いまから約140年前の元治元年(1864)7月19日、
“蛤御門の変”が起こりました(禁門の変とも言う)。
これは前年8月18日、京都を追われた長州藩が形勢挽回をはかって出兵したもので、
福原越後、国司信濃、益田右衛門介の3家老が1600の兵を率いて、
入京したのです。
これに対し、京都守護職「松平容保」(まつだいらかたもり)をはじめ、
会津藩、薩摩藩、桑名藩の兵が防衛。
7月19日早暁から、蛤門・中立売門の付近で激戦が繰り広げられました。
『万有百科大事典 日本歴史』によると、そのあまりに激しい砲声に、
祐宮(さちのみや)こと明治天皇は失神してしまったということです。
また、この戦いによって京都は3日間燃え続けました。
「どんどん焼け」と呼ばれるこの大火は、2万7500戸を焼失させ、
戦火のすさまじさを物語っています。
この戦いは、長州藩の敗北に終わりました。
久坂玄瑞(くさかげんずい)は自殺、
真木和泉らは山崎の天王山まで撤退すると、切腹して果てました。
これにより、幕府は長州藩を朝敵とみなす名目を得ると、
長州征伐へと傾いていくのです。
さて、この蛤御門と同じ7月19日に生まれた人物は、
次の名前が挙げられます。
ドガ(画家)、三波春夫(歌手)、近藤真彦(レーサー)、
水野晴郎(映画評論家)、安岡力也(俳優)、杉本彩(タレント)。
『誕生日事典』によると、この日生まれの人は、
“立ち居ふるまいの美しい人”とのことです。
参照文献
『万有百科大事典 日本歴史』小学館
ゲイリー・ゴールドシュナイダー ユースト・エルファーズ著/
『誕生日事典』角川書店
“蛤御門の変”が起こりました(禁門の変とも言う)。
これは前年8月18日、京都を追われた長州藩が形勢挽回をはかって出兵したもので、
福原越後、国司信濃、益田右衛門介の3家老が1600の兵を率いて、
入京したのです。
これに対し、京都守護職「松平容保」(まつだいらかたもり)をはじめ、
会津藩、薩摩藩、桑名藩の兵が防衛。
7月19日早暁から、蛤門・中立売門の付近で激戦が繰り広げられました。
『万有百科大事典 日本歴史』によると、そのあまりに激しい砲声に、
祐宮(さちのみや)こと明治天皇は失神してしまったということです。
また、この戦いによって京都は3日間燃え続けました。
「どんどん焼け」と呼ばれるこの大火は、2万7500戸を焼失させ、
戦火のすさまじさを物語っています。
この戦いは、長州藩の敗北に終わりました。
久坂玄瑞(くさかげんずい)は自殺、
真木和泉らは山崎の天王山まで撤退すると、切腹して果てました。
これにより、幕府は長州藩を朝敵とみなす名目を得ると、
長州征伐へと傾いていくのです。
さて、この蛤御門と同じ7月19日に生まれた人物は、
次の名前が挙げられます。
ドガ(画家)、三波春夫(歌手)、近藤真彦(レーサー)、
水野晴郎(映画評論家)、安岡力也(俳優)、杉本彩(タレント)。
『誕生日事典』によると、この日生まれの人は、
“立ち居ふるまいの美しい人”とのことです。
参照文献
『万有百科大事典 日本歴史』小学館
ゲイリー・ゴールドシュナイダー ユースト・エルファーズ著/
『誕生日事典』角川書店









