
羽生の町場の中には“マンダラ堀”(曼陀羅堀)と呼ばれる排水溝が流れていて、
ここを辿って歩くと町の1部を1週できるようになっている。
また、南を流れる宮田用水(南小学校裏)や、
北の城沼沼落とし(北小学校前)も組み入れて歩くと、
町内をぐるっと囲んでいることに気付く。
この堀が、実は羽生城の惣堀らしいと知ったのは、
郷土史に興味を持ち始めてからだ。
マンダラ堀はコンクリートで整備され、
堀の上を蓋が覆っているから、
そこに排水溝があることを知らない人は少なくないと思う。
しかも塀と塀に挟まれた路地にもなっている。
車しか乗らない人には、
そういう道があることすら気付かないかもしれない。
そんな路地の下を流れる堀が、
羽生城の堀と比定されると知ったときには目からウロコだったのを覚えている。
ちなみに、町を惣堀で囲むようになったのは江戸時代からだろう。
中世にはこのマンダラ堀がどこまで存在していたのかは疑問である。
ゆえに、「城」が町を含み、マンダラ堀で囲んだのは、
羽生城主大久保忠隣の時代と考えるのが妥当だ。
そのマンダラ堀、整備される前は広いところで幅5、6メートルあったらしい。
深い場所もあって、そこに入って抜け出せなくなった人もいたのだとか。
春には菜の花に彩られ、その上を無数のモンシロチョウが飛んでいたという。
そんな情緒あふれ、ときには深い谷のように見えたマンダラ堀は、
町場に住む人には当たり前の光景だった。
ところが、この堀にも時代の波が押し寄せる。
昭和5年から7年にかけて、日本は経済不況に陥ってしまう。
失業者が相継ぎ、無論それは羽生にも無関係ではなかった。
そこで、現代の緊急雇用事業のごとく、
救済事業が立ち上がる。
それがマンダラ堀の改修だった。
谷のごとく通っていた堀を、
コンクリートで整備しようというもの。
古老の話では、この工事でトロッコが使われ、
多くの人たちが働いていたという。
当時の町長は“伊藤恒”。
小説『田舎教師』(田山花袋著)で、
主人公小林秀三を最後に看取る医師の子孫である。
かくして、マンダラ堀は新しく生まれ変わる。
現在の形になるまではまだ幾度かの改修を経なければならないが、
時代のメスが入ったことは間違いない。
この堀が羽生城の惣堀だとすれば、
遺構の消滅と言ってもいい。
整備前のマンダラ堀の姿を見てみたいと思う。
郷土史を始めて間もない頃は、その思いが強かった。
いまでもそれは根強く残っている。
自転車でそこを通るたび、往古に思いを馳せてしまう。
しかし、見慣れた風景をわざわざ撮ろうと思う人がいなかったのか、
それとも単に出てこないだけなのか、
マンダラ堀の古写真を見たことはまだ1度もない。

マンダラ堀(埼玉県羽生市)
最初の写真も以下も全てマンダラ堀。



ここを辿って歩くと町の1部を1週できるようになっている。
また、南を流れる宮田用水(南小学校裏)や、
北の城沼沼落とし(北小学校前)も組み入れて歩くと、
町内をぐるっと囲んでいることに気付く。
この堀が、実は羽生城の惣堀らしいと知ったのは、
郷土史に興味を持ち始めてからだ。
マンダラ堀はコンクリートで整備され、
堀の上を蓋が覆っているから、
そこに排水溝があることを知らない人は少なくないと思う。
しかも塀と塀に挟まれた路地にもなっている。
車しか乗らない人には、
そういう道があることすら気付かないかもしれない。
そんな路地の下を流れる堀が、
羽生城の堀と比定されると知ったときには目からウロコだったのを覚えている。
ちなみに、町を惣堀で囲むようになったのは江戸時代からだろう。
中世にはこのマンダラ堀がどこまで存在していたのかは疑問である。
ゆえに、「城」が町を含み、マンダラ堀で囲んだのは、
羽生城主大久保忠隣の時代と考えるのが妥当だ。
そのマンダラ堀、整備される前は広いところで幅5、6メートルあったらしい。
深い場所もあって、そこに入って抜け出せなくなった人もいたのだとか。
春には菜の花に彩られ、その上を無数のモンシロチョウが飛んでいたという。
そんな情緒あふれ、ときには深い谷のように見えたマンダラ堀は、
町場に住む人には当たり前の光景だった。
ところが、この堀にも時代の波が押し寄せる。
昭和5年から7年にかけて、日本は経済不況に陥ってしまう。
失業者が相継ぎ、無論それは羽生にも無関係ではなかった。
そこで、現代の緊急雇用事業のごとく、
救済事業が立ち上がる。
それがマンダラ堀の改修だった。
谷のごとく通っていた堀を、
コンクリートで整備しようというもの。
古老の話では、この工事でトロッコが使われ、
多くの人たちが働いていたという。
当時の町長は“伊藤恒”。
小説『田舎教師』(田山花袋著)で、
主人公小林秀三を最後に看取る医師の子孫である。
かくして、マンダラ堀は新しく生まれ変わる。
現在の形になるまではまだ幾度かの改修を経なければならないが、
時代のメスが入ったことは間違いない。
この堀が羽生城の惣堀だとすれば、
遺構の消滅と言ってもいい。
整備前のマンダラ堀の姿を見てみたいと思う。
郷土史を始めて間もない頃は、その思いが強かった。
いまでもそれは根強く残っている。
自転車でそこを通るたび、往古に思いを馳せてしまう。
しかし、見慣れた風景をわざわざ撮ろうと思う人がいなかったのか、
それとも単に出てこないだけなのか、
マンダラ堀の古写真を見たことはまだ1度もない。

マンダラ堀(埼玉県羽生市)
最初の写真も以下も全てマンダラ堀。













何度、通ったことか。
近くには根岸家や栗原医院、などがありまして、よく、その傍を歩いたものです。
両家とも今は無いですね。春山被服や、芋を焼いていた店もあり、学校帰りに良く食べた。
本の方は出まして、少しクニさんのことにふれていますが、本は手元に無くて、送ることも出来ず、申し訳なく思っています。
いまでも意図的に曼陀羅堀の上を自転車で走って、
あの音を楽しんでいます。
町っ子には身近な堀なのではないでしょうか。
昔は個人商店がたくさんあったようですね。
町っ子ではないぼくは、堀というよりあの路地が好きでした。
初めて知ったのはおそらく中学生くらいで、
某お寺の裏の路地裏を肝試しに使ったものです。
本の反響はいかがでしょう。
表紙もだいぶかっこいいですね。
今年も早くも2月に入りましたが、弛まない創作活動を……
クニさんとは違い。^0^
当時は被服産業の最盛期で、被服屋が仰山。
キンカ堂から市役所通りもにぎやかで。
本の方は、多少は売れているようです。関西の方は伸びているとの事。
まったく他とは違った手法の龍馬暗殺の黒幕
関連本(学術書的ですから、笑い)なので、多少の反響はあるようですが、今後、ですね。
著名な小説家などと真っ向勝負の本ですから。内容は。
読売の土曜日には宣伝、小さいと思いますが
、また、出るそうです。見てください。^0^
よく耳にします。
芸者さんもいたし、接待用の店もあったりで・・・
町っ子と村っ子の違いなんかもあったかもしれませんね。
本は好評ですか。
読売新聞も楽しみですね。
有名な歴史的人物だけに関心も高い反面、
目の肥えた読者もたくさんいると思います。
真っ向勝負、いいじゃないですか。
維新の風も吹いてきそうです。