【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

九里【まとめ】になるのかどうか。。。(1)

2017-07-17 | 九里【まとめ】
頭の中を分けてみた(memo)

上の二つは想像で、あとはweb情報・文書にあった事。
・九里太郎経久=蓮忍入道は、藤原季仲の曾孫であり、中原氏である。
・藤原実明の義父は【橘基仲帥】である。
・九里経久の父(経任)は、橘に改姓している。
・藤原季仲の姉か妹が源有賢の母である。
・有賢の息に「佐々木秀義」、その秀義の六男に「佐々木吉田巌秀」がいる。

・中原成行の孫「中原季仲」と「吉田六郎巌秀」は同年代であり、しかも同じ場所(豊郷吉田庄)に関係する。
・豊郷吉田近くの日吉下荘の相続人は【『愛智郡日吉下庄新宮氏知大夫経頼依実子男中原朝臣仲太夫季仲取聟日吉下庄相続之』(諸家系図纂)】とあるように、中原季仲であった可能性が高い。
・その季仲の土地の地頭が吉田六郎巌秀であった。彼は「延暦寺法橋」であったので、日吉神社とも関係があると思われる。吉田城城主でもある。
・鈴木重家と義理の兄弟となっていた亀井六郎重清。

・藤原季仲の妻に「賀茂成助女」がいる。
・賀茂成繼以前は、祝部氏であったと賀茂氏の系図にあり、その祝部氏は日吉神社の禰宜であった可能性が高い。其の後、この系は賀茂氏になっている。
・系図の中の「賀茂重忠」に「ササキノノ神主トイフ」とある。(二番目は小さな「ノ」)
・「源有賢」の孫は「佐々木野」にも繋がる。
・賀茂氏久の系は近江国舩木庄と関係があり、九里氏もまた後年舩木庄の代官となっている(忠富王記)が、九里も賀茂氏であった可能性があるのではないか?
・さらに九里員定も賀茂氏では?【貞治六年(1367)丹後守 賀茂員定(後愚昧記) → 応永三十四年(1427年)源員定=九里員定(今堀日吉神社文書 )】

・源頼朝の祖父(藤原季範の父)は藤原季兼(1044-1101年) 平安時代後期の神職である。
寛徳元年生まれ。藤原実範(さねのり)の子。三河(愛知県)にすんで三河四郎大夫と称し,尾張(おわり)の目代(もくだい)となった。
熱田大宮司尾張員職(かずもと)の娘とのあいだに季範をもうけた。康和3年10月7日死去。58歳。本姓は藤原。本名は季風。」(コトバンク)
・藤原季範「 1090-1155 平安時代後期の神職。
寛治(かんじ)4年生まれ。熱田大宮司季兼(すえかね)の長男。娘は源頼朝の母。外祖父尾張員職(おわり-かずもと)から尾張(愛知県)熱田神宮の大宮司職をゆずられ,以後子孫が大宮司職を世襲した。久寿2年12月2日死去。66歳。本姓は藤原。通称は額田冠者(ぬかたのかじゃ)。 平安後期の熱田大宮司。藤原南家貞嗣(さだつぐ)の子孫といわれる。父は尾張(おわり)国目代(もくだい)藤原季兼(すえかね)、母は熱田大宮司尾張員職(かずもと)の女(むすめ)。幼少のころ三河国額田(ぬかだ)に住していたため、額田冠者(かじゃ)と号した。成人後、尾張国目代となった機会に、外祖父員職から熱田大宮司職の譲与を受け、藤原氏による初代大宮司となった。しかも、季範の子範忠(のりただ)、範雅(のりまさ)もともに大宮司職についたため、以後、大宮司職は尾張氏を離れ、藤原氏の世襲するところとなった。なお季範の一女子は、源家の棟梁(とうりょう)源義朝(よしとも)に嫁して頼朝(よりとも)を生んだ。季範はのち従(じゅ)四位に叙せられ、久寿(きゅうじゅ)2年12月2日、66歳で没した。」(コトバンク)



以下は全くの想像。

・九里太郎経久=蓮忍入道は、藤原季仲の曾孫であり、中原氏である。
・藤原実明の義父は【橘基仲帥】である。

・重清は亀井庄で生まれ、鳥居禅尼の下で育ち、義経に仕え、その後出雲国能義郡吉田庄、そして近江国豊郷吉田庄に移り、延暦寺法橋になったのではないだろうか?
・亀井は比企にある「亀井庄」のことではないだろうか?
・比企掃部允は頼朝の伊豆配流に伴い、武蔵国比企郡の郡司職となって妻と共に都から領地に下向した。波多野氏の系図で実名を「遠宗」とするものもある。『吾妻鏡』
・河越尼…比企尼次女。河越重頼室。頼家乳母。娘が源義経に嫁ぐ。
・亀井六郎の名は重清であり、佐々木五郎義清と同じ母親とも思える。(渋谷重国女)

しかし、寒河尼説であるかもしれない。
・亀井という土地名に関しては、他に「伊豆の出身で、津賀田神社の祠官である亀井六郎重清が居住した。竜泉寺は行基が開いたといわれ、ここで源頼朝が生まれたという説もある。お寺の前に「亀井の井」があるが、これは源頼朝が生まれた際、産湯の水につかった井戸とされる。そして、源頼朝をとりあげた乳母が亀井六郎の母といわれている。
「亀井の井」の伝承もある。
・巌秀の母は誰なのかがわかっていないが、頼朝の乳母をしていた人物であるらしい。
・八田宗綱は中原宗綱ともいい、娘が寒河尼であり、伊豆にいたこともあるのではないか。彼女が愛知県の亀井で頼朝を産湯につけた人物か?
・寒河尼は近衛天皇についていたこともある。(有賢や秀義も近衛天皇側であったのだろうか?)
・日吉下庄と言えば、賀茂氏が関係していた可能性が高く、しかも延暦寺との関係もあるのでは。
・新宮氏とは、秀義の義姉か義妹の鳥居禅尼(為義の娘)と関係があるのではないだろうか? それとも愛知神社の新しい社の主という意味での新宮氏であろうか?

