【九里】を探して三千里

【くのり】と読む曽祖父の苗字を調べております。
各地の九里情報・伝承をご存知の方、是非教えて下さい!      

越前の中原氏

2016-10-18 | 中原氏バラバラ情報
越前にも中原氏がいて、どうも江州中原氏と関係がありそうなので、ご紹介しておきたい。

越前・若狭国(気比)

1181、(養和1)木曽義仲軍が敦賀を占拠。

1214、(建保2)中原政康

「…建保2年、守護から御家人役である内裏大番役を催促され、自分は神事を営む身で『兵つわもの』の氏ではなく、その器量ではないとして、これを拒否している。

神人が官位をもつ侍身分の人だったことはすでに明らかにされているが、廻船人あるいは海商であったとみられる政康が、このように御家人と比肩しうる人物だった事実は政康が自ら憚るところなく、むしろ誇りをもって、『気比大菩薩神奴』といっていることに注意しなくてはならない。
神の『奴』と名乗ることは、平民と異なる聖別された存在であることの強調であり、実態としても、神人は特権――政康の場合はおそらく海上交通を妨げなく行いうる特権を保証された、侍身分の人だったのである。

そしてこの中原政康のような気比社の神人は、本社の所在する敦賀郡、それに丹生郡の浦々をはじめ、能登、越中の名古浦(放生津付近)越後の曾平、佐渡などの諸国に分布しており、能登・佐渡の神人は丸蚫、和布等を、越中・越後の神人は鮭を気比の神に進めていた。

気比神人が廻船人・海商として活動していたことは、はるか後年のことではあるが、気比社に毎年の神事料を納め、気比神人の後身とみられる敦賀の道川どうのかわ氏が川舟座の中心として、日本海を舞台とする広域的な海上交通、交易に従事している事実からも、十分に推測することができる。

そしてこの時期の気比神人の動きは、それ自体、山門・日吉社の影響下にあったのである。」(網野善彦、『海と列島文化』第1巻)

東京大学史料編纂所DB

建保2年4月25日(12140040250)
【文書名】 中原政康解
【底本名】 鎌倉遺文(11330000)
【底本種別】 刊本
【架番号】 1070-128
【編】
【冊(巻)】 44
【頁(丁)】 7
【篇目】 補遺第2巻
【文書番号】 50630
【分類】 醍醐寺蔵「諸尊道場観集」裏文書


また、『福井県史』のwebページにも詳しい。

http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-02-03-05.htm

この中原氏は、日吉神社や延暦寺との関係もあり、愛智郡の中原氏と同じ立場なのではないだろうか。
そして、今までよくわからなかった近江国余呉の中原氏が、気比の方にも活動拠点を広げていたのではないだろうか?


他のweb情報では、
「日本歴史地名大系」その他によれば、『敦賀に根拠をもつ中原政康なる神人が琵琶湖から日本海にかけての湖上・海上交通に従事し、金融・交通・年貢請負などを営んでいた』(滋賀県の地名 32頁)「13世紀」の人物のことも知られ、…

ともあり、湖北にいた九里の先祖の系【中原経任】の方の活動拠点であったのかもしれない。







ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 中原氏と川上氏(かわのぼり... | トップ | 古代からのつながり(10) ... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。