クニの部屋 −北武蔵の風土記−

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

「天地人」、信長のいない織田軍と上杉謙信の戦い ―手取川の戦い―

2009年02月23日 | 戦国時代の部屋
大河ドラマ「天地人」(NHK)で、
さらっと描かれた“手取川の戦い”。
天正5年(1577)9月23日、
上杉と織田が初めて干戈を交えた戦いである。

ただ、このとき信長は出陣しておらず、
羽柴秀吉も柴田勝家との衝突で、
陣を引き上げてしまっていた。
いわば、柴田勝家vs上杉謙信と言えよう。

勝敗は謙信の圧勝。
夜襲をかけた謙信が織田勢「千余人」を討ち取り、
逃走した兵たちも、折からの大雨で増水した手取川に飲み込まれ、
多くの溺死者が出たという。
ドラマでは、雨によって鉄砲が何の役に立たなかったと、
初音の口から語られていた。

この戦いに、信長本人が参陣したと思っていた謙信は、
案外拍子抜けしたのだろう。
織田軍は弱く、これなら上洛もたやすいだろうと述べるのである。

織田信長も、軍神上杉謙信の前では歯も立たないのか?
そんな印象を与えさせる戦いとあって、

 上杉に逢ふては織田も名取川(手取川)
はねる謙信逃げるとぶ長(信長)

という狂歌が、後世の人によって詠まれている。

ところが、この手取川の戦いについて記した史料は意外にも少ない。
『信長公記』にも記述されておらず、
記念すべき織田と上杉の直接対決でありながら、
史実が見えにくい合戦である。

ところで、謙信が能登・越中に軍勢を進めていた頃、
関東からしきりに出陣の要請が届いていた。
手取川の戦いの数ヶ月前も、
小田、里見、佐竹氏らは「越山」を求めていたが、
謙信は関東に出陣することはなかった。

七尾城の攻略、
織田軍との戦いに忙殺されていた謙信は、
関東に向かう余裕はなかったのだろう。
この隙を狙って小田原の北条氏は動きを活発化させる。

手取川の戦いの2ヶ月後、
安房の里見氏と和睦を結び、
着々と領土を拡大していた。
このままでは、北条の動きがさらに活発化することは目に見えている。
あるいは、上洛をするのに後顧の憂いは取り除いておきたい。
明けて天正6年1月19日、
謙信は関東出陣の陣触れを出すのである。

出陣は3月15日と布告。
手取川の戦いの勝利に乗ずるように、
上杉勢の反撃が始まろうとしていたそのとき、
謙信は厠で倒れる。
出陣を目前にした3月9日のことであった。

越後には、にわかに暗雲が立ちこめる。
謙信の死を契機に、
御館の乱が始まろうとしている。
ジャンル:
ドラマ
キーワード
手取川の戦い 大河ドラマ
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