだ。

一説に北国に住んでいると防寒の意味で毛が濃くなると言われるが、餓鬼の頃から「子供は家の子!」とコタツに引きこもって科学学習漫画を読みふけっていた私は間違いなく東京より寒い思いをしていない。
そもそも、真冬でも26度設定で部屋ではTシャツ1枚で過ごすと言われる北海道人はどうなるのだ。
俺の知り合いの北海道人は何故か毛が濃いのが少ない。
そして、変なのが多い。更に言うとオカマが多い。

だいたい、代々北国に住んでいる親父の頭を見ればそんな俗説は嘘だと分かる。親父は現在55歳だが、髪の東部、いや、頭部戦線は1945年春のドイツ軍並に戦略撤退中ではないか。
我が爺様に至っては60にして3月10日夜の東京のように荒野が広がっていた。
しかも、弟は毛が薄く、1週間は髭を剃らなくても目立たない上、肌がつるつるな羨ましい体である。

などと考えながら髭を剃る。
まもなくバイトに行くのだが、バイト先は髭厳禁なのだ。
昨日は休みだったので一日ほったらかしにしていたら、顎の下だけが3月のように髭が芽生えている。
オオイヌノフグリやふきのとう、土筆の芽生えは季節を感じての楽しいのだが、髭の芽生えはうっとおしいことこの上無い。
ジョリジョリジョリジョリと髭剃りを当てて12月の荒野に戻さねば為らぬ。
時間もコストも結構馬鹿にならない上、たまに皮膚を切って心ならずもリストカットをしてしまうではないか。

まったく、髭とは何のためにあるのだろう。
防寒に役立たず、綺麗に伸ばせばファッションにもなろうが社会人生活を営む上では大体嫌われる、ただ剃られるために伸びる不合理の塊ではないか。

髭が成長するためには栄養が必要である。
人様の大事な体を動かすために必要な栄養がなんと何の役にも立たぬ髭に奪われるのだ!
コレを悲劇といわずなんと言おう!ただただ剃られる運命にある毛が人様が思考したり体を作動したり、骨や体を作る為の栄養を奪い取るのだ!
髭が1mm伸びる栄養があるのなら一粒でも多くの筋肉を作れ!

コレは髪も同様だ。否、同罪だ。
一度切ったら一生そのままの髪のままであれば床屋に行く必要もパーマを当てる必要も無いのだ。
何故人は「髪が伸びる」という不合理に苛立たないのだろう。
一ヶ月に4000円も使って髪を整えるなら、その金で4冊の本を買ったほうがヨッポド人生のためではないか。
人間の頭部は髪の土台ではなく、その中身がいかに優れてるかが大事ではないのか!
髪が1cm伸びるのに使われるエネルギーが完全に体格を作るのに使われたらそれこそ人間の平均身長は2mを超えているはずである。
また、髪を伸ばすエネルギー全てを脳内に廻せていたら、今頃人間は銀河系の支配者になっているはずなのである!

遺伝子改良人種はまず真っ先にすることは金髪にすることでも目を蒼くすることでも、身長を伸ばす事でもない。
体毛という体毛を排除するのだ!

グレイを見よ!彼らは体毛という不合理な固まりが一切無いではないか。
彼らの無毛こそが何よりも高度知識体である証明であるのだ!

歴史の進化を見よ。人間は裸の猿と言われるが、何故人は毛を捨てたのか!
選択進化論によれば、不合理は選別され、駆逐することが進化である。

ならば、人は人の手で進化を選択する時、人は体毛を捨てなければならないのだ!これは、宇宙ができた時から定められている運命であるのだ!

さぁ!人類よ!体毛を捨てて新たなるステージへ向かうのだ!
さぁ!遺伝子学者よ!とっとと人の体毛を捨てる作業に移るのだ!

私が独裁者になった暁には、人種差別はしない。
ただ、毛の薄さで選別するのだ!

