クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

幼な子を“小田熊太郎”の生家跡に連れて行くと?

2016年10月18日 | ふるさと人物部屋
“小田熊太郎”の生家跡は会社になっている。
熊太郎の本姓は福島氏で、
彼の師“桃井可堂”が赤城山に討幕の兵を挙げたとき、
熊太郎は遠祖の小田姓に変えて参加したという。

しかし、この挙兵計画は失敗する。
桃井可堂は捕えられ、熊太郎は逃亡した。
とはいえ、そのまま歴史に消えたわけではなく、
のちに水戸藩に入藩。
藤田小四郎らと共に筑波山で挙兵した。

遊撃隊長となった熊太郎は、各地で転戦。
しかし、宍戸八幡台において捕えられてしまう。
水戸郊外の吉田原で斬首。
その志は露と消えた。
享年22歳だった。

熊太郎の生家跡は埼玉県加須市常泉にある。
かつては広大な屋敷だったが、
先に触れたように会社となっている。

面影はない。
門や文化財説明版が生家跡を伝えている。
会社の周囲には小さな堀があるが、
これはかつて屋敷を囲っていたものだろう。

生家跡の前には社殿がある。
これは“小田霊社”と呼ばれ、熊太郎を祀ったもの。
熊太郎は死後に靖国神社に合祀され、
大正元年には正五位が贈られた。

夏、幼い息子を小田熊太郎の生家跡へ連れて行く。
お盆が過ぎたばかりだったからだろうか。
息子は門前の前に立つと手を合わせた。
どでかい仏壇と間違えたのだろうか。
それとも、熊太郎の霊が見えたのかもしれない。


小田熊太郎生家跡(埼玉県加須市常泉)


構え堀の名残か


小田霊社
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