【九里】を探して三千里

【くのり】と読む曽祖父の苗字を調べております。
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我が九里家に来た文書 「別紙」の謎 再び。

2017-06-29 | 九里バラバラ情報

別系の九里さんからの手紙(柏原藩の九里に来た手紙)



今まで、ずっと謎だったこの文書。またまた登場。


「別紙」
   別紙
一、家系等焼失仕候哉、旧記等無御座候、
一、旧主何様ニ御座候哉、承伝不申候、
一、当家え相勤候儀、寛永年中より
  と承伝申候、尤其頃当旦那居城
  下野国壬生城ニ御座候、猶承糺可
  申上候、
一、先祖九里孫兵衛と申候、私代迄
  六代ニ相成候


当時相用候
紋所


右之外替紋源氏車相用申候、
其外ニ相用候紋所只今迄無御座候、
右之通者先例取合荒増申上候、
其外之儀猶手筋も有之候ハヽ
承候上可申上候
一、牧野備前守様御家中ニ九里孫左衛門と
  申仁有之候由、并太田丈之助様えも
  九里性御座候由承及候得共本
  文申上候通、末及糺不申候、此段も
  乍序申上候、以上
    九月廿一日

「別紙」
   別紙
一、家系図などは焼失したのか、古い記録は全くない。
一、古くは誰に仕えていたのか伝わっていない。
一、当家へは寛永年中より仕えてきたという。しかし当時旦那
は壬生城(現栃木県)が居城だったので、しっかり調べた上で
申し上げる。
一、先祖は九里孫兵衛と申し、私の代で六代目になる。
当時使用していた家紋(橘紋図略)
右のほか源氏車紋も使用し、それ以外の紋は使用していない。
右の通り先例を調べ、あらまし申し上げました。
そのほかは、伝手があれば伺ったうえで申し上げます。
一、牧野備前守家中に九里孫左衛門という人物がいるとのこと。
また太田丈之助家中にも九里姓がいると聞いているが、本文に記
したように紙数の都合で調べてはいない。これもついでに申し
上げておく。以上
  九月二十一日

~~~*~~~

ひとつの可能性だが、

この旦那は三浦家である。(と仮定)
2万5000石 譜代
三浦正次
三浦安次
三浦明敬

壬生藩の後に三浦氏は美作勝山藩に移封となり、その美作勝山藩にも「九里平馬」がいる。
但し、残念ながら…孫兵衛ではない。

後半に出てくる【太田丈之助】ご先祖は忍者であった可能性が出てきた。しかも上杉の家臣である。
九里も上杉の家臣がいた。

下記のwebページに詳しい。
https://www.blwisdom.com/strategy/series/rekishi4/item/10420-15.html


【九里孫兵衛殿、どちらにいらっしゃいますか~?】
1624年~1644年の間に 壬生城にいらした九里孫兵衛である。

六代目ということは、一代25年と仮定して寛永時代より150年前にいた九里孫兵衛さんが祖である。
1474年~1494年に近江にいらしたかもしれない九里さんである。
近江とは限らないが、孫兵衛さん。

どなたか情報をお持ちでしたら、教えてくださいませ!






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