
「城跡」と言っても、
プライベートと仕事とでは印象が異なる。
見る風景は何も変わらずとも、どこかが違う。
仕事で足を運んだ鉢形城歴史館は、
どことなく空気がぴりっとしていた。
ツレと来たときは、そんな空気など微塵もない。
郷土研究会で見学したときも、ほのぼのしていたのを覚えている。
明治の文豪“田山花袋”もここ鉢形城を訪れている。
「鉢形の古城址は、関東の歴史を読むものの必ず行って見なければならない
処であった」と、『秩父の山裾』に記している。
そして花袋は古城址で詩を読む。
襟帯山河好雄視関八州
古城跡空在一水尚東流
「襟帯山河好く、雄視す関八州。古城の跡空しく在り、一水なお東流す」
と読んだ花袋の詩が、現在鉢形古城址に碑となって建っている。
揮毫したのは“武者小路実篤”。
本曲輪跡に建ち、眼下には荒川が流れている。
花袋も古城址から悠々と流れる荒川を眺めたのだろう。
花袋が鉢形古城を訪れたとき、
「壘壁」や「濠」、「石垣や小さな丘」が残っていた。
おそらく郷里の館林城と比較したに違いない。
館林城は平城だが、鉢形城は山城である。
印象は異なる。
花袋の目に鉢形城はどう映っただろうか。
現在、鉢形城址は国指定史跡。
“井伏鱒二”も、研究ノートのような小説『武州鉢形城』を書いている。
文豪たちに親しまれた鉢形城址は公園となり、
現存する堀や土塁、復元された四脚門などが往時を偲ばせてくれる。

眼下を流れる荒川

鉢形城本丸跡(埼玉県寄居町)

本曲輪

四脚門(復元)

虎口

諏訪神社

池

石積土塁(復元)

深沢川



城山稲荷社

井戸

プライベートと仕事とでは印象が異なる。
見る風景は何も変わらずとも、どこかが違う。
仕事で足を運んだ鉢形城歴史館は、
どことなく空気がぴりっとしていた。
ツレと来たときは、そんな空気など微塵もない。
郷土研究会で見学したときも、ほのぼのしていたのを覚えている。
明治の文豪“田山花袋”もここ鉢形城を訪れている。
「鉢形の古城址は、関東の歴史を読むものの必ず行って見なければならない
処であった」と、『秩父の山裾』に記している。
そして花袋は古城址で詩を読む。
襟帯山河好雄視関八州
古城跡空在一水尚東流
「襟帯山河好く、雄視す関八州。古城の跡空しく在り、一水なお東流す」
と読んだ花袋の詩が、現在鉢形古城址に碑となって建っている。
揮毫したのは“武者小路実篤”。
本曲輪跡に建ち、眼下には荒川が流れている。
花袋も古城址から悠々と流れる荒川を眺めたのだろう。
花袋が鉢形古城を訪れたとき、
「壘壁」や「濠」、「石垣や小さな丘」が残っていた。
おそらく郷里の館林城と比較したに違いない。
館林城は平城だが、鉢形城は山城である。
印象は異なる。
花袋の目に鉢形城はどう映っただろうか。
現在、鉢形城址は国指定史跡。
“井伏鱒二”も、研究ノートのような小説『武州鉢形城』を書いている。
文豪たちに親しまれた鉢形城址は公園となり、
現存する堀や土塁、復元された四脚門などが往時を偲ばせてくれる。

眼下を流れる荒川

鉢形城本丸跡(埼玉県寄居町)

本曲輪

四脚門(復元)

虎口

諏訪神社

池

石積土塁(復元)

深沢川



城山稲荷社

井戸











それまでは歴史に興味あるけど、それほど深くは知らない程度の物でした。しかしよく晴れた冬の鉢形城を訪れた時、自分の中の何かが動きました。それは形(建物)が無くても歴史があるという事実をより深く知りたいという好奇心でした。
文中にあるような文豪たちの魂が無意識の内に自分を刺激したのか?あるいはこの城で生活をしてきた多くの人々の姿が城址より読み込めたのか?よく覚えておりません。
しかしながらこの鉢形城を訪れて以来、建物も存在しない中世期の姿を追い求めるようになったのは事実です。
自分の中でも中世城館跡を研究するきっかけを作った鉢形城。復元整備も進みましたし、私同様城を見た人が何かを感じ取ってくれると嬉しい限りですね。
いい城ですよね。
ぼくがこの城を初めて訪れたのは24、5歳の頃だったと思います。
その頃はすでに郷土史熱は始まっていて、
歴史資料館のジオラマとCGがとてもうらやましく見えたのを覚えています。
一見地味な城ですが、何かを感じ取ることができたのは、儀一さんならではの感性でしょう。
鉢形城とフィーリングが合ったのかもしれません。
人生、どんなどきにいかなるものに影響を受けるかわかりませんね。
大きな出会いだったのではないでしょうか。
ちなみに、先日鉢形城を訪れたところ、若いカップルと男三人組がいました。
彼らは城跡で何を感じ、馳せる想いはどんなものだったのでしょうね。