・古代の水祭祀の時代から、賀茂氏と中原氏とのつながりがあるのではないだろうか。

以下は、史実と想像とMIX.

・藤原季仲の常陸時代、藤原宗円とのつながりができていた。宗円の息八田宗綱33歳まで季仲は生きていた。
・藤原宗円―長男八田宗綱・二男中原宗房…ということは、中原宗房 は、平安時代後期の人物。豊前宇都宮氏の祖とされる。待賢門院庁の主典代・年預を務めた。
・宇都宮信房 系図類では中原宗房と宇都宮信房は親子とされているが、信房が資料等に登場するまでに約50年ほどの年代差があるため『吾妻鏡』では孫子としている。
・宗房には坂戸源氏源季範の養子となった源季長源季範の子である源季国に嫁いだ女子、下野宇都宮氏の宇都宮朝綱とほぼ同世代で宇都宮信房の父である名前不詳の男子といった三人の子がいた、。

・年代的には「佐々木源三秀義」(1112年生)と「宇都宮朝綱」(1122年)で、秀義が10歳年上である。
・宇都宮朝綱からの系で塩谷氏が出ている。 朝綱―業綱―塩谷朝業(宇都宮頼綱の弟)。
・江戸時代になるが「塩谷宕陰(しおのやとういん)」儒学者が「九里香園」という号を持っている。(苗字の九里とは関係がないかもしれないが…)

・鎌倉時代の文書で地頭という言葉が初めて使われた現存の文書に「沙弥蓮忍」とある【河守荘地頭沙弥蓮忍山林寄進状】(今現在見ることの出来得る文書の中で…という意味)
「大江町観音寺」「室谷観音寺文書」の「地頭沙弥連忍」のことである。
・平朝澄譲状案の中の「深江入道蓮忍」…「北方地頭肥前左衛門太郎経久」但馬 出石 菅庄(弘安8年 1285年)と同一人物か?
・富城中太入道<法名蓮忍>下総中山法華寺所蔵日蓮筆双紙

新たな疑問
・熱田神宮と大縣社宮司職であった良峯氏の関係から佐々氏とのつながりができたか?
・石清水八幡宮と中原氏の関係が密である。これはなぜか?



ジャンル:
ウェブログ
コメント (3)   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 【佐々木】となった「秀義」... | トップ | 我が家のお花たち »
最近の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
点と線 (自閑)
2017-07-19 21:24:14
kunori様
北海道は暑かったですね。沖縄より暑いとか、最高気温日本一とか。生活のリズムが狂って来ますよね。梅雨全線が北海道に掛かった時に地球温暖化を感じました。ただ、最低気温は流石に涼しく、気温が下がるのは、羨ましい限りです。京都は水田が消えてヒートアイランド現象で夜も寝苦しいです。
体調管理には十分お気をつけ下さい。
我が祖母の口癖に、「冬の風邪は馬鹿でも引くが、夏の風邪は馬鹿しか引かない」と言っており、「理由は?」と聞くと、「夏の暑くなって、酒を飲み過ぎて酔っ払って、暑いと言って裸で寝てれば風邪を引く。これは馬鹿な行為だ」と。祖母の遺言を守らず夏風邪ばかり引く孫です。(笑)
点と線 本題 (自閑)
2017-07-19 21:52:28
九里家の家系は、膨大な収集した情報に整理出来なくなっていらっしゃるのでは?と推察しております。
そこで、色つきのリーフノートを買い、家系図を実戦と点線の推察、簡単なコメントと貴blogのタイトルを書いた物を作っては如何でしょうか?
色は、時代だったり、地域だったり、家系ごとだったり、自分の頭に整理しやすい様にしては?と思います。
goo blogの利点はblog内検索が出来る事です。
私も検索していて、過去にこんな記事を書いていたのか!と自身の記載に発見する事が有ります。文献の概要などメモ帳形blog利用していますから。
想定させる経費は1500円。労力はとても大変。いっそ貴blog印刷張り付けでも良いかも。印刷のインク代は掛かりますから。
この一枚一枚の中に九里家の御先祖様がいますから、御先祖様もお喜びかと。
夏の風邪 (kunorikunori)
2017-07-19 22:25:20
自閑様

夏の風邪…そうだったのですね。我が家は大丈夫でしたが、今日あった方が夏風邪2週間目でした。(笑)

情報のまとめ方、ありがとうございます。どうしてわかっちゃったのでしょう。(笑)
それに、やはりこの記事の先には「破綻」がありそうです。どこかがうまくいかない。ということは、間違っている説なのでは…ということで考え直しております。真実を見つけた時には、どこもかしこもうまくいくはずなのですよね。。。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

九里【まとめ】」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。