ウェーハハハハハハハハハ!

自らがユダヤ人であったコンプレックスゆえにユダヤ人を虐殺したヒトラー閣下(※)のように、私は体毛が濃いというコンプレックス故に体毛が濃い奴を虐殺するのだ!

で、私は金にあかせて全身脱毛。その予算、国家予算3年分。ついでに包茎手術。
重税に耐えられず国民大反乱。髪で作った縄で縊り殺されて人類は体毛の自由を手に入れましたとさ。
ギャフン。

(※)ヒトラーがユダヤ人という事実は無い。
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政治系話題はしばしお休み/キチガイ文でお茶を濁す

2005-11-20 01:21:07 | Weblog
っう訳で、当分は無駄な馬鹿話をハイテンションでお送りいたします。
っか、mixiの転載

アラブ人そっくりの友人より、欝のときは「パライソ!パライソ!」と叫ぶが吉と聞いたので早速実行してみる。
しかし、こんな呪文を唱える時、果たして普通の格好でいいのかとはたと悩む。
友人の解説によるとある映画でキチガイ病院で踊りまくる群衆が口々に「パライソ!パライソ!」と叫んでいたそうだ。
それも白襦袢で。
ならば私も白襦袢で着て部屋中を転げまわりながらパライソ!パライソ!と叫んでみようと思ったのだが、当然ながら白襦袢などもって居ない。全裸に白Yシャツならば代用になるかと着てみたのだが、カーテン全開にした窓ガラスに映る息子丸出しな裸ワイシャツ姿な俺は実に卑猥というか吐き気がするほど気持ち悪い。裸Yシャツは女性限定だと気づく。っか、誰かにやらせてぇ。
せめて息子は隠れないかとひざ裏まである黒コートを着込んでみるが、これはますます変質者の姿に近いのではないか。
「お嬢さん、俺の息子をどうおもう!」とコートを一気に広げる俺というちょっと笑えない場面が即座に思い浮かんで廃止。このまま外に出ても違和感が無いのだが、最近パトカー巡回が多い上に寒いので実行できず。
よく露出調教とかしてるサイトあるけど、恥ずかしくないのかと思う前に寒くないのかと思ってしまう俺は何かを間違ってるのだろうか。
そんなわけで白襦袢計画は廃止にして、「パライソ!パライソ!」なる呪文の意味を考えると「パラダイス」の鉛らしい。
パラダイス!といえばユートピア、ユートピアと言えば「びっくるするほどユートピア!」である。
知らない人に解説すると、2chの初期コピペの傑作であり、今だ語り継がれる伝説の文章である。以下転載。

たった今、アパートの天井に向かって「トンボのチンコ!トンボのチンコ!」と怒鳴ってみました。
反応がありません。
しょうがないので全裸になり、自分の尻を両手でバンバン叩きながら白目をむき
「びっくりするほどユートピア!びっくりするほどユートピア!」
とハイトーンで連呼しながらベットを昇り降りしてみました。
これだけやってもまだ反応がありません。
これを10分程続けると妙な脱力感に襲われ、解脱気分に浸れます。
ヤキソバUFOのカップを舐めつつ「メスでよかった!!メスでよかった!!!」と絶叫。
クローゼットの扉の開け閉めを繰り返ししながら「バーバー、バーバー」と
鳩時計のように首を振りながら言い続けた事がよくある。
この行動に特に意味は無いのだが、ただ、今のアタイはそれでいいと思う

何時見ても素晴らしいキチガイぶりに涙が出てくる。
しかし、パライソなる素敵呪文を行うにはこれでもまだ足りない。
「パライソ!パライソ!」と唱えながら全裸で一人SMしながらベットを上り下りしても仕方が無いのだ。
「パライソ!パライソ!」を唱えるためには更に上のキチガイを目指さねば為らぬ。しかし、今の私にはそんなキチガイが出来るほど目覚めてもおらぬ。
残念である。真に残念である。私はキチガイ度でさえ世に出れぬただの人間でしかないのか。
しかし、人間、努力すれば夢はかなうと言うではないか。
普通の人間でも訓練すればキチガイに、それもメタキチガイになれるに違いないのである。

では、まず「びっくりするほどユートピア!」を唱えながらコート一枚でコンビニまで行ってみましょうか。
寒いので靴下だけは履いて行く事をお許しください。
尻の穴にボールペンを詰めるとなお宜しいのでしょうか。
そして、「メスでよかった!オスは虐殺!スターリングラードの大虐殺!チ○コと○ン○はお友達!」と叫びながらカウンターを登り降り。不幸なるバイターに三沢スペシャルことエメラルド・ フロージョンを全裸でかまし、オデン汁で顔を洗ってやっと変態1級でありましょうか。

さて、明日の朝刊3面記事で会いましょう。では。

P・S
昨日の深夜、アニメを見るために待機していたら、某放送局でブレイクダンス番組が放送されていた。しばしぼーっと眠い目で見ていたら、何故かダンスがどうもプードゥー教系の新興宗教音頭に見えてきました。
まぁ、そんなに間違って無い気がします。
あ、アニメは実に面白うございました。

P・S その2
上記の文は一部及び全部もしくはちょっとだけがたぶんフィクションです。
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2ch放浪記

2005-11-14 23:29:55 | Weblog
何時の間にやら麻生大臣まとめサイトが出来たました。
軽く一読しただけで私が麻生大臣ファンを自称してるかが判ると思います(w
特にこの麻生太郎、コミックを語るは必読。

さて、私は2chネラーです。言うまでも無いですが。
常住は「軍事」「ニュース極東」「議員・選挙」「ハングル」です。

その軍事板でかなり感動した台詞があったのでご紹介。

民主党の前原ですが、日本国民を騙せません

382 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/11/13(日) 15:32:38 ID:???
>>379
結局、選挙後自民からいくらもらったの?

394 名前:海の人 ◆STEELmK8LQ [sage] 投稿日:2005/11/13(日) 17:32:18 ID:??? BE:19498526-#
>382
 選挙の後、自民党からはかけがえのないものを頂きました。
 それは「日本の未来」です。

(´・ω・`)・・・。
(´;ω;`)ブワァ

うみんちゅ感動したようみんちゅ
ロリのくせにカッコいいようみんちゅ

感動して本気で涙がでちゃったじゃないの!どうしてくれるのよ!馬鹿!(ツンデレ風味

さて、そんな感動する気持ちをよそに、無防備宣言について。

例によってT-72教団教祖が存分に語ってるので私の言う事は無い。

ただ、この漫画を読んで絶対にこの団体とは分かり合えない事だけは断言できる。

俺が司令官なら、「無防備=防衛組織が無い地帯」は軍備を消耗する事無く占拠できる地点としか捉えないのだが。
たとえ軍事的に重要な地点でなくても安全地帯の拡大は重要であるし、物資集荷地点や侵攻ルートの確保のため、占領できる地点は全部占領するだろう。
無防備都市と防備都市が並んでいたら、まず、無防備都市を占拠し、そこを拠点に他の都市に侵攻するな。

つまり、無防備都市はその都市の安全のみならず、侵攻ルートを楽に確保できるという面で、周囲の都市に対しても害悪であるとしかいえない。

それとも、無防備都市とは「この街は交通が不便で、他の都市とも交流が無く、なんの価値観も無い上にレ○プできるような若い女性も居ません」という過疎地宣言なのだろうか?

あと、何で無防備都市推進ブログはコメント欄やTBが封鎖中だったり、マトモに意見交換をしていない場になってるところばかりなのでしょう?
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冷笑主義難聴者よりの観点/mixi転載

2005-11-13 16:27:27 | Weblog
BLOOD+が果てしなくorzな方向に向かってる件について。
ストーリーに謎が多いのはわかったからもっとアクションを!今のままじゃあっさりしすぎてて燃えも萌えも無いですよ!?

で、深夜3時40分〜4時10分という非常に遅い時間にやってる蟲師のアニメ鑑賞。
よりによって漫画1巻でも鬱トップクラスに入る「枕小路」!
あまりにも凄まじいクリオティで見ながら涙がぽろぽろ零れてきた。
秋の一人さびしい長夜にはあまりにも心に染み入りすぎる作品ですよ!
なんでこんな超良作が誰も見ないような時間なのかしら・・・。

で、最近更新停止してましたが、これはあまりにも膨大になりすぎた各種資料を漁るのに精一杯で書く時間が無かったのとテストが近いためで。なのに、なんでぜんぜん勉強が進まず積んであった本が消化されるんでしょうね!

さて、知ってる人は多いと思いますが、私は難聴者です。
mixiの方で聾文化や障害について語る人が増えたので俺も書いてみる。
分離した意味が無いとか言うな。

以下転載

さて、足跡から見回りに逝くと、やはり難聴者やその関係者が多く、mixiで聾文化や聾教育について熱く語っている人が多い。

ここで、「聾文化は素晴らしいですねぇ」「手話主義教育は子供の自主性を養ういい制度ですねぇ」と棒読みでもしておきゃ荒波も立てず「この人、いい人ねぇ」と友達や彼女が出来る可能性も少々は上がるんだろうけど、冷笑主義で皮肉屋でへそ曲がりな俺はそんな安易な道を選べない非常に損な性格である。

実のところ、自分の障害をどうやって使えば楽に生きられるのかとの道具にしか思っていない。
自分が障害者であることのアドバンテージとデメリットを計りにかけて「難聴」を捕えているに過ぎず、弱者の強みを極大に使えるものなら使いたいのである。

よって、私の基盤は「聾」ではなく、あくまでも「一般社会」にあるといえる。一般社会に基盤を築く上でどのような効果を生み出すかが重要だからだ。だから、自分が聾文化を語るのは難しい。

っか、聾文化のように「自分の障害は個性である!文化である!」と言い切ることは不可能だ。
障害が個性や文化であるならば、さて、国家より頂いている障害者年金や免税、雇用促進法などの優遇は説明できないのだ。
何故我々がこのような優遇が得られるのか?
それは「障害者は一般社会に生きるのが困難であり、サポートを必要とする存在」と国家が定めており、「金や雇用や物品支給」で救済しているのである。

つまり、「障害者は欠損を抱えた存在であり、自立が難しい人々」であるからこそ救済が必要とされる。
さて、ここに「いや、障害は文化や個性ですから」と主張すれば、「では、サポートの必要はないですね」となるんじゃねぇの?と考えてしまうのだ。

これは当然極論であり、「文化だから障害ではない」が成り立つわけでもないのだが、やはり「個性」なるポジティブなイメージが付加される言葉と「障害」というは何処までもネガティブな単語が同列になることに違和感を覚えるのである。

さて、話は変わって、私は「聾者」ではなく、「難聴者」である。聾者の定義はさまざまであるが、ここでは「自分の基盤は聾社会である」と自覚してる人を聾者と考えよう。
では、難聴者は「聾文化を知らない、もしくは賛同出来ない」人々になる。
聾者と難聴者、聴覚障害者の中で絶対数を占めるのはどちらであろう?
当然難聴者であろう。
聾学校に通った時も無く、「ろう文化宣言」を知らない難聴者が大半じゃないだろうか。

私の親族に聴覚障害者は自分含めて4人居るが、そのうち3人が聾社会になんらかかわりが無い。
聾学校に通っていないし、手話も使えない。
既に社会基盤を一般社会に築いており、聾の友人が殆ど居ない状態だ。
さて、彼らに「ろう文化宣言」を教えたところで、何か変わるだろうか?
おそらく、「俺、聾じゃないし」とスルーするだけだろう。
そんな文化宣言よりも「どうやったら講演会等で情報保障されるか?」「上手くコミュニケーションが取れるか」「要約筆記やパソコン通訳を簡単に使える手段は何か」「中途失聴者の崩れ去った生活基盤の修復をどのようにすればいいか」が大事なのである。
つまり、いかに『一般社会になじめるか、置いていかれないようにするか』だ。

私からすれば、ろう文化宣言は「閉鎖社会の構築宣言」にしか見えないのである。
聾者の大半は生まれたときから聾であり、聾として育ってきているため「手話は主言語、文化」である事が普通なんであろうが、私やその身内のような難聴者は一切救済しないのではないのかね?

名著「たった一人のクレオール」は是非呼んでほしいのだが、その中に「難聴者とはすなわち聾でも健常者でもない」との一節が出てくる。難聴者のアイデンティティが非常に危うい存在である事を述べている。
さて、聾者が「ろう文化宣言」で「手話は文化だ」と宣言してしまえば、手話が使えない難聴者は何処に行けばいいのだろう?

で、私にとって手話は「補助言語」にすぎないというスタントだ。
一般社会に生きるうえで必要なのは「日本語能力」だ。
日本手話の能力ではなく、「日本語を読む、書く」能力が絶対に必要とされる。(発音も大事だが絶対必要条件ではない
(筆談やメール、このようなウェブで意見は幾らでも言えるからだが
聴覚障害者の地位を高めようと努めるのなら尚更である。

聴覚障害者全てが山奥や辺鄙な場所に固まりコミュニティを作るならば日本手話だけで困らないだろうが、一般社会で生活する上では困るのだ。
「手話が一般的でない今の社会がおかしい」との意見もどっかで読んだが、健常者には健常者の事情があり、我々障害者に構ってる余裕なんぞ無いのである。

ただ、精神育成において手話は絶対必要である。
コミュニケーションを覚える幼少期は対話が必要とされるが、障害児に口話のオプションしか準備出来ないとコミュニケーション不全になり、精神育成に問題が出る。
んで、その同時並行で確りとした日本語教育を行う。
(この提案は、「たった一人のクレオール」にて掲示されている
(聾教育に興味があるなら必読

OSが日本語、表現アプリとして「手話」「筆談」「口話」が用意されてる状態だねぇ。

んで、私が重視してるのが「一般社会とどのようにコミュニケーションをとるか」なんであるが、同時に「思考基盤としての言語」も重視される。
日本語が思考基盤になってなかったらいくら喋れても書けても「伝えたい事」を考えられないからである。
言語と思考・思想・哲学は不可分であり、極端な話「日本語でコーランは理解できない」と同じように「手話で哲学を考える事は出来ない」のである。
表現用語であるがゆえに、表現を読むのは上手くなるが、さて、書記用語のようなアンニュイ、アナロジー、比喩暗喩多重構造を構築できるだろうか?
実験している言語学者がいたら実験台になってみたいのでご連絡を望む。

だいぶ話が逸れたが、私が重視しているのは「難聴者の救済」であり、ろう文化が云々は些細な事にしか過ぎない。
手話通訳士や要約筆記士をどう確保するか、その財源はどのようにするべきかを難聴者協会幹部のお袋に情報を頂いて討論したり、ネットや専門誌を読んでるくらいではあるが。
(つくばや関東でそれに関して研究してる部会があれば紹介してくれ

聾よりも難聴に関して語っているところが少ないところにやや違和感を覚えたゆえにこんなエントリーをしてみる所詮。

まぁ、手話はそんなに大事じゃねえんだよなぁ、結局。
指疲れるし。複雑な表現できないし。
(思考の糞詰まりを起こしやすいし
(俺の勉強不足かもしれんがね、糞
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