クニの部屋 −北武蔵の風土記−

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

羽生城を訪ねたら……(46) ―この先、羽生本城―

2007年06月30日 | 羽生城跡・城下町巡り
羽生城の大手門(正門)。
本丸でさえ消滅している城なので、
大手門など跡形もなく消えています。

ただ、推定することは可能で、
それは中央3丁目と5丁目の境付近にあったと考えられています。
すなわち、旭町通りを南に向かい、
「角田歯科医院」の十字路を西に行ったところです。
もっとわかりやすく言うと、
「りそな銀行」の十字路から東に向かったところで、
そのまま行くと「ファミリーブック」の北の出入り口に繋がります。

大手門跡と推定されるこの場所。
側防の役割を担っていたであろう「大聖院」(廃寺)が近くにあり、
南北に流れる曼陀羅堀も要害の様相を示しています。
本丸へ一直線に繋がっているわけではないし、
攻めるには士辺曲輪(外曲輪)や帯曲輪を突破しなければなりません。
それとこの道は旧道に繋がっている上に、
道幅も城下町の3間半に比べて5間半と広いのです。
おそらく、曼陀羅堀を境界として、
「本城」と「城下町」に分かれていたのでしょう。
そしてそこには大手門が構えられ、
城兵が取り締まっていたものと思われます。

羽生城主広田直繁、木戸忠朝に面会するとき、
この大手門を通らなければなりませんでした。
そしていくつかの曲輪を渡り、本丸へ向かいます。
羽生城は大沼に囲まれた城です。
夕暮れどきには水面に夕日が映えて、美しい光景が見られたでしょう。
夜になれば無数の蛍が飛び交い、
幻想的な風景が広がっていました。
父範実の歌学を受け継いだ木戸忠朝は、この城で歌を詠んだはずです。
のちに歌人として活躍する忠朝の二男“元斎”(げんさい)も、
天正2年(1574)の羽生城自落までここで過ごすのです。

※画像は大手門があったと推定される通りです。
 この道をまっすぐ行くと「角田歯科医院」があります。
ジャンル:
埼玉県
キーワード
ファミリーブック りそな銀行